odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

ルネ・デカルト「方法序説」(山形浩生訳)-3 自分が真を納得したものだけを記述するというがデカルトくんは普遍史の影響下にある。21世紀にひとりで勉強するのは危険。

2026/01/16 ルネ・デカルト「方法序説」(山形浩生訳)-2 デカルトくんが隣で話しかけているような翻訳がよい。自分で考える、自分を判断基準にするというのは当時の危険思想。 1637年の続き


 前半は21世紀に読むと「あたりまえ」しか書かれていないように思える。それは近代がデカルトくんのような考えを継承発展していったから。「あたりまえ」とみるのは歴史の順序を逆にした見方。デカルトくんが生きた時代の読者のように読むと、彼はいろいろ謙虚や韜晦の語りを使って、かなり危ないことを言っているのがわかる。これがわかるにはそうとうにセンシティブな読み方が要求される、という感想。
 後半では、方法を確立したデカルトくんが探求の成果を披露する。

4.神と人間の魂の証明 ・・・ ほとんどの人がこの章に注目する。背景を確認しておくと、17世紀初頭は異端審問と魔女裁判の最盛期。プロテスタントカソリックを攻撃し、カソリックプロテスタントに対抗していた。でも信仰を疑うことはない。それを表明することは有形無形の迫害を受け、ときには殺される。デカルトくんがいたのはそういう時代。当然、デカルトくんは信仰を疑わない。
真理を探究するにあたって、疑問の余地があるものは棄却しなければならない。感覚は我々を騙すことがある。肉体は完全ではない。眠っている時の体験は真ではない。そうすると「Cogito ergo Sum」が確かであるといえることなのだ。面白いなあと思ったのは、在ることの根拠が「思う」であるというのは起きていることだということ。とするとたくさん寝ている乳児幼児はどうなの? 意思表示が難しい病気のひとはどうなの?とつっこみたくなった。あとここからだと、すでに死んだ人やこれから生まれてくる人にたいする倫理や道徳は導かれないと思うがどうなの?
不完全な自分が完全を考えるのはもっと完成度の高いものからそこに置かれたため(ここでは一行にまとめてしまったが、デカルトくんはもっとページを割いて詳しく説明している。そのやりかたはトマス・アクィナスのようなスコラ哲学でよくある論証方法。神の至高性に抵触するようなことは言っていない。デカルトくんの配慮、とみた)。5で動物には理性や感情がないので、人間より完成度が低いという話が出てくる。すなわちデカルトくんは、神>人間>動物>無生物のヒエラルキーがあるということをいっている。これは当時の「存在の大いなる鎖」という考えに即したもので、完全で複雑なものから形質などが脱落していって、下等なものに落ちていくという考えになる。これは遞降(ていこう、degradiation)と呼ばれて、進化論が出る前の生物哲学の基本になっていた。デカルトくんはこの考えを支持している。
(「コギト・エルゴ・スム」に関するラディカルな読み取りがあったので紹介する。加藤隆「キリスト教の本質」NHK出版新書による。「我あり」「私はある」「sum」は聖書由来(出エジプト記ヨハネ福音書など)で、神の名のひとつ。すなわちこの文章は(方法的懐疑などを使って)科学的に考える者は神であるという主張。それは神の権威を占有して権威を行使する立場=教会とは別の立場にある、教会の指導には服さないことを主張している、教会の権威からの解放を目指す世俗化の企ての一環とみなせる。カモフラージュ、韜晦、謙虚などを装っているが、とても論争的な文章なのだ、とのこと。なるほど、当時の聖職者にも同じ読みをした人がいたのだろうね。林達夫説(後述)によると、後の著作ではもっと穏やかな主張に変えているとのこと。)
 該当部分は以下のとおり。

「神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。( 出エジプト記3.14)

あとこの部ではどこまでも延長できる空間のアイデアが述べられている(もちろん複数の球体によって囲まれ分断されてているプトレマイオス宇宙論に対する挑戦。もっと露骨にプトレマイオスを批判したガリレイは投獄された。なぜもっと昔に地動説を主張したコペルニクスが無事だったかというといくつか理由がありそう。コペルニクスの宇宙観では惑星や太陽が通る球形の宇宙は他の宇宙と行き来できないというプトレマイオスの宇宙観を否定していなかった。彼がいたプラハはフス教徒などの反カソリックの運動があったところで、カソリックが手を出しにくなった。ガリレイとジョルダノ・ブルーノはローマから離れていないイタリア地方にいたので異端審問所が追いかけやすかった。など)。

5.肉体的な諸問題 ・・・ デカルトくんは、天文学、気象学、鉱物学、博物学分類学、解剖学などさまざまな学問をやっていた。こういう自然現象を観察記録することで完全体である神の働きをみられるから。でも肉体を調べてみると、魂の働きに依存した機能はまったく見つからない。思考のみに依存している部分もないので、神は肉体に魂を併合した(人間にだけ)と考えるという。心身二元論の始まり。また物質には形相や質料もないことがわかったという。当時のアリストテレス哲学の否定。最初に神は混とんとして世界を創ったが最初から完全なものを作ったのではなく、だんだんと現在のような存在になってきたと考える方がわかりやすいという。これをのちの進化論に結びつけるのは早計だけど、世界が変化していくことを認めようという主張。教会の教えに反していそう。こういうことをデカルトくんはさらっという。
その一方で、デカルトくんは、人間と人造人間(とはいっていないがそういうもの)と動物はすぐに見分けられるという。言語ゲーム(とはいっていないがそういうもの)ができることと一貫した合理的な行動ができること。これは神が理性を与えたのは人間だけで、人間は理性を外部に与えることができないから。21世紀になると、テクノロジーもサイエンスも三者の境界があいまいなのを明らかにしているので、デカルトくんのテストは有効ではなくなった。
最近の発見として心臓の働きをみよう(ということですでに棄却された説を述べる。デカルトくんは心臓をエンジンみたいなものとしてみていて、動物霊気(岩波文庫の谷川多佳子訳では「精気」)を心臓で温めて蒸気みたいになったのをポンプ作用で全身におくり、末梢で霊気が冷えて液体になった血液を回収するというようにみていたらしい)。
この時代には世界史を聖書の記述に沿って説明しようという普遍史が書かれていた。詳細はリンク。聖書のできごと(ノアの箱舟など)を科学的に記述する試み。ここから地球や太陽の誕生などを探求するようになった。デカルト普遍史を記述しなかったようだが、この部の議論は普遍史の範疇に入るのではないかな。
岡崎勝世「聖書vs世界史」(講談社現代新書) 
(追記。伊東俊太郎「十二世紀ルネサンス講談社学術文庫を読んだら、すでに12世紀に普遍史の思考が現れていました。)
18世紀までの科学は個人でやるものだったし、哲学との縁が切れていなかった。一方神学の側は、個人による自然現象の研究に警戒していた。観察や実験(は後のパスカルの時代になってから)の結果、帰納法で導かれる宇宙観が神学の体系に抵触するので。

6.本書を書いた理由 ・・・ とても謙虚なデカルトくんはここでいろいろと言い訳を書いているのだが、つまるところは、別の論文を用意していたが、似たようなことを書いた人が糾弾された(教会から異端審問の疑いをかけられて召喚されたのだろう)ので、怖くなってひっこめた。でも「私」の発見は世界に貢献できると自負しているので、フランス語で書くことにした。当時の学問はラテン語で書くのが必定。フランス語のような俗語は学問にはふさわしくないので、重く取り扱われないだろうという打算とイロニーがあったそうな。そうなんだろうけど、この部のおしまいでは、自著への批判はあるけど、誤解と偏見に基づくものばかりで参考にならない、なにしろ「私」はあたまがいい、他はバカばかりと、デカルトは婉曲に書いている。謙虚なふりをしながら挑発的で自画自賛があってほほえましい。41歳のデカルトくんは意気軒高でした。
というわけで林達夫の推理が参考になる。詳細はリンクで。
林達夫「歴史の暮方」(中央文庫)

 

 近代哲学の始祖、近代科学の方法論の提唱者、代数幾何学創始者デカルトくんにはさまざまな肩書、レッテルがついている。それは尊重しながらも、山形訳の洒脱さをうけて、もっと人間的なところを読み取ろうとした。またたいていの翻訳書の解説には載っていない当時の数学や普遍史の話題を添えてみた。17世紀前半のヨーロッパでは宗教戦争や内戦が起きていて、不安と恐怖の時代だったことも指摘した。オランダが世界システムの覇者で、例外的にここは寛容だった。デカルトはこのような世界情勢の中にいたことを強調した。これらの情報を加えると、少しはこれまでのデカルト像を変えることができるかな。
 俺がここに書いたようなことは、哲学専門家の書いたものからは出てこない(ように見える)。デカルトくんの考えが近代と現代にどうつながるかにおもに注目しているためのもよう。そうすると、21世紀に読むと「あたりまえ」にみえることが、宗教戦争と革命と異端審問と魔女裁判の時代にいかに異様で危ないものであったかがわからなくなる。デカルトくんの世界像の新しさに目を奪われると、当時の博物学普遍史などの今から見ると古い考えにいかにとらわれているかが見えなくなる。なので科学史や中世からルネサンス期の社会学を研究している人が解説するのもいいのではないか。


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