odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ウンベルト・エーコ「薔薇の名前 上」(東京創元社)-2

2016/04/04 ウンベルト・エーコ「薔薇の名前 上」(東京創元社)-1 の続き。


 この時代には文化的な統合が聖職者と知識人において果たされていた。その象徴がこの修道院で、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、北アフリカなど出世地と母語を異にする修道僧が集まっている。ラテン語という共通語があることで不自由はなく、文化的な統合ができた。それは翻訳や研究のみならず音楽でもそうで、当時の宗教音楽の作り手は出生地や活躍地はばらばらであるが、作曲の技法は共通していている。作品をきいただけではどこでつくられたものかはわからない(ただし発声法は修道院ごとに異なったらしく、修道院の合唱によるグレゴリオ聖歌の録音を聞くとさまざまな歌い方があるのがわかる)。このあたりの経緯はクシシトフ・ポミアン「ヨーロッパとは何か」平凡社ライブラリを参照されたい。
 文化的に統合しているとはいえ、政治や組織において一枚岩であるわけではない。長らく教会はヨーロッパの土地を統括する場所であり権力として働いていた。だから地方の王国や豪族の権力よりも強い時期が続いていた。前のエントリーにあるように農業の生産性が上がり、商人や職人などが盛んに交通するようになって、世俗の権力が富を持つようになると、教会の権力が邪魔になってくる。そのうえ、教会もまた富を蓄積するようになり、豪奢な飾りや生活をするようになる。そうすると平信徒と接している地方の貧しい神父などは教会に反発するようになる。彼らから清貧を旨とする宗教改革運動がおこる。この小説ではフランチェスコ会がその例。教会から遠いところにある地方では、平信徒の要望に応えるように新しい宗派が誕生した。この小説ではドルチーノ派、使徒派、カタリ派などが登場。教会はそれらを異端と認定し、激しい弾圧を繰り返す。ローマ教会(当時はアヴィニヨンに教皇がいた)と改革派、それに異端とされた地方の宗派などで対立していたわけだ。
 そこに世俗権力の王権も教会権力に介入しようとする。200年ほど前のカノッサの屈辱1077年のころには世俗権力は教会には勝てなかったが、このころには王権が強くなってくる。1303年のアナーニ事件はフランス国王の権威をあげ、法王権が仮構していた。その先にローマ法王アヴィニョンに捕囚してしまう(1309-1377年)。ただドイツ地方は事情が異なり、諸国王から神聖ローマ皇帝が選抜されていて、法王から塗油されることで権力と権威を持っていたのだ。世俗の権力が法王の権力を範囲を規定するという転換期にあたっていた。
 この小説では修道院教皇フランチェスコ会などが集まる。表向きは宗教論争としての「清貧論争」に決着をつけるためである。「キリストの服はキリストの私有財産であるか」という議題は21世紀からみると滑稽に思える。しかし、キリストの権威を継承する教会にとっては、教会が財産をもつことが許容されるかの重大な問題になる。救世主が私有財産を持っていれば教会もまた財産を持つべきであり、財産が多いことは神の徳の表れとなるからだ(ちなみに、財産の所有権が教会に認められることで、のちには商人が財産を持つことが認められ、ロックの「市民政府論」にある個人の所有権の考えに至ると、自分は読んだ)。一方、フランチェスコ会はキリストは私有財産をもたなかったとし、司祭も平信徒も清貧に生きることを要求する。司祭など聖職者と平信徒の格差が広がり、貧しいものが救われない状況を変えようとした。これをバイエルンの皇帝が支援したのは、教会が俗事に法を定める権利を放棄させることができると考えたからだ。10分の1税の徴税機能のみならず、酒・鉄具などの独占製造権をもち、金融機能も持っていたのであって、商人の事業が規制されていたのだった。これらの富や商権を獲得することは王権の拡張に重要であり、それは商人や市民などの新しい階層の人々の支持を受けているので、王権も教会権力に抵抗する。
 修道院には、これらの当時の権力と階級の関係が反映されている。この修道院は歴史が古く、ローマやアヴィニヨンから遠く、蔵書数が多く、ヨーロッパ各地から学術僧が集まっていて、学問研究の牙城のようではある。傍目には政治とは無縁に見える。しかし、文書館はその権威の後ろ盾に教皇を必要をする。長年重要職から疎外されているイタリア人グループは反感を持っているのでフランチェスコ会に近寄ろうとする。雑務担当の修道士には異端派の人物が紛れ込んでいる。修道院長が外との交渉能力と蓄財に長けていて、教会にも皇帝も付かず離れずのの絶妙な位置にいることも功を奏して、修道院の権力と権威はバランスを保っていた。しかし、殺人事件と清貧論争は修道院内部の秩序を揺さぶり、院長の権力と権威を失墜させ、疎外されたグループによる権力闘争を引き起こす。文書館の炎上までの1週間でそれまでの重要な役職者は殺されてしまい、既存権力は真空状態になってしまった。

      


2016/04/06 ウンベルト・エーコ「薔薇の名前 上」(東京創元社)-3
2016/04/07 ウンベルト・エーコ「薔薇の名前 下」(東京創元社)-1
2016/04/08 ウンベルト・エーコ「薔薇の名前 下」(東京創元社)-2
2016/04/09 ウンベルト・エーコ「薔薇の名前 下」(東京創元社)-3 に続く。