odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ギルバート・チェスタトン「ポンド氏の逆説」(創元推理文庫) 英国情報部員はパラドックスで煙をまく

 1936年初出。政府の役人をしているらしいポンド氏は、目立たないながらも奇妙なことを口走る癖があった。それが下記のような逆説(パラドックス)。まずポンド氏がなにか逆説をいう。それはおかしいのではないか、と指摘する歓談者にポンド氏は奇妙なことではないことを説明する。同じシチュエーションで、アシモフ「ユニオン・クラブ奇談」(創元推理文庫)というのがあった。

三人の騎士 ・・・ 「部下があんまり命令に忠実だったものだから、何一つとしてグロッグ将軍の思い通りに事が運ばなかった」という逆説。いや「死刑執行停止を通達する伝令が途中で死んでしまって、囚人が釈放された」のほうか。ときはビスマルクの時代。そうでないと離れた部隊への命令が騎馬だとするわけにはいかない(当時はもう電話に無線があった)。プロシャ国内でポーランドの詩人が祖国解放の歌を歌っていた(これは当然初代大統領でピアニストのパデレフスキーだろう)。気に入らない愛国者グロック将軍は詩人をとらえ死刑を命じる。意気揚々と国王に報告すると大激怒。すぐさま処刑停止の使者を派遣する。そこでグロッグ将軍は国王の使者を殺す刺客を放ったのだった。処刑場にはひとりも伝令は到着しなかった。

ガーガン大尉の犯罪 ・・・ 警句として作中に現れないがあえて逆説を書くとすると「同じ話が三者三様に伝わる」。あれ、全然逆説ではないや。舞台好きのフィバーシャム大尉が自宅でフェンシングの剣で刺殺された。容疑者はガーガン大尉。事件の直前にガーガンは3人の女性に会った。彼女らはそれぞれ「フィバーシャム大尉のところに行く」「フィバーシャム大尉のところに行かない」「クラブに行く」と発言したと証言した。このたがいに矛盾する証言はいったいなぜ。この矛盾は途中で解けて、主題は真犯人探索に移る。

博士の意見が一致すると ・・・ 不況の中、正反対の政策を提案する二人の教授。ひとりは古典派経済学のとおり緊縮、福祉抑制を提案。もうひとりは赤字財政、景気刺激策を提案。前者の教授が刺殺される。刺殺された教授には学生がひとりついている。あまり教授に付き添っていたので試験に落ちた。二人は議論してばかりだったので。さて、意見が一致したとき、なにが起こったか。後者の教授はケインズかなとも思ったが、他者に厳しいということで、これは社会主義者というよりボルシェヴィズムの信奉者だな。

道化師ポンド ・・・ 政府の重要機密書類が盗難される可能性が出てきた。ポンド氏はそういう政府の役人。で、書類を単純な箱につめておくることにする。途中で列車の車両を交換するのだが、ポンド氏一行は駅に出張る。箱に近づけるのは、ポンド氏と警察庁長官ウォットン卿と警部のみ。警部を残して昼食を取る。ポンド氏は不審を発見。さて、どうやって箱を盗んだのでしょう。道化のクラウンが登場し、クリスマスに起きた事件なので、クイーン「クリスマスと人形」と比較すべし。実は同じトリック。

名指せない名前 ・・・ 有名すぎて誰も名前を呼べないという逆説。社会主義運動が弾圧されはじめたパリ。ムッシュー・ルイという人物がめをひいた。発禁になった労働組合の新聞をカフェでおっぴらに読む。それを咎める書店の店主。ルイを取り締まろうとしてなにもできない内務大臣。人は自分の思想を隠そうとするが、語彙のはしばしに思想が露顕するという話。
<参考エントリー>
林健太郎「両大戦間の世界」(講談社学術文庫)-1 1976年

愛の指輪 ・・・ 誠実だから嘘をつくという逆説。クローム卿がガーガン大尉と数名の奇妙な人物を招待する。いずれもなにかスネに傷持つみらしい。とつぜん、クローム卿がコーヒーに毒が入っていると叫ぶ。一同コップを置くのだが、有望新進政治家ひとりがコーヒーを飲んで死亡。さて何が起こったのでしょう。事件よりもガーガン大尉の改心が重要。あと、社会契約論を民権論と訳すのは如何なものか。
〈追記2023/11/2〉
(これを書いた2012年は、中江兆民がルソーの著作を「民権論」のタイトルで訳したことを知りませんでした。)

恐るべきロメオ ・・・ 影法師は実体を寸分たがわず写した時には実体と認識できないという逆説。ガーガン大尉が殺人犯として告発される。すなわち、シェイクスピアのロメオのバルコニーの場と同じ状況で彼はロメオ役を射殺したのだった。関係者はジュリエットの父である博士と告発者に牧師。さて、深夜のバルコニーで何が起こったのか。進化論を拒否するチェスタトン。ポオ「モルグ街の殺人」に対するチェスタトンの挑戦。

目立たないのっぽ ・・・ ナチスの進出めざましく、イギリス本土にも多数のスパイが侵入しているらしい。さて、機密書類をもっている トラヴァース君が二階の部屋にこもっていたら巨大な剣のようなもので刺殺される。子供と妻が一階で監視していたので、出入りは不可能。子供は巨人を見たと証言。ポンド氏は大きすぎて目立たないという。


 たくさんの小説を書いていると、人物のパターンが似通ってきて、ポンド氏とガーガン大尉の関係はブラウン神父とフランボウと同じ。ひかえめな探偵と行動的な説明役。説明役が事件に巻き込まれ第一級容疑者になり、探偵のちからで嫌疑が晴れるというのはブラウン神父ものにもあった。
 違いがあるのは、ポンド氏ものはより時局を反映していることと、保守主義者であるチェスタトンの考えが鮮明に出ているというところかな。神学や形而上学の高邁な議論は姿をけし、むしろ政治や経済の話(それでも抽象的なのだが)が多い。ポンド氏が政府勤めの役人であるためか、彼は古典派経済学の自由放任政策を支持し、一方、貧困の拡大と格差にはジェントルの寄付などで対応しようという考え。組合を作って政府や秩序と対決姿勢を示すのはもってのほかで、神の冒涜になる進化論は認めない、という議論をする。そこにボルシェヴィキだけでなく、ナチス国家社会主義者も街頭に現れるようになり、二つの全体主義には嫌悪を感じていたのだろうなあ。
 1936年というと英国探偵小説の黄金時代で、伏線や証拠を細かくちりばめ、論理的に説明していくという技法が試されていたのに、このような1900年代初頭のようなアイデア勝負の短編を書いていたというのが面白い。フィルポッツといっしょで、前世紀生まれの作家が時代とそごをきたすと、観念にしがみつくのかな、と複雑な思い。
 いかん、以下のことを忘れていた。パラドックスというと「アキレスはカメを追い越せない」とか「すべてのクレタ人はうそつきであるとクレタ人が言った」というようないまだに解答のないようなものを思い出す。でも、ポンド氏の逆説は特殊、個別なことを一般的な命題にするというのがしかけ。そういうのが成り立つ特殊で個別な場合を取り上げている。科学の場合では、例外とか誤差とかで検証の対象にはならないものだな。それが物語は一般的・普遍的なことを語るという思い込みがあるから、ありえないことだと確信しているわけ。なので、逆説に聞こえる。


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