odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

エラリー・クイーン「フランス白粉の謎」(ハヤカワ文庫) 1920年代に巨大高層建築が可能になったので、ミステリ作家は古い館より巨大百貨店が魅力的に思った。

 これから読まれる方への重大な警告。小説の最後の1行に真犯人の名が書かれています。本文より先に解説を読もうとすると、わかってしまう場合がありますよ。
 というのは1970年代までの探偵小説読みの常識であったが、いまはどうなのだろう。

 さて、ニューヨーク五番街に巨大百貨店がある。百貨店は19世紀半ばにパリに生まれたのが最初というから、例のパサージュから発展したのかしら。巨大化したのはエレベーターやエスカレーターの開発と電気の普及で高層建築が可能になってから。1920年代になると、都市には百貨店と映画館の巨大高層建築が軒を連ねる。百貨店の登場は都市の消費者の購買形態を変えて、ここに大量生産大量消費の資本主義経済の高度発展の一形態になるのである(などと大上段にかまえる)。探偵小説的には、百貨店は一種の閉鎖空間でありながら、不特定多数が行き来し、たがいにコミュニケーションをしないで群れては消える「群衆」として表れるところ。そこに無名の「犯罪者」がいたらどうなるかという問題になる。
チャップリンが百貨店を好んでいて、「街の灯」「モダンタイムズ」や短編で舞台にしている。本書に描かれた百貨店をイメージするのに、これらの映画は最適。)
 このフレンチ百貨店では、毎日正午に家具の実演販売をする。最新モードの壁収納式ベッド(これもすたれた家具だな。たぶん巨大スプリングの収縮に巻き込まれてケガ人が続出したからだろう)を開けると、そこから死体が転げ落ちてきた。被害者は百貨店の社長夫人。射殺されているが出血に乏しいとか口紅を半分しかつけていないとかで、別の場所で犯行が行われたと思われる。百貨店の最上階に社長一家用のフロアがあり、犯行場所はそこと知れる。さらに、ヘロインの粉末がみつかったり、麻薬取引の指示を書いたと思われる本もおいてある。被害者の娘はヘロイン中毒であり(ハメット「デイン家の呪」でも上流階級の娘が薬物中毒だった。当時の社会問題?)、行方不明になっている。クイーン警視は別の部署が麻薬密売団の捜査が進行していることを聞き、百貨店が取引の現場ではないかと推測(不特定多数の無名人が行き来するからねえ)。
 被害者は夫とは別の資産もち。なので、1929年の大恐慌で大ダメージを受けた百貨店の重役たちはそれぞれ被害者や娘に取り入ろうとしていたし、被害者の前の夫も不況に苦しんでいた。もう一人の被害者の娘は社長秘書と婚約中。まあ感情の制御ができないので、現場に混乱をもたらす。そんな具合に、百貨店経営にかかわる人たちは、被害者家族の金や係累に色目をつけていたのだった。中堅程度の企業なので、経営者の周辺にいる人物はたくさん。21世紀のようにIT化されていないので、雇用者もたくさんいる(セキュリティ、秘書、タイピスト、ホテル探偵、実演販売員など)。彼らも生活の問題があって、勘ぐれば犯行の動機もありそう。ここらへんはイギリスの館ものと異なる人間関係。巨大都市の消費社会(かつ情報化社会)は、19世紀までのコミューン的な狭く深く長期間の人間関係を壊して、広く浅く短期間の関係しか持たない。そこらへんが従来の心理分析型の探偵方法では対応できなくなった原因。ここでもエラリーは人間の観察にはほとんど興味がなくて、犯行現場や死体発見場所で見つかったものと、百貨店の人の出入りのデータにしか関心を持たない。そのような物理的・数値的・視覚的な情報(すなわち科学的情報)に依拠するようになったのだ。
 最後にエラリーは関係者を集めて、推理を披露する。これがものものしくて、会議室の中央にテーブルを置き、物証をならべて、事件を再構成する講義になる。事件の解釈が一変し、犯人である条件が並べられる。そして関係者の中からその条件に合わない人物を容疑者から消していく。ここらへんは科学の実験と推論の過程を見るよう。そして最後のひとり、すなわちすべての犯人の条件にあう者だけがひとり残り、クイーン警視やヴェリー刑事が犯人を抑え込む。この過程は、探偵小説の解決の説明のもっとも純粋な形式になるではないか。
 もうひとつよかったのは、犯行動機に過去の因縁話がなかったこと。現在進行中の事案に犯行の理由があるというのが新しい。なので、近代探偵小説としての形式は、1932年の傑作群(ギリシャ、エジプト、X、Y。それと前年のオランダ)よりも徹底しているのではないか。解決に至る論理の鮮やかさや小道具の使い方はオランダ靴やエジプト十字架の方が優れているけど。とはいえ、形式をここまで徹底しているのは思い当たらない。近代探偵小説の形式の頂点でデッドエンドになるのが「フランス白粉の謎」。
(ストーリーは例によって、事件の発生‐尋問‐謎解きであるんだけど、「カナリア殺人事件」や「オランダ靴の謎」ほど退屈しなかったのは、殺人事件と同時に重要容疑者の失踪と大規模な麻薬流通事件という別の物語が進行していて、それらが次第にからみあっていくところ。これもその時代では新しい書き方。)
 40年ぶりの再読でこんなに高評価になるとは思わなかった。予想を覆されて、うれしい。