odd_hatchの読書ノート

エントリーは3600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2026/7/3

江戸川乱歩「名探偵明智小五郎全集」-6「化人幻戯」「影男」「月と手袋」 敗戦で二回目の転向をした明智小五郎は江戸川乱歩のカリカチュア。

2026/06/04 江戸川乱歩「名探偵明智小五郎全集」-5「人間豹」「悪魔の紋章」「暗黒星」「地獄の道化師」 ファシズム下の「健康」な社会では明智に対抗する悪役はもういない。犯罪捜査に当たる探偵は精彩を失う。 1934年の続き

 

 敗戦後の明智小五郎冒険譚。お茶の水の開化アパートは引き払い、麹町の純洋式「麹町アパート」に住んでいる。夫人(文代)は肺病で入院中で、助手の小林芳雄と二人だけで暮らしている。明智は50歳を越えている(当時は老人の範疇)。かつてのような覇気は消え、人びとを眺めることに徹する。善悪の彼岸に行ったのか。

凶器(初出不明) ・・・ 中年男に嫁いだ若い妻が暴漢に襲われる。ふたたび暴漢が遅い、妻にけがをさせ、男を殺した。男に恨みを持っているのは二人。二人とも否認。凶器が見つからない。そこで明智は割れたガラス窓を復元しろといい、奇妙なパズルを解くよう刑事を促す。「盗まれた手紙」、ホームズ譚みたいな先祖返り。カーの短編、クレイトン・ロースンの長編が引用されているので、1950年前後の作か。

化人幻戯 1954-55 ・・・ 物語のサマリーと感想は下記のエントリーで。
2016/07/27 江戸川乱歩「日本探偵小説全集 2」(創元推理文庫)「化人幻戯」 1954年
 久しぶりの本格探偵小説長編。でもできたものはとても古めかしい意匠でできている。なるほど事件の趣向は日本が鎖国していたころに海外の小説が見出したものを採用。元ネタを知らない読者にはうけたことだろう。古めかしいのはキャラやストーリーの運び方、事件の見せ方。戦前派の横溝正史がいくつもの長編で新しさを独自に発見していたのに、乱歩御大は足を留めていた。
 乱歩は女性を書くのが下手で、女性に辛辣。「陰獣」「お勢登場」「芋虫」「黒蜥蜴」などに登場する女性を見れば瞭然。妻の文代さんも。本作では社長夫人・由美子がそれにあたる。ただ戦前作と異なり、日本国憲法で国民の平等と華族制廃止によって、乱歩の女性観も変わった。由美子に対する視線は辛辣ではあるが、戦後の女性の自由を描くようになった。明智は由美子のことを「わからない」というが、戦前の男には戦後の女はたしかに「わからない」。男が古くなったから。

影男 1955 ・・・ 主人公影男はいくつもの名前と顔を持つ男。いくつもの職業をもっている男。正業ではなく犯罪すれすれか非合法を扱う。アイデアに長けていて、彼は人間の暗黒面に巧みに取り入り、彼の欲望をかなえてあげる。そのうちに同業他社の存在を知る。池の下にパノラマ島と持つ男、殺人請負会社を経営している男、誘拐業を持つ男。都下で行われる犯罪に関わりいくつもの成功を誇ってきた。ある会社の社長が若い妻の不倫を知り、間男と妻を制裁しようとする。それを止めてまんまと金をせしめたら、社長は殺人請負会社に影男の殺人を依頼してきた。そのことを知らない影男は、自分を殺す計画を立案することになる……。このあと明智小五郎が登場するが、デウス・エクス・マキナの役割でしかない。大日本帝国から見放されると、民主国家にはもはや居場所がない。名探偵の記号のごとき存在になり、たんに理性をふるまうだけになってしまった(晩年のミス・マープルもそういう存在になったなあ。ここでは影男の存在に注目。戦前の悪役は目立つこと、都市を劇場にみたてて犯罪劇を演じることを目的にしてきた。それは国家が養成するとことでもある。メディアを牛耳りあらゆる表現を監視するようになると、大衆は退屈する。退屈は国家の忠誠心をなくす。なので、大衆を刺激するのに、劇場型犯罪と犯罪者の処罰が必要だったのだ。でも敗戦後の混沌では日常が演劇的になってしまい、戦前の悪役のような劇場型犯罪には関心を持たない。なのでそれでも犯罪をしようとするのであれば、影男のように名無しで顔無しになる。犯罪も秘匿する。いるのかいないのかわからない裂け目に隠れる。現代社会の犯罪者の在り方を示唆している。
「影男」は乱歩のほぼ最後の通俗長編。書き方は上のように戦前の長編の否定であるのだが、これは敗戦後のユーモア探偵小説の嚆矢なのだ。影男の仕事は、近藤土方コンビ(「悪意銀行」「紙の罠」)だし、片岡直次郎が起こしたFAA(「危険冒険大犯罪」「吸血鬼飼育法」)。あるいは殺人狂を始末していく桔梗信治(「なめくじに聞いてみろ」)。乱歩はプラクティカルジョーク好きだが、小説にはユーモアがなかった。それがこの長編から爽快さを感じない理由になっている。それを敗戦後のエンタメ作家は消化して、もっと面白いものを作った。
たいていの評価は戦前からの通俗長編の集大成で、同じイメージやシーンの使いまわしってことになりそう。俺もそう見る。でも上の視点であれば、この掘っ立て小屋のようなつぎはぎだらけの小説には可能性がたくさんあった。その鉱脈を掘り出した人は少なそうだが、豊かな作品を作ったよ。戦後ミステリーの嚆矢として評価しよう。

月と手袋 1955 ・・・ サマリーは過去の感想を参照。
2016/07/25 江戸川乱歩「堀越捜査一課長殿」(講談社文庫) 1959年
 最後、私宅に本人の了承なくマイクを仕込むが、それは警察の犯罪だよ。最後の明智登場作は「心理試験」のリメイク。犯人側の仕掛けがおもしろいから、本格推理にしてもよさそうと思ったが、乱歩の趣向は「罪と罰」のパスティーシュを書くことだったので、これでよい(「影男」でも冒頭にマルメラードフの醜態そっくりなシーンを書いているので、当時の乱歩は「罪と罰」に入れ込んでいた模様)。

 明智小五郎が登場する全小説を読破。明智はなんどか姿を変えている。国家との関係が変わる。1920年代は高等遊民。どこにも所属せず、国家の庇護を受けない自由人。勝手に他人の事件に関わり、解決を与えたあと姿を消す。まさに「まれ人」。優れた知性は名望家や警察が放っておかず、探偵の仕事を依頼する(途中東アジアに渡った。国策スパイ活動をしたと推測)。自立するめどがついたら探偵事務所を掲げて起業する。でも「何者」で軍属の事件に関わったのが失策。何事も語っていないが、軍や保守政治家の逆鱗にふれたのだろう。しばらく中国や朝鮮に渡って帰国した後は、開化アパートに居住し、妻や少年助手らと疑似家族を作る。警察が持ち込む劇場型犯罪の捜査を担当する。被害者から費用や礼金を受け取っていないようだが、それでも優雅な生活ができる。都下の事件だけでなく、中国や朝鮮(日本の占領地や植民地)の事件も扱う。日中戦争激化とともに活躍しなくなり、対米開戦後は完全に沈黙。敗戦後も沈黙。復帰するのは講和条約締結後。すでに老境の明智は自分では動かない/動けない。捜査は他人に任せ、最後にしゃしゃりでて説教をして消える。覇気がない。欲もない。理想もない。存在が空虚になっていく。
 このような経歴をみると明智は二回「転向」した。一回目は1929年ごろに、二回目は敗戦時に。彼は政治的立場を変え、その都度自分が傷つかないようにふるまった。明智もただの日本人。
 そしてこの経歴はそっくり乱歩にあてはまる。彼も明智のように何度も「転向」した。しかし乱歩は転向を非難されない。1930~1945のふるまいも問題にされない。むしろ戦後は、大御所や御大になって探偵作家に君臨した。彼の評論は業界や界隈の権威となった。
 明智小五郎は江戸川乱歩のカリカチュアだった。

 こうして乱歩作品を短期間で読みなおすと、乱歩は犯人当てや謎解きのパズル小説が大好きだったが、自分では書けなかった。デビュー時の数編だけ。それ以外は犯罪小説や幻想小説。ことに長編では犯人あての大長編をものせなかった。自分が好きなことややりたいこととできることが生涯一致しなかったのだね。彼の自作評価がとても辛いものになっているのはそのため。でも悪いことではない。商業的には成功したし、業界のトップにたてたのだし。
 世界水準の探偵小説は横溝正史や坂口安吾の戦後長編からだ。
 そうすると、都筑道夫が「都筑道夫の読(ドク)ホリデー」で言っていたように、日本のエンタメ(のうち探偵小説)は戦後になってから、というのは同意。

 

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