コロナ禍からNHKFMの邦楽番組を片端から録音して聞くという暮らしをしている。番組は優秀録音で、演奏者がどこに座っているかがわかるくらい。クラオタなので筝曲や琵琶などの器楽が面白い。能と狂言は音で聞いては面白くない。時間の都合で舞をカットしているから、謡いだけで、それではあの独特な発声になかなか慣れない。でも、BSで能を聞いて見て驚いた。「三輪」と「安宅」だけなのだが、舞台になるともう耳と目を離せない。こちらの集中力が試されるほどに時間の流れがゆっくりになるが、そのとても充実していること。こんな舞台体験は初めてだ。これはすごい。 そこで、世阿弥の「花伝書」を読む。20代に既読であるが、何にも判らなかった。
で、今回能の舞台を見たうえで、花伝書を読むととてもわかりやすい。

内容に触れる前に、能の歴史をみたい。花伝書にも解説にも能の歴史が書いてある(前者は伝承レベル、後者は昭和半ばころの研究を踏まえたもの)。俺がざっくりとまとめてしまうと(個人研究なのでまにうけないでね)、古代から近畿や中国地方などの西国に民間の舞台芸があった。簡単な筋を、セリフと音楽と舞で構成したもの。滑稽が主題で、役者は物まねの才能が要求される。一方、奈良や平安初期に中国の最新音楽が伝えられて、日本では雅楽として伝承された。それから500年くらいたち、京都に武家政権があったころ、民間の伝承舞台と雅楽が合体する新しい芸能が誕生した。民間の舞台をするものが武家に呼ばれて上演を繰り返すうちに、宮廷の音楽と合体し、上級武士の趣味にあうように変形・改良されていった。そのうちに武家向けの舞台芸を専門に行う家ができて、武士の隆盛と一緒に諸国に伝搬していった。花伝書を残した観世家が名家のひとつ。なかで14世紀にでた観阿弥が名人で名作家で優れた教育者だった。息子の世阿弥が親の言葉を集大成して、観世家のために秘伝にした(花伝書がみつかったのは20世紀初めになってから)。
なので能は武士のための芸能であることに注意しないといけない。民間芸能であるときは滑稽で物まね主体であったが、武士の芸能になると、厳粛さが求められる。物まねがうまいことが重要だが、それよりも芸事に取り組む姿勢が大事になる。芸に「花」を咲かせるために、役者(囃子方や謡いも含まれるだろう)は人生を芸にささげて、日常全部を芸の腕前をあげることに情熱を持たなければならない。なので稽古が大事。芸の稽古は人にみせてはならず、競技能(複数の家が得意な能を上演して、優劣を競う競技があったらしい)のときに披露するだけ。それで観客とライバルを圧倒しよう。
花伝書に書かれているのはこういうことだが、芸のために日常と人生をささげよというのは、武士道の徳目と一致する。役者の覚悟は武士のそれと一致する。
能は武士道の徳目を教え広めることを目的のひとつにしている。能の舞台にいるシテやワキは武士の生きざまを示す。それを見る武士は武士道を確認し、修練するために利用する。ギリシャ悲劇が民主政での政治学の教科書で実践の練習であったように、能は武士道の教科書で実践であるのだった。
(「安宅」をみれば、弁慶は家臣の模範的なありかたで、機転と機智は武士がもつべき教養とされるし、金剛杖で打たれた(ふりをされた)義経が弁慶を許し寧ろ賞讃するのも武士の棟梁のあるべき徳なのがわかるのだ。武士は自分に関係のない芸術として能をみたのではない。武士の教育と修養の目的をもつ舞台芸。なので、歌舞伎や新劇と並べることはできない。シェイクスピア劇やギリシャ悲劇と対比するなどもってのほかだと思う。)
花伝書の奥義は「花」だと思うが、21世紀の武士でないものにはきわめて難解に見える。それは正しいか。とりあえず解説者の言を引用しよう。
「『花』とは何か。申楽の舞台で芸術的な芸能を演じて、その歌舞を中心とする舞台美の表現が、観客に大いなる感動を与えて、効果を挙げた場合をば、「花」が咲いたとたとえているのである。」
「非常にすぐれていて、天下に認められるほどの者は、何を演ってもおもしろく、風体・型はそれぞれ違っていても、芸の態力はどれにでも現われ出る。この見物人がおもしろいと思うのが、「花」である」
「花というのは、見る人の心に珍しいと感ずるのが花である」
なんと興行での表現のことか、と拍子抜けになりそう。役者が芸を披露して、喝采を浴びる状態になることを「花」というのだ。テレビで能を見て名人の芸にうなるとき、言語化できない感動をもつ。それを「花」という。武士もまた自分の芸(槍とか弓とか馬乗りとか)を披露するのが職業である階層だ。役者も武士も芸をみせて、成果をあげ、賞讃されるのが芸を磨く目的なのである。そうすると花伝書の「花」が示すものは武士道が目的とすることと一致する。冒頭で年齢ごとの修練と教育方針を書いているが、それはまさに武士の一生と芸磨きに一致する。
(中世の武士は奥義書や作法などに関するテキストを書かなかった。それは花伝書と同じで、家や一族の中での集団訓練で口伝で伝えられるものだったから。一族郎党の結束は堅く、集団で生活するものだった。日常や生活で武士道を伝えるのだった。これが江戸幕府によって、武士は土地とのつながりを断たれ、一族の結束が失われ、棒給生活になる。そのために口伝で行われた武士道の伝達ができなくなり、テキストによる勉強が必要になる。「五輪書」「葉隠」などの武士道のテキストが戦国時代のあとの平安な時代にかかれたのはそういうわけがある。このあたりの武士の変化は以下を参照。)
高橋昌明「武士の日本史」(岩波新書)-1
高橋昌明「武士の日本史」(岩波新書)-2
菅野覚明「武士道の逆襲」(講談社現代新書)-1 人を切ってトラブル処理する特殊な少数集団の武士道は日本庶民の徳目とは無関係。
菅野覚明「武士道の逆襲」(講談社現代新書)-2 元武士らで構成される軍隊があまりにふがいないので、古式武士道に似せた全く別の明治武士道を明治政府は作り上げ、国民に強要した。
というわけで俺は能の奥義書を武士道の奥義書として読んだ。なお、花伝書は現代能を知るには不十分なので、別書を読まないといけない。
勢いで、能の謡本も読んだ。能の謡は200本余りあるというので、ちょびっとだけさわった。「安宅」「敦盛」「烏帽子折」「道成寺」「三輪」の5本。いずれも有名な能でどんな話かは聞いたことがある(「安宅」「敦盛」「道成寺」は歌舞伎になっているはず)。中世や能の息遣いで読むのは難しい。語句も今日とは違う意味がある。それでも、これらから武士道の精髄を読み取ることはできた。
芸の奥義書としては、内容はとても薄い。まあ中世のことだし、観世家には多数の関係者がいて口伝で奥義が伝えられていただろうから、この程度の凡庸な内容でよいのだろう。花伝書では
「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず」
が有名な言葉だが、これは「人に油断をさせて勝ちを得るのは、珍らしい原則の大きな効果」になるから、稽古は人に見せるな、奥義は他人に教えるなという意味。そうすれば、人の心に思いもよらぬ感動を催させることができるし、競技能で勝てるのだ。「人に油断をさせて勝ちを得るのは、珍らしい原則の大きな効果」を演じることなので、花を隠せ。つまり、自家を優越するための通俗道徳なのだよ。
もう一つ有名な言葉である
「能に序破急」「これやすき定めなり」
も一日に能を3から5演目上演するときに、演目を並べる定めにしろという意味。「序破急」に哲学的な意味はない。また
「初心忘るべからず」
も
「芸の内容が向上して余り大衆のおよばぬ芸ばかりになってしまうと、大衆の人気が無くなってしまう。それを防ぐためには、能をやる場合に、初心(やりはじめの未熟)であった時のことを忘れないで、そのやり方を思い起こして、時に応じ場所によって、愚かな大衆の眼にも、なるほどもっともと思うように能をやるということが、一座を成り立たせてゆくこつである」(現代語訳)
と身もふたもないような言い草。あくまで芸が観客にうけるかどうかが問題。役者の内面の刻苦勉励は重要ではない。謙虚であれとか思い上がるなとかの精神のことはまったく言っていない。
多くの人は花伝書の文句に過剰な意味を乗せすぎる。重要なことはテキストにできない/しないのが武士道のやりかたなのだ。
(上述のように花伝書の存在が知られたのは明治の終わりころ。関東大震災で焼失したが、異本が別に見つかり、昭和になって復刻された。この秘伝書が日本思想と芸術史の名著とされたのは、大日本帝国時代だったということに注意しよう。皇国イデオロギーにふさわしい本とみなされたから厚遇されたのだ。)
花伝書には「批判」という言葉が出てくる。今道友信『西洋哲学史』によると、花伝書が「批判」という言葉を使ったもっとも古い例(のひとつ)だそう。「社会的に地位の高い将軍や殿様が、当時社会的に地位の低かった能役者に対して」「演能の上手下手を判定」する意味で、「批判とは、つねに上位者が下位者に対して指図めいたニュアンスで評定すること」、「批判という日本語はもともと優位に立つ者が劣位者の作品の欠点を非難して価値を判定するという言葉」。これはヨーロッパの「クリティーク」とは異なる。クリティークは「いつもよいものを選び抜くという意味」。
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