odd_hatchの読書ノート

エントリーは2800を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2022/10/06

深水黎一郎「花窗玻璃 天使たちの殺意」(河出文庫)

 ランス大聖堂はフランスのゴシック建設で三本の指に入る名建築。これに魅了された少年(18歳をそう呼ぶのは躊躇したいが、ここではそう呼ぶしかない)が、大聖堂を調べる。そうすると、建築様式から始まって室内装飾、浮彫彫刻、ステンドグラス(タイトルの「花窗玻璃」はその日本語表記)、さらには建築の歴史(なにしろ1000年に喃々とする歴史がある)、政治の歴史(歴代の国王はここで教皇から戴冠された)などいつはてるともない知識と人の営みが展開される。西洋の歴史は必ずしも古いとは言えないが、自然災害が少なかったために、町のいたるところに歴史的建造物が残っていて、簡単には置き換えられない。歴史が重層的にそこにあるというわけだ(と堀田善衛がどこかでもっとうまくいっていた)。少年のメンターになるのは地元の歴史学者。定年退職した独身の歴史学者は、知的興味のある日本人に喋り捲る。ときには大聖堂に無関心なものにいさかいを起こすくらいの激情を示しもする。ただ、この高齢の学者はシャガールのステンドグラスが展示されていることが気にくわない。芸術の伝統や技術を継承しない20世紀以降の現代芸術家は楽をしているというのだ。とはいえ、少年がシャガールのステンドグラスに対峙したとき、眼眩むような没入体験をするほどの幻惑感を覚えたものだ。

 さらに少年が大聖堂が気になるのは、この数か月に不審死が相次いでいること。下宿を管理する好色なオヤジが夕暮れに展望スペースから墜落。物乞いをする浮浪者が聖堂内で心臓麻痺。いずれも事故と片付けられたが、直前にシャガールのステンドグラスを見ていたことがわかり、呪いがあるのではとうわさがたっていた。なので、少年は残された管理人の妻やその娘たち、下宿する学生たちに話を聞く。ときにはピザを賄賂代わりに最初の事件の発見者であり、次の事件の被害者を知っている浮浪者から情報を得たりもする。
 2009年に書かれたミステリー。そう呼ぶには蘊蓄のほうが本筋に見えるほど大量の情報が詰まっている。こちらを書くほうが作者の狙いであるかのよう。それに加えて面食らうのは、フランスの出来事を書いているにもかかわらず、通常カタカナで書くべき外来語や固有名を漢語で書いていること。少年が漢語の造語能力に魅了され、中学生から明治時代の翻訳・小説などをよみあさり(なにしろシェイクスピア坪内逍遥の翻訳で全作読んだというくらい)、その文体で書くことに習熟している。その文体にすることによって、大聖堂の描写とそこでの様々な体験が文章化されるという。ここの趣向は成功していると思う。
 ただ、気になるのは語り手であり主人公である18歳の少年。彼はよい家柄の出自で金に逼迫しているわけではない(貧乏暮らしは本人の意図。いつでも脱出できる)。バイオリン、デッサン、語学などの才能で人を凌駕する。それはいいとして、本人がフランスにいるという明確な目的を持たず、過去の失敗や挫折をもっていないので、大聖堂や事件にかかわる積極的な理由がないのだ。どちらにも利害関係のない第三者として客観的・理知的なアプローチをして、それがゆえに「解決」を見出す。それは良いことかもしれないが、彼の「存在の耐えられない軽さ」は空虚でもある。イノセントで、他者との関わりを避ける在り方は記憶に残らない(同じパリにいた矢吹駆@笠井潔はそこにいる切実なわけがあった)。このような主人公は当時の(さらには70年代からのエコノミック・アニマルとしての)日本人像を象徴しているとおもう。歴史性のなさと政治的イノセンスをもった他者が共同体の問題を解決できる。おせっかいとか私的介入によって生じる迷惑には無自覚。そこは日本はしょうもねーなと思うし、21世紀の10年代以降はこういう優雅なホームステイを許す階層は日本からいなくなったなあと嘆息する。
 くわえて、物語の謎は全部説明がついてしまうのも、なにかもの足りなさが残る。「犯人」の経歴が犯行に関係しているとか、その小道具がたった一行だけ出てくるとかの小技はみごと。でもねえ、なにかの問題を読者に残さないので、再読する気持ちにならないんだ。それ以外のところが完ぺきなのにねえ。
(この読後の印象に近いのは久生十蘭。技術的には完璧な小説だけど、後に残らない。カタカナを使わないで漢字にルビを振るというのも二人の作家に共通。)

 

 

 最も印象的だったのは、この国では知られていないグイド・レーニの「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を先取りしているといわれる作品らしい。フェルメールの少女がなぜビザンチン風にターバンを巻いているかは謎だが、レーニの少女が布で髪を覆い、振り返るポーズをとるのはとても切実で重要な理由があった。その瞬間を切り取り、メッセージを伝える画家の業はすばらしい。

グイド・レーニの「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」

フェルメールの「真珠の耳飾りの少女