odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

ファーガス・ヒューム「二輪馬車の秘密」(扶桑社) 丸亭素人と横溝正史がカットしたロマンスがこの小説の本道。日本人男性が訳すとミソジニーがあらわになる。

 ファーガス・ヒュームの「二輪馬車の秘密」を読了。
 19世紀にもっとも売れた探偵小説なのだそう。とはいえ、作者の報酬はちっぽけだった。そのかわりに生涯140冊の本をだすことができた。何が幸いするか、わからない。

「7月12日は、オーストラリア人作家ファーガス・ヒュームの忌日。 / 劇作家だった彼は、ガボリオの影響で書いた「二輪馬車の秘密」をメルボルンで自費出版した。 / 英米での出版権を50ポンドで売った為に、その後の世界的ベストセラーからの見返りは無かった事は良く知られている。」
https://x.com/suigan3/status/1812655133186277688

 でも21世紀に残っているのは「二輪馬車の秘密」だけ。AMAZONをみると、邦訳もちらほら。英語版は数十冊が出ている模様。

 この国では過去に4回翻訳されている。丸亭素人「鬼車」1905、横溝正史1930、江藤淳ら1960、本書の高木直二2019。このうち丸亭素人と横溝正史訳は読んだ。

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 丸亭素人訳の再刊で高木直二がつけた解説によると、

「興味深いのは、丸亭素人も横溝正史も、謎解きに関係ない記述――聖書やギリシャ神話やシェイクスピアからの引用、恋人同士の会話、ユーモラスな登場人物、メルボルン市街の描写など――を大胆に削ることによって、ミステリーとしての完成度を高めようとしたことである。」

とある。高木直二訳は全訳なので、前の訳者がカットしたところも翻訳されている。読み比べると、圧倒的に全訳がよい。それも前訳者がカットしたところがあることで、ヒュームの「二輪馬車の秘密」がベストセラーになったことがわかった。
 探偵小説としての純度を高めた時の本書のストーリーは前のエントリーにある。前訳者がカットしたところを復元したものだと、もうひとつのストーリーが進行しているのがわかる。すなわち、シドニーの実業家の娘マーガレット(マッジ)は恋人がいるのに、イギリスから最近きたばかりのオリバー・ホワイトに求婚されて困惑していた。それがある夜、オリヴァーは二輪馬車の中で殺されてしまう。その時から父は無口になり、婚約者ブライアンが神経質になってマッジにつれない。警察の捜査によって、ブライアンが被疑者として逮捕される。彼にはアリバイがあるのだが、警察の尋問にも弁護士との打ち合わせでも頑として口を割らない。このままでは死刑だというところ、事件当日、ブライアンが訪れていた貧民窟の娘が裁判に出廷して、ブライアンの無実を証明した。死刑を免れたのにブライアンは依然としてナーバス、そしてオーストラリアから逃げ出そうという。さらに困惑するマッジ。そのうえ父も疲労を隠せない。事件当夜にブライアンが忍んでいった先にはある老婆がいて、死に際にマッジの父の秘密を暴露した。それを聞いた弁護士と秘密に捜査していた刑事は事件の真相に思い当たる・・・。
 ここではシドニーの成金一族の家族模様が大事。事件とその後の捜査で明かになるのは、ロス・マクドナルドのリュウ・アーチャーものとほぼ同じ。過去の出来事を封印していたのが、その家族を支える基盤を崩していた小さなきっかけで壊れてしまった。ストーリーではほとんど存在感がない父(の権力)をいかに乗り越えるかがテーマなのだ。このストーリーでは捜査を担当する刑事たちは脇役であり、未熟なブライアンとマッジが主役だ。彼らの障害が多いロマンスが成就するのか、ちゃんと結婚に至れるのかが読者の主要な関心なのだ。そこに、犯罪者であっても無実であるならば社会から指弾されてもなお愛しうるかという問いもある。
 そこにイギリスの植民地であるオーストラリアの風俗を知るという観光小説が加わる。イギリスの対蹠点にあるオーストラリアは行こうとすると数か月はかかる。そこにイギリスと変わらないような町があり、住む人々も「本国」と変わらない生活をしている(先住民やアジアの移民はいないことになっている)。そういうのに興味がわく。
 1886年ではまだ探偵小説のフォーマットが固まっていなくて、探偵趣味がある風俗小説や家庭小説として書かれた。ガボリオ、ボアゴベばかりが有名だったところに英語で書かれたものが登場したというのが評価点。明治や昭和の訳ではなんで乱歩が名作扱いしたかわからなかったが、全訳を読んで疑問氷解。ディケンズやコリンズの系譜にある小説でした。
 自分がメモしたいと思ったのは、マッジがピアノを弾いているところ。メンデルスゾーンの無言歌が陰気なので別の曲にしろと父に言われる。選んだのがオッフェンバックの「美しきエレーヌ」のアリア。別の場所ではヨハン・シュトラウスのワルツを弾いている。イギリスの流行から少し遅れた曲が弾かれているのがおもしろい(上述の曲はメンデルスゾーンを除いて1860年代にヨーロッパで流行った)。キャラ達はよく本を読んでいて、ガボリオ、ボアゴベ、アンナ・キャサリン・グリーン「リーヴェンワース事件」1878が口の端にのぼる。ああ、名作かどうかはでればすぐに判別できるのだなあ。このような細部が小説の面白さなのだ。想像力が喚起されるところなのだ。それをカットした丸亭素人や横溝正史の訳が記憶に残らないのもあたりまえだ。
 さらにカットがある過去の邦訳に文句をつけると、日本人の女嫌い(ミソジニー)があらわになるところ。事件のカギを握るのは貧民窟に住むアル中の老婆(マザー・ガタースナイプ)。21世紀の全訳では口やかましいが滑稽でもある女性。でも明治や昭和の翻訳では、安達ケ原の鬼婆、妖鬼、魔女になってしまう。吝嗇で他人に攻撃的で無知な老婆にされてしまう。あるいはヒロインのマーガレットもブライアンの言いなりになるか弱いつつましい女性にされ、ブライアンを救出する貧民窟での少女(サル・ローリンズ)も粗野で無知な悪ガキにされる。原著ではそれぞれが個性をもっていて、人間らしい描写になっているのに。明治や昭和の男性には無意識のミソジニーがあって、女性差別的な表現になってしまう。
(それは翻訳小説だけではなく、日本の近代小説全般に言えること。このブログでも夏目漱石、福永武彦らのミソジニーはずいぶん指摘してきた。たぶん、日本の近代化は男性優位社会化とセットに進められた。帝国臣民は自発的にミソジニーを内面化して表現していったのだ。)

 

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