odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジョン・ル・カレ「寒い国から帰ってきたスパイ」(ハヤカワ文庫) 冷戦時代、東西のスパイは組織のミッションの優先と個人主義をどう折り合いつけるかをはてしなく議論し続ける。

 1961年に東ドイツが西ドイツとの国境線に沿ってベルリン市内に壁をつくる。建設途中から西ドイツに逃れようとする市民がいたが、国境を警備する軍隊は容赦なく射撃した。西側からは壁の向うの東側の様子はほとんどわからなくなり、漏れ伝えられる情報では、容赦ない監視があり、ひどい人権抑圧があるようだった。そのうえ、集団的自衛権を行使するワルシャワ条約加盟国は西側をターゲットにする軍隊を各国に配備。軍事的な緊張が一気に高まる。各国はスパイを送り、情報入手に勤めていた。
 そのような状況はロシア革命のときからあり、ナチスドイツの壊滅後は、東西陣営が直接対峙することになり、スパイが都市の陰で暗躍していた。リーマスもその一人。イギリス情報部所属で東ドイツの情報部を統括する立場にいたが、数年前にひそかに通じていた二重スパイが発覚し、東側に射殺されるという失態を犯してしまう。責任をとることになり、帰国したリーマスは閑職に回される。孤独にさいなまれアルコールに耽溺して、解雇され、図書館のアルバイトをしていた。
 そのようなリーマス接触する男がいた。彼らは報酬を提示し、東側に情報提供するように言ってきた。リーマスは失うものはないと判断して、それに乗ることにした。オランダに行き、さらに東ドイツに渡る。リーマスを尋問するのはフィードラーという諜報部防諜局長の男。この男は優秀だが、長年の勤務で上司の副長官ムントを疑うようになっていた(フィードラーはユダヤ人で、ムントはユダヤ人嫌い)。リーマスの証言から、フィードラーはムントが二重スパイであるという確信を得る。フィードラーの疑惑に勘付いたムントはリーマスとフィードラーを拘束するが、すでにフィードラーはムントを告発していて、ムントの査問会になる。フィードラーの告発、リーマスの証言でムントの容疑が固まったかに見えたが、貧窮時代にリーマスを助けた共産党員エリザベスが証言にたち、リーマスの行動がムント失脚の陰謀であることが明らかになる。組織の手ごまとして動いてきたリーマスは、そのときもっと大きな絵を描いているものの存在と、この事件の絵と、自分の役割を知ることになる。

 1963年に書かれた世界的なベストセラー。スパイ小説は読み慣れていないので、以下の感想は的外れかもしれない。イギリスには以前からスパイ小説の伝統があり、さすがにディケンズ二都物語」を出すのは気が引けるが、モーム「アシェンデン」、コンラッド「密使」、バカン「三十九階段」、グリーン「密使」などをすぐに思い出せる。たぶんイギリスという国の歴史とかジョン・ブルの気質なんかによくあったジャンルなのだろう。この小説のスパイはどうやら組織のミッション達成を優先していて、命令を遵守、個の思惑や欲望は押し殺さなければならない。なのでときに私情よりも「公益」を優先することもある。拷問にかかって自白寸前の相棒を射殺することができるかみたいな選択を突き付けられる。まあ、読者のような日常に埋没して極限状況を経験することがないものには、このような問いを突き付けられる主人公たちに感情移入しながら、問題を回避できる自分に安堵するわけだろう。たいていのスパイは非情であるのだが、最後の一瞬に私情に目覚める。それが自己の破滅につながろうと、個人主義に回心する一瞬があるのだ。そこも読者の琴線に触れるのだろうね。
 物語はきわめて淡々と進む。情報提供者になることを承諾し、オランダから東ベルリンに入ってからの150ページは、リーマスとフィードラーのレーゼドラマ。上にある組織のミッションの優先と個人主義をどう折り合いつけるかに関して。まあレーニン共産主義の組織論からすると、組織優先は自明なので(笠井潔「テロルの現象学」など)、この議論は陳腐だなあ。当時の大衆には知っていることのちょっと先が書かれているので、重宝したかも。
 21世紀となってはこの議論も無駄になったし、なにしろ社会主義諸国が壊滅して秘密警察と軍拡競争がなくなっている。情報はむしろネットで収集、ときにハッキングをしてでも入手するものとなった。そうすると単身で危険地帯に潜入し、知恵のみで窮地を脱する単独者の冒険が成り立たない。1989年のベルリンの壁崩壊の時に、「スパイ小説ってもうリアリズムでは書けないよね」といわれたが、さて四半世紀たってどうなっているのか。このジャンルにはなじめそうな感じがしないので、問いかけまでしかやらない。


 1965年にリット監督により「寒い国から帰ったスパイ 」の邦訳で映画化。スパイといってもおよそかっこよくない独身男性がたんたんとかたりあう静かな、しかし緊張感のある映画。最後の査問シーンも、ソ連・東欧の傍聴人不在の裁判を思わせるような寒々しさで演出される。ベルリンの壁ができて数年後。壁を越えて脱出する東ドイツ人が多数いて、なかなか成功しないことが伝えられていた時代。映画の冷たさ(画面や人の描き方など)は当時のリアルだったのだろう。ほぼ同時期に、ヒッチコック「引き裂かれたカーテン」があって、自分は好きなのだが、やはりヒッチコックのはおとぎ話だった。「寒い国から帰ったスパイ」と比べると、分が悪い。