まだクラシック音楽に興味のなかった1977年にマリア・カラスが亡くなったというニュースを聞いた(没したのは9月16日とのこと)。その直後に、彼女の歌う映像が流され、そのカルメンのパフォーマンス(たぶんハンブルグコンサートにおける「ハバネラ」)に圧倒的な印象を受けた。このときのカルメンほど、高慢で、気品に満ちて自堕落さを持っていて、清純で挑発的な歌い手を見たことがない。彼女のカルメンにはホセどころかすべての男が魅了されるだろう。とはいえ、奔放で自然な女性として追いかけるのではなく、貴族の夫人のように仰ぎ見るだけしかできないのかもしれないが。
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この本は、マリア・カラスの熱狂的なファンによる彼女のバイオグラフ。ジャーナリストの書いたものなので、距離のとり方が自然で、彼女のいいところも悪いところもそれぞれしっかり書かれている。彼女の生涯はそれこそカルメンのように波乱万丈で、浮き沈みの激しいものだった。それを実現したのは彼女の強烈な意思の力に他ならない(もうひとつは母のステージママ振りにある。カラスが成功を収めると仲たがいして、母はギリシャで寂しく暮らしたという)。問題は成功した後、それを維持することにあるのだが、カラスは節制と自制をするにはわがまますぎたのかもしれない、あるいは欲望を抑えることができなかったのかもしれない。世界最高の金持ちと結婚してバカンスばかりの生活と、オペラ劇場に通う勤勉な生活を両立することができず、馬鹿な取り巻きにおだてられ、主要なオペラハウスと契約を打ち切られていく(ミラノ・スカラ座、NY・メトロポリタン歌劇場、ロンドン・コベントガーデンなどなど)。あれほどの名声にかかわらず、残っている録音は二流のオペラハウスのものが多い。
こういう破滅的な人生を送る人を理解し付き合うことは難しい。著者もそう考えていて、とくに私生活のでたらめさには苦い気持ちになっている。しかし、そうではあっても、彼女の歌を聴いてしまうとドン・ホセのように足元にひざまずいてしまうのであり、彼女の声が全盛であったという1951−1954年と1964年のオペラを聴いてみたくなってしまうのである。
ビリー・ホリデイとエディット・ピアフという別のジャンルを代表する歌手も自己破壊型の劇的な生涯を送ったのだった。個人的にジャニス・ジョプリンもいれたいところ。彼らのステージやレコードでパフォーマンスに触れたものは、声に驚愕し、心酔し、平伏する。しかし、彼女らの身近にいた人たちは好悪の入り混じった複雑な感情を持つだろうなあ。遠くから彼女らの声を聞くものは、そのギャップを知っておいたほうがよいのかしら。彼女らの自伝や評伝があると思ったけど、読んだほうがいいのか、それとも録音や映像だけで偶像を壊さずにいたほうがいいのかしら。
カラスがEMIに録音したオペラのすべてをまとめたボックスセットが販売されたり、ライブの音源もレーベルを変えて何度も復刻されている。自分はヴェルディやプッチーニ、ベルカントオペラは苦手なので、カラスの何を聞けばいいのか迷うところ。スタジオの「カルメン」「トスカ」あたりか。1951年52年のメキシコで上演された「アイーダ」は第2幕フィナーレの超高音で有名。でも音質が劣悪なので、マニア向け。