1914年から17年あたりにかけての旧制中学生の記録。旧制中学の生活記録が克明に記された読み物は北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」や畑正憲の「ムツゴロウの青春記」が有名。それらは戦後の新制高校に残った雰囲気を記したものなので、こちらのほうが希少。例によって絶賛品切れ中のため、この種の読み物はほかにあっても手に入らないだろう。
北や畑のものが優等生のできごとであるとすれば、今のものは劣等生あるいは集団生活に適応できないもののできごと。小説や絵描きは好きだが数学ができずに落第し、校長宅に居候したり、放校のうえ田舎の学校に追いやられたり。主人公・紺野東吾(著者名との類似を確認せよ)は改悛することなく、生徒とは喧嘩、女性とは逢瀬を重ねる。そして故郷にいられなくなり東京に上京することになる。
個人的なことをいえば、主人公(すなわち著者)の年齢は父方の祖母とほぼ同じ。祖母は礼儀作法にうるさかったものだが、彼女の青春時代もまたわれわれと同じような同異性への憧れや葛藤があったのだと思う。そして必ずしも志操堅固であったわけでもなく、淡路や但馬の田舎には夜這いや歌垣(夏の盆踊りの後の逢引)が残っていたもので、そのあたりの事情も書いてある。結局のところ、現代と同じくらいの性的放縦さはあったものだったのだ。
主人公の父は神戸在住の商船の船長。しきりと東南アジアに出かけていて、先方にも日本人が出かけていた。また神戸にはいわゆる「ガイジン」さんが住んでいて、父は彼らとの交流もあった。そのため、この小説にはいわゆるハイカラな文物と日本的な習俗が混在している光景が現出している。実際、ヨーロッパが戦争をしていたので、日本の輸出が伸びていたのだ。そのあたりの事情も背景にあり、興味深い。主人公はこのあと当てもなしに、上京することになるのだが、それがこのような時期でよかった。彼の上京から数年間は未曾有の好景気の時代になったからだ。いくつものハイカラな雑誌が創刊されて、新しい書き手を探していた時代だったからだ。またそれは浅草オペラの時代でもある。
2003/11/01
「悪太郎」が鈴木清順監督で映画化されていることを知った。ぜひとも見たい。
ついでだが、本書は淀川長治がティーンエイジのころに映画を見ていた時代と場所が重なる。淀川長治「映画が教えてくれた大切なこと」(扶桑社文庫)の前半で、この時代の思い出話をしているので、あわせて読んでおくとよい。神戸という場所のハイカラさとかアメリカで発信された情報をいち早く取り込んでいるところなど、眼を開かせてくれる。
2005/06/09