odd_hatchの読書ノート

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自炊(PDF)生活で変わったこと

 食費がかからなくなった、脂肪を減らし野菜を増やすようになった、気分転換を図れるようになった、ということではなくて。まあ本来の自炊生活で、以上は実現するのではあるが。

 書籍その他の書類をPDF化することを半年以上続けている。その結果、

1.部屋が広くなった 
(1)マンガ ・・・ 200冊以上
(2)雑誌 ・・・ 200冊以上
(3)文庫と単行本 ・・・ 400冊以上
を部屋から処分することに成功した。だいたい書棚で5本分にあたるだろうか。いくつかの場所に分散して所有していたので、正確なところはわからない。また、読み終えた本をPDF化しないで古本屋に売ってもいる。そんなこんなで、書棚2本を分解し廃棄する予定だし、文庫本用本箱はボックスCDを収納するようになったし、本や雑誌を詰め込んでいた段ボール箱が5箱以上がなくなった。井上ひさしは所蔵する5万冊を図書館に寄贈したら、家の中ががらんとしてこだまが聞こえるようだといったが、まあそんな感じは理解できる。

2.本を探す時間が大幅に短縮
複数の拠点(自分の居住場所に、実家に、職場に、など)に分散して保管していた本がひとつのデバイスに統合され、複数のデバイスに共有できるようになった。だから、あの本を見たい、確認したいというときの時間とコストが大幅に節約できる。
個人的には、クラシック音楽のスコアをPDFにしたことが役立っている。もちろんスコアを読むことはできず、たんにながめるだけなのだが、ときにスコアを眺めながら音楽を聴きたいことがある。こんな旋律があるのかとか、こんな楽器なんだとか、スコアはこんな風に書かれるのかとか、そんな素人の発見をするのが楽しい。その時、スコアはポケット判でもかさばるし、重いし、高いしで、なかなかやっかいだったのだ。おまけでスコアの無料PDFをダウンロードできるサイトも見つけた。

3.廃棄するか保存するかの迷いがなくなった
書籍、雑誌だけでなく、いつ使うのかわからない書類(各種保険の契約内容確認書、証券会社の残高報告書、携帯電話の購入契約書、家電のマニュアルなど)は、すぐさまスキャンしてPDF化する。取得しておいた無料のファイルストレージサービスのフォルダにファイルごと移動する。PC、スマートフォンipadなどにはファイルストレージサービスのフォルダやアプリがある。自動的にバックアップし、netにつながったら自動に更新してくれる。もとの紙は捨ててしまう。
あるいは、「思い出」のしみ込んだもの(古い手帳や手紙、カタログやパンフレットなど)。なんとなく捨てる気にならないものも、写真を撮り、PDFにしておく。これらも容量が少なければ、ファイルストレージに投げ込んでおく。もとの紙は捨ててしまう。

紙を廃棄して困ったり、後悔したことはいまのところない。むしろPDF化のためにしげしげと眺め、手に触れたあと、再度見返すことがない。ある意味、自分の気持ちを整理するための「葬儀」を行ったように思う。

残さなければならない紙は、確定申告に必要な書類と使った書類(領収書や口座引き落とし通知、入金通知など)と各種の契約や証明(賃貸契約書、保険などの申込書、)に限定される。100円ショップで書類整理用のグッヅをいくつか買えば収納可能。

※ 無料ファイルストレージはいろいろある。dropbox、sugarsyncが有名かな。この二つのアカウントだけで7GBを獲得できる。あとgooglemailの空きをファイルストレージにするサービスも始まった。

4.「本を所有すること」の意味が変わった
スキャナーと電子書籍リーダーの出る前は、「本を所有すること」は非常に重要なことだった。いつか、どこかで使うかもしれないに対応するために、目を通した本や雑誌、論文は手元に置くことは必須だった。収納と整理、定期的な書籍のメンテナンスを行ってきた。
本や雑誌をPDF化すること(および中身を見直すこと)で
・本には賞味期限がある ・・・ 出版されてから時間が経過すると、情報や主張に価値のなくなるものがある。とくに自然科学、経済、時評などの分野で多い。賞味期限切れの本や雑誌は捨てて構わない。
・本の意味は年齢によって変わる ・・・ 幼少時や若い時に読んだ本を再読して、かつての感動や低評価がかわることがある。読む自分が変わったから。その変化に応じて定期的に所蔵本は入れ替えを行うべき(ただし学者、研究職は自分の専門分野の本はそうできないかもしれない)。清水幾多郎がそういう考えの持ち主らしく、人生に数回、所有するすべての本を古本屋に売り、また集めることをしたという。
・保管するコストはでかい ・・・ 昔出た「知的生活の方法」なる本には、家を構えたら1万冊を収納できる書斎と本棚をもとうと書いていた。いまでもときどき、3000冊以上の本を収納する家を建てたりする人がTVで紹介される。それはそれで自己の判断の範囲、御好きにどうぞ。でも自分のように頻繁に引っ越しするようなものの場合、大量の所有を抱えることは引っ越しや在庫するコストがかかりすぎる(前回の引っ越しでは100箱以上の段ボール箱に本やVTRを詰めたので、腰を痛めた)。また、いつかリストラされたり病気に罹るなどして、収入が途絶えたときに、家を移動することもありえる。そのときに3000冊以上の本を移動し収容するというのも大変だ。であれば、PCと外付けHDDと電子書籍リーダーに3000冊と同等のデータがあれば、6畳一間の部屋でも同じことではないか。
 最近では「ノマドワーキング」なるいいかたもあるそうだが、自分としては「根拠地を持たない生活様式」だな。仕事だけが遊牧民化するわけではないし。誤解されそうだけれど、イメージは亡命者のように生きること。変える故郷はなく、定住する共同体もない。一切合財の私有財産がかばん一つに収納でき、それでいて知的活動が旺盛なこと。20世紀前半の東欧亡命知識人、あるいはロフティングの「ドリトル先生」のように暮らしてみること。

今、バターフィールド「近代科学の誕生」(講談社学術文庫)を読み直している。それによると、12-13世紀に木版印刷、銅版画が出たことによって、同じ図版を本に載せることが可能になった。それが各地に散らばる学者、僧職者の知的関心を一つにまとめる働きをした。またルネサンスの時代には、各地に散らばる学者や僧職者が文通を行うことによって知的交流をした。コペルニクスガリレオデカルトなどの科学革命の成果はこういうメディアの発展と間接の交流によって、短時間に西洋全体に広まったのだという。
今の状況はこの次のメディアの革命にあたると思う。これがどういうところにいくかは自分には予測などつかないが、積極的に参加しておこうとは思っている。頭が固くなっているので、なかなかしんどく、面倒なことではあるのだが。