odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

アーネスト・カレンバック「エコトピア・レポート」(創元推理文庫) 60-70年代の「水瓶座の時代」を生きた人々の理想は反科学・反資本主義の共同体生活。

 1970年代、サンフランシスコ周辺地域はエコロジスト党に率いられ、アメリカから独立を宣言した。経済制裁などを行ったにもかかわらず、エコトピア国は独立を保つとともに、ほぼ鎖国体制になった。以来約20年が経過し、エコトピアの状況が要と知れないので、ジャーナリストを派遣。そのレポートがこの書である、という設定の1975年初出のSF(?)。スピンラッド「星々からの歌」の前史に当たる、と言ってよいかもしれない。
 エコロジー思想によるユートピア構想が新しい、と言えば言えるのだが、その中身は60-70年代思想のアマルガム。自分が既読のものからこの本に影響を与えたとおぼしきものを抜き書きすると、
エルンスト・F・シューマッハー「スモール イズ  ビューティフル」(講談社学術文庫)
バリー・コモナー「なにが環境の危機を招いたか -エコロジーによる分析と解答」(講談社ブルーバックス
エイモリー・ロビンズ「ソフト・エネルギー・パス」(時事通信社
ディビット・ディクソン「オルタナティブ・テクノロジー」(時事通信社)
ロベルト・ユング原子力帝国」(アンヴィエル)
バックミンスト・フラー「宇宙船「地球」号」(ダイヤモンド社)
バックミンスト・フラー「宇宙船「地球」号」(ダイヤモンド社)-2 1969年
レイチェル・カースン「沈黙の春」(新潮文庫
あたりかな。アメリカの人が書いたので、ヨーロッパのその種の(ウィリアム・モリス「ユートピアだより」とかアンドレ・ゴルツ「エコロジスト宣言」とか)とは違ってマルクス主義の影響はない。その代わりに重要なのは、エマーソン「草の葉」、ソロー「森の生活」だろうな。下記の記述にあるように、エコトピアの生活は17世紀の植民開始期に似ている。

 エコトピアの生活をまとめると、反科学・反資本主義。すなわち、原子力発電所の撤廃にとどまらず、電気依存の生活をやめ、内燃機関の自走機械を最低限にする。自動車の所有は厳禁、多くは自転車か徒歩で移動。ある程度の規模の都市には電気で動く公共サービスがある。巨大都市はすこしずつ小さくなり、周辺に小都市ができるようになる。巨大企業はなくなり(倒産・破産するか、小さな規模の小企業に分割された)、中心産業はエレクトロニクスやコンピュータ関連。週の労働時間は20時間に制限され、仕事は余ったことになるとのよし。いわゆる資本家というのはいなくて、労働者=経営決定者という民主経営ないし自主管理の仕組みになっている。そのため組織は最大300人程度。それ以上になると分割する。しかし住民の多くは第一次産業に従事。農薬、化学調味料、添加物は廃止され、地産地消の小規模経済圏になっている。消耗品はリサイクルすることが前提になっていて、分別廃棄が当たり前(というより物資が過剰にないので、大量消費-大量廃棄の生活ではない)。核家族は統合された拡大家族(まあ、グループリビングとかイスラエルキブツを思いなせえ)になり、ときにはコミューンになって、自活を達成。重要なのは、相続の廃止。人は死とともに資産(それほど持っているわけではないし、貨幣に重きを置いているわけでもないので)を国家(というか地方組合みたいなものか)に返還する。党があるとはいえ、国家は直接民主制で運営されている。でも地方の自治体の権限のほうが大きく、政府というのは調整と政策提言に限定されているよう。具体的な公共サービスは個々人にまで落とし込まれ、週20時間の労働以外の余暇で行っているみたい。あと面白いのは、戦闘を模したスポーツ(フットボールとかバスケットボールとかベースボール、テニスなど)は興味をひかず、年1回の「戦争ゲーム」を行うようになっている(擬似的な戦闘で、参加者は槍・ナイフなどで武装。踊りと歌の儀式のあと、模擬戦になり、年に50人程度の死者がでる。辺境部族の儀式化された戦争の現代版だ)。酒、たばこはたしなまないが、マリファナは合法。結婚制度も非常に緩やかで、年に数回は乱交が行われるとのこと(子供の養育は親ではなく、拡大家族による分業)。
 60-70年代の「水瓶座の時代」を生きた人々の理想がここに集約されている感じ。
 自分はこのような個々の生活には興味はなくて(共同体になじめない自分には生きずらそうな世界だ)、むしろ独立を達成するまでの混乱が気になる。ここはほとんど記載されていない。独立のあと、工場を解体するとか、農薬・化学添加物を完全廃止するとか、リサイクル可能なボトル・衣料しか流通させないとか、様々な革新的な政策を打ち出す。そうすると、失業者と生活保護の必要な人が大量に出ると思うのだが、この本では別の仕事を用意することで乗り切った、とするだけ。物資の不足はとんでもないインフレを発生させそうだけど、その記述もない(まあサンフランシスコ周辺のエコトピアではアメリカの食料品の3分の1を生産しているとかで、むしろ減産に励むことになったという設定)。労働時間の制限で雇用を生んだことになっているが、それでも生活が可能であることの理由もほぼない。ここらへんの混乱や社会的な合意の形成の困難を自分は恐れているわけで、どうにも乱暴な政策にほとんどの住民が賛同し、積極的に参加していくのはどうしてかしら、と思うわけ。そこらへんはチャールズ・ライク「緑色革命」(ハヤカワ文庫)、セオドア・ローザク「意識の進化と神秘主義」(紀伊國屋書店)、ヴィルヘルム・ライヒ「性と文化の革命」(勁草書房)などを読んで、「意識」変革があれば実現可能とでもみていたのかな。もちろん、草の根民主主義のもとになる地域グループでの政治議論が熱心に行われることも重要。
 もうずっと絶版・品切れ状態だが、もしかしたら2010年代では需要があるかもね。独立までのプロセスとリスク管理が書かれていないので、お奨めしませんけど。まあ読むときには、タイトルのエコな生活にフォーカスするのではなく、上記のような政治や経済の仕組みのほうに注目し、この国で実現するためにはどうするかを検討してほしいと思う。この小説(?)は政治運動のマニフェストにならないし、してはならないので。
 この国でも同じ時代にユートピア構想が小説になった。井上ひさし吉里吉里人」(新潮社)、原秀雄「日没国物語」(新宿書房→中公文庫)、西村寿行「蒼茫の大地、滅ぶ」(角川文庫)あたり。アメリカではユートピアは独立して獲得するけど、この国では一揆や分割統治でもって実現するというのが違い。そのまま民主主義のイメージの違いなのだろうな。
<参考エントリー>
笠井潔「国家民営化論」(知恵の森文庫) - odd_hatchの読書ノート