odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

伊藤整「若い詩人の肖像」(新潮文庫) 1920年代大正デモクラシー、家族や地域から孤立したインテリ教養青年の自叙伝。この時代は政治で悩まないで済んだ。

 最初に読んだのは高校1年、それとも2年? 3年生になって理系クラスにいたが、なぜか文学史には強いということになって(国語の授業で昭和10年代の文学史を略述せよという質問をあてられ、直前によんだ「風俗小説論」を使って、プロレタリア文学新感覚派、文学者の軍事動員のことをしゃべったのだった)、だれかに面白い本はないかと尋ねられ、この小説を薦めた。いい迷惑だったろう。ここには波乱万丈の物語も、どきどきするようなスリルも、深い思いにとらわれるようなカタルシスもない。あるのは、1920年代の文学状況と、当時の青年の田舎生活、そして性に対する省察と苦悩くらいしかないのだから。自分にとっては最初の当時の文学状況と、田舎の若いインテリゲンツァの生活が面白かった。自分には、読んでいる本のことを語れる友人が一人もいなかったからね。

伊藤整は北海道小樽の近辺の出身。親父は広島生まれ、母もどこか別の人。日本の伝統とは切り離された官吏の息子として育つ。彼が最初に内地を訪れたのは20歳になってから。そのとき始めて萱葺き屋根や縁側のある日本の農村の風景を見る。教科書に出てくるものとしてしか知らなかった光景。彼が他の文学者と異なるのは、「日本」を外から見る眼を持っていたということかしら。ジョイスの意識の流れに最初に注目した日本人のひとりだと思うけど、文壇とか伝統に無縁であるところが彼の新しさだったと思う。

・青春小説は、不良が主人公か優等生が主人公か、まあそういう設定が多い。今東光悪太郎」が同時代の不良の青春小説で、こちらは優等生の小説。小樽商業高校(当時は高等教育を受けられる人は限られている)の優等生(卒業したとき席次は11番らしいと推測し、それは英語がよかったからと謙遜するが、どうしてすぐれたものだ。のちに「氾濫」で化学会社重役を主人公にしているが、このときの経済学や商業の学業、その後の中学教師その他の社会人経験が生かされているに違いない)。その分、喧嘩や教師との対立など動的な動きは乏しい。そのかわり教養小説としてのさまざまな知識が書かれているのが、優等生だった読者には好ましく思えるだろう。高校生の自分が惹かれたのはこういうところ。

・性に対して奥手とか、性の解放なんかが語られるのことのない時代だったが、青春はやはり恋愛と性行為について思い悩めるもの。伊藤はなかなか盛んなほうでもあったらしく、うらやましいことにモテる男らしい。だから、19歳にして恋人を持ち、週に一度は彼女と会い、接吻して性交を経験している。今東光の「悪太郎」でもそうだったように、この時代は、むしろいまよりも性を経験する機会が多かったのではないかと邪推する。面白いのは、伊藤は女との情交について嫌悪とか反発を持っていて、しかも女嫌いであるようだ。たかだか彼女が他の男の襟を直すのを見て嫉妬にとらわれる。ここまでは普通の感覚。しかし、伊藤はそこから女の不潔さとか不貞とかまで思い描いてしまう。その一方、中学教師になって美少年をひいきにしたり、文学を語り合える友人(年上)の川崎昇への愛や彼の体に触れることの喜びを書いていたりする。もしかして、ホモセクシュアル的な傾向があったのかしら。

・こういう青春小説によくある親への反発や兄弟への親愛はほとんど描かれない。家族から孤立していたのだなあ。最終章、危篤になった父を看取るために帰省するとき、新興宗教家の説教を聴いて涙を流す。ここが唯一家族に共感を示しているところ。それ以外では、文学に興味を持たない両親・兄弟など、無視に等しい。詩人の友人を実家に迎えたときにも、家族の無知などを恥じるようだったし。この自尊心とその逆のマゾスティックなほどの自己懲罰があって、心苦しくなるところがある。それが読後の爽快感にならないのだよな。この細かい分析は興味深いのだけれど。

・時代は1920年代。第1時大戦後の好況が、関東大震災などを通じて(簡単に触れられているだけ)、不況になっていくころ。1924年に卒業するとき、教官か村井銀行への就職を進められたが彼は断る。就職を断ったのは、結果を知っているものからすると正解だったな。1927年に倒産したのだから。

・代わりに勤めたのが田舎の中学教師。ただし、英国のパブリックスクールを模した私学を経営したいという企画者の意向がある新しい学校に勤めた。このときの新人社員としての心構えとか、俗物的な棒給生活者との付き合いなんかは役にたちそう。そういう観察や振る舞いを21歳にしているというところが、いわゆる「文学者」とは異なる。それに自分の詩集を出すにあたって、どの詩人の派閥に入るのがよいか(当時、詩の雑誌がたくさんでていたらしい)、十分にリサーチして自分の資質にあったものを見つける。このあたりの戦略というか、見通しのよさも見事。最初の詩集を出したところ、高評価を得たので、東京にでることにする。ここでも1年間教員を務めて学資を捻出するなど、計画性が見事。

・東京にでると、先に上京していた川崎昇のつてで、北川冬彦梶井基次郎らがいる下宿に入る。この小説の白眉は梶井基次郎の描写。彼が桜の木の下には死体が埋まっているというイメージを語り、伊藤や北川がほめたので「桜の木の下には」という短編に結実する。もしかしたら、梶井の本文より、伊藤の書いた文章のほうがイメージ喚起力が強いように思えた。また、梶井は文章の鍛錬のために、有名作家の文章を筆写し、文章の息遣いを感じろという。この小説にインスパイアされて、自分も大学受験の勉強ノートにいくつかの短編を書き写したのを思い出した。もちろん梶井や伊藤のような分析力も感受性もなく、たんに筆写したにすぎない。

  
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