武満徹は作曲家、1930年生まれ。川田順造氏は文化人類学者で1934年生まれ。二人が1978年から翌年にかけて雑誌「世界」に往復書簡を公開した。それをまとめたのがこの本(1980年)で、文庫版の出たのは1992年。二人とも40代で、とても行動的。武満は世界各地で演奏会があって、始終呼ばれ、新作を発表。一方川田は西アフリカのモシ族のフィールドワークを行い、数年間をアフリカの砂漠からサバンナ地帯に過ごしている。二人ともタフだなあ。
作曲家に無文字社会の「音楽」を聞く人たちが主題にするのが、タイトル。日本と西アフリカの接点になるのが、西洋。というか、武満にしろ川田にしろ西洋音楽を自分の音楽経験の起点にしていて、そこから音楽を考えることになる。武満にとってはピアノだし、川田にとってはフランス留学中の日夜の演奏会。それが二人の身体に刻まれるように入っているから、かえって日本やアフリカの「音楽」が音楽とはいえないような感じを持つことになる。ここらの「感じ」はたぶんその前に人たちとはちがっているところ。世代が上の吉田秀和や小林秀雄、中島健蔵を思い出せば、考えのスタートは「日本は西洋を理解できるか」にある。そのとき、西洋以外の音楽はどうなっていたかしら。あんまり言及がないのはたぶん聞くことができなかったからか。そのうえ日本の音楽は素養があって、西洋の音楽とは別の仕方で「理解」することができて、聞き分けられることに齟齬を持たなかったのではないかな。しかし、そのような素養を持たない(なにしろ戦争と敗戦のためにそんな機会を持てない)となると、西洋の音楽に刻まれた彼らは日本の古来の音楽をアフリカや南アジアの音楽のように縁遠いものとして触れるしかない。
そして、この往復書簡でも「音楽」に「触れる」という体験というか感覚を二人は繰り返し言葉にしようとする。武満にとっては琵琶や尺八の名人の立ち居振る舞いだし、川田にとってはモシ族の太鼓ことばだし。そこには西洋的な理解のメソッドがないし、なにしろ生活と音楽が切り離されていないものだから、音を奏する人たちと生活をできる限り共有しないとわからない。いやそれでもわからない。言葉にしがたい。そのもどかしさを250ページ、12回の書簡で書いている。なので、何か認識が深まったとか理解が進んだということはなくて、終わりのころの言葉は始まりと同じで、始まりのときにはすでに終わりのところにたっている。そういう円環の迷宮をさまよっている感じ。読み終えても「わからないことがあることがわかった」としか感想がでてこない。
まあ、自分に引き寄せれば、これを読んで、フルトヴェングラーの「音と言葉」を思い出し、この二項対立では音楽は成立せん、そこに声を加えるべきだと中二病的な発想をしたものだ。のちに遅ればせながらワールド・ミュージックを聞くようになってアフリカのロックやブルガリアン・ポリフォニーやガムランなんかのCDを集めた。バブルの時代にワールド・ミュージックはブームになってたくさんCDがでて(WAVEというCDショップが特に熱心)、たくさん演奏会があったのだよ。でもって、それらの経験があっても、民族音楽やワールド・ミュージックを消耗品のように聞けても、やはり生活の一部のようにあるいは身体的なふるまいとして聞けるまでには至らなかった(たぶんこの国の民謡を聞いても同じ感想になるだろう。むしろビートルズなどのアメリカの商業音楽のほうが生活や身体的なふるまいには親しみを持つ)。
もう一つ、自分に引き寄せれば、この本を最初に読んだのは30代の前半のとき。そのときは武満徹の詩的な、連想を続けていくような科学とは違う論理のことばがよく「わかった」。というかいちいちにそくざに納得して、身体感覚の腑に落ちていった。ところが、20年を経過して読み直すと、ほとんど理解できなくなっている。そこが不思議だった。(まあ、仕事がら、科学的な論理と合理性に慣れ親しんでいるのが理由のひとつだろうと思う)。
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