この列島の中世は、政体から社会から芸能まで大きな変化が起きた。政体だけあるいは芸能だけをみていると、その変化の波及はよくわからない。芸能と社会の変化を以下の4つの点でみる。
中世のテキストである「方丈記」「花伝書」「徒然草」を読むときの参考。
勧進 ・・・ 律令制や幕藩政治がうまくいっているときは民間から金をあつめて再配分することはなかった。中世は古代の制度が揺らいでいて、近世のような中央集権制ができていないので、勧進と呼ばれる寄付集めが行われた。担ったのは勧進聖と呼ばれる修行僧。道徳と倫理の修行をしていたので着服や逐電しない信用を得ていた。僧侶は国家が認定するものであるが、勧進聖は寺社に属してはいても国家の認定はない。どの階級にも属さない無縁の人だったので、全国どこへでも自由に行き来できた。13世紀半ばから勧進は仏舎利開帳や説教、念仏踊りなどの興行を伴うようになった。民間の人は亡者の供養のために進んで喜捨した。猿楽は勧進興行と交わることで、夢幻能に変化したと著者は推理する。能の謡に登場する諸国一見の僧は勧進聖だろう。勧進興行は大名から平民まで一緒に見るものだった。階層や身分の区別がない自由な空間でもあった。
貨幣経済が普及して民間に金がたまるようになる。勧進はその金を集めて再配分する機能があった。民間活力をあげる経済活動だった。
天皇 ・・・ 古代末から中世にかけて触穢(しょくえ)思想が広がる。天皇は清浄でなければならず、ケガレは徹底的に排除されなければならないというもの。宮廷がケガレを排除したので(京都の周囲に境界を設定してケガレが入らないよう関をつくり祭祀を行った)、周辺でも真似するようになる。905年の延喜式でケガレ落しのさまざまなルールが規定された。天皇が清浄であるために、ケガレは非人(この時期は屠者や無縁者など)に押し付けられ天皇の盾になった。宮中祭祀に無縁の芸能者が参加する事例あり。とはいえ触穢(しょくえ)思想の展開によって、非人だけでなく障害者や業病人もケガレとされたり、異人(「外国人」)は鬼とされ入れないようにし、朝鮮を独立国家と認めないのも定着した(やれやれネトウヨや愛国右翼の考えは千年も前からあるのか)。
申楽は古代に中国から入った。曲技(アクロバット)、幻術(マジック)、滑稽戯の三種類があったが、前の二者は列島ではウケずにすたれ、10世紀ころに猿楽となった(ここまでは世阿弥「花伝書」の記述も同じ)。宗教劇とまじって現在に伝わる仮面劇になった。
連歌 ・・・ 古今集が和歌の頂点で、新古今集(1200年ころ)で言語実験(主に象徴主義)をやりつくした。そのあと新古今の中枢たちが連歌を始める。発句を宗匠が出した後、連衆というプロがつづけたのち、アマチュアや参加者が次の句をあげ、規則通りかを確認して宗匠が認定する(ダメなのは捨てられ次の句を募る)。一つの世界を追いかけながら、別の意味に切り替えたりするので、参加者は批評と役者的想像力が必要。連歌は武士や下層の百姓(資産持ちや実業経営者)にも流る。これで教養と古典の知識を得て、列島の文芸のベースになった(識字率向上にも関与)。武士にもなじみやすく、ときには戦勝祈願の呪術としても開かれた(例は明智光秀)。大規模な連歌会は視聴者にも開かれていて、居合わせた人々が句を挙げることもできた(その際蓑を着て、所在不明の透明な存在になる:「隠れ蓑」)。連歌をする集まりは一揆をする集まりと重なった。一揆は人間の新たな結合の仕方。地縁や血縁の共同体とは別の結合をする。
禅 ・・・ 13世紀中ごろから中国の禅僧が列島や朝鮮に行き、それらの国のエリート禅僧も中国に行った。日朝中で学者のコミュニティができコミュニケーションが取られていた。元寇のころで政治的には緊張していたが、民間の交易は活発に行われた。禅が列島に伝えられると、まず管枕の東国武士が受け入れた。死後の世界を認めないとかこの一瞬の生の充実が大事とかが武士道に触れたのだろう。禅と連歌が鎌倉で流行。この文化複合から、キンキラキンのバサラができ、京都に伝えられて流行った。禅のほかにも中国の文化や文物が大量に入ってきて、文化も影響を受けた。
歌い方が一字一音になり長編歌謡ができて、演劇に仕組んだのが能。世阿弥は禅の影響を受けている。
政体の変化や権力奪取の闘争で描かれる中世はおもしろくない。登場人物のほとんどはなじみがない。大きな影響を社会に与えたともいいがたい。後世に残すような仕事もほとんどない。でも、本書のような中世の解説本はめっぽうおもしろい。
おもしろさの理由は列島にはほとんど現れなかった〈自由〉があったこと。古代には帝国が隅々まで浸透して、人びとは地縁や血縁の共同体に縛り付けられていた。近世になると幕府の中央集権制がこれもすみずみまで浸透して、非人ですら権力の支配下に置かれた。ところが中世は権力が複数にあって、どこかが大きな力をもっているわけではない(少なくとも東国と西国、天皇と幕府に権力は分散していた。その影響力は地域によって濃淡があって、地域・周辺はどこにもついたり外れたりした)。身分は固定化されているが、抜け穴はある。権力の濃淡の違いを利用したりして、権力の勢力の外に出ることが可能だった。
参考エントリー
網野善彦「日本中世の民衆像」(岩波新書)
網野善彦「日本の歴史をよみなおす」(ちくま学芸文庫)-1
網野善彦「日本の歴史をよみなおす」(ちくま学芸文庫)-2
「遁世」「無縁」「連歌」「芸能」などは権力の支配から逃れて〈自由〉であるときのキーワードになる。具体的なことは本書を参照。都市のエリートと住民がどういう社会を作っていたんの想像力がます。中世のテキストを読むときに本書があると便利。
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