odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

井上ひさし「偽原始人」(新潮文庫)

 池田東大(わが子に東大(読みはとうしん)という名前をつけるってありそうで怖い)くんはやせっぽちで運動がよくできないし、勉強もそれほど好きではない。特技は物語を作ること、いろいろな計画をたてること。しかしそういうところは親はまったく評価してくれない。名前の通りに東大に入って有名会社に勤めてほしいというわけだ。担任の先生は彼ら子供を理解しているから、多少勉強ができなくてもいい、それよりもっと遊び仲間と共同で何かやりなさいと指導する。しかし、親は反発して、担任をつるし上げ、ノイローゼにしてしまう。ついにはガス自殺(未遂)を起こし、記憶を失ってしまう。これだけの陰惨な背景があることを覚えておこう。
 親への復讐のために、担任が入院している病院に忍び込み、毒薬を盗もうとするドタバタ劇を起こし、家に軟禁されて、暗記至上主義の家庭教師をつけられる(県庁所在地ごとのソメイヨシノの平均開花日なぞを暗記させられる、ばかばかしいがおもしろく、そんなことを知っている作者に驚愕)。三人は教師を使って暗号を交換する(これがとっても面白い)。ついに、家出を決行。彼らは北海道までいくことができるか・・・
 今でこそ少子化云々が議論されているけれど、初出の1975年当時は第2次ベビーブームであった。それ以前の団塊世代が大量の人数で育ったために、教育インフラが足りなくなる。人も設備も。おかげで、学校は年中新築に増築。一学級は40人超。募集人員よりも入学者数が多くて、教室に生徒や学生を収容しきれない(これが日本大学学生運動が始まった理由のひとつ)。こういう不備が目立っていた。
 一方、おきてきたことは
有名会社に入れば一生安泰。そのためには有名大学に入学、そのためには有名高校に・・・そのためには塾に、という具合の人生の階段に関する共同幻想ができたこと。東大くんの親はこの幻想にとりつかれているわけだ(たぶん現在の自分に対する不満の解消が東大くんに向けられているのだが気づいていない)。
・京都のPTAだったかのスローガンで「15の春は泣かさない」というのがあって、希望高校に全員進学できる、という結果平等を求める親もいたのであった。子供が多すぎて受験倍率が高かったため。
などなど。この小説は、このような事態に対する批判であるわけ。
 朝日新聞夕刊に連載されていたのは1975年と記憶するので、東大くんたちは生きて入れば、2012年で45歳前後。うまくいけば1988年前後のバブルの時代に簡単に就職し、今は馘首の予感におびえているのかしら。それとも組織に所属しない生き方をしているのかしら。
 ちょっと主題とずれた感想をいくつか。
・小学3年生というから10歳以降になるのだけど、この国の高度経済成長は、彼ら10代の連中がいることのできる場所をなくしていったのだな。家にはいたくない、でも行くところがない。空き地も路地も公園も彼らを拒否する。金もないから大人の遊び場にもいけないし。そうするとコンビニとかゲームセンターくらいしかなく、親と教師は目くじらを立てて起こる。ではどこに行けばいいのかというと「塾」になる。あるいは学校のクラブ活動の集団行動。東大くんたちにはどちらもつらい場所だ。
・牧田茂「日本人の一生」(講談社学術文庫)を読むと、1960年ころまでは多くの村には若集宿という機能があった。まあ簡単にいうと、独身男性の寄り合い集団みたいなもので、共同生活をしていたという。仕事が終えたら家の代わりに若集宿に帰り、遊んだり勉強したりする。子供はある年齢以上になると、そこに参加することができる。若集宿では、先輩から酒とか性のことを教わったり、仕事や祭りに独自に参加することで集団活動やリーダーシップ、マネジメントを学んでいく。20歳を超えると、親とか親戚が結婚話をもってくるようになり、結婚すると若集宿を抜ける。まあ、こんな機能があったわけ。それならたぶん10代もいくところがあって、「非行」なんて話はでてこないのじゃないかな。
・で、さらに妄想を続けると、ある時期までの企業というのは「若集宿」の代わりを果たしていたのではないかな。一度入ったら定年まで勤め上げるとなると、ほとんど家族みたいなものになる。独身社員は先輩後輩の関係で仕事やその他を覚えることになり、親代わりの部長や課長が縁談を用意してくれる、部長や課長その他既婚者の引越しや冠婚葬祭には全員参加が求められ、葬儀には会社の部下や上司が家族ぐるみで援助する、というような。その機能を企業は担えなくなったなあ。といって、現在の学校がそれになるというのも違っている感じ。