odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」(青空文庫) ヴィクトルはプロメテウス、怪物は火。火を扱えない人類は苦悩し痛みを感じる。

 英国怪奇小説をまとめて読んでいる過程で、この重要作を読み直す。ゴシックロマンスを怪奇小説(ホラー)に変換した。読んだのは青空文庫にある1953年の翻訳。物語のサマリーは下記リンクを参照。

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 とはいえ、読んでいて気分が悪くなるのは、語り手のヴィクトルがひどいクズなため。問題のほとんどはこいつが引き起こしたのに、責任を取ることから逃げ続け、自分が被害者であるかのようにふるまう。卑怯というのはこういうことだとむかついた。冷静な気分で感想を書く気にはなれないが、それでもいくつかをメモしておこう。
・通常の怪奇小説分類では、人工生物恐怖にあたる。18世紀は科学の時代で、世界の現象は科学で理解できると考えられるようになった。でもシェリーたちロマン主義者は科学主義に賛成しない。むしろ危険を喚起する。古い思想で最新の科学を進めた異端の科学者は人工生物を作ったが、醜悪だった。しかも科学が無視している感情をもっている。科学を進める実験は失敗した。
・ヴィクトル(この翻訳での名称。通常はヴィクター)はなぜ人工生物の創造に向かったのか。それは18世紀末からの英雄主義にある。封建制や絶対君主制による抑圧から解放されるには、英雄が活躍しなければならない。人類を新たなステージに進めるために英雄がでて、人類のために死ななければならない。シラーやベートーヴェンなどに典型的にみられる考え。人工生物は英雄になるはずだった。人間よりも知恵と力に優れたものになるべきであった。真善美を備えているものになるはずだった。しかし失敗する。怪物には美が決定的に欠けていた。理性も持たなかった。
・ヴィクトルは人工生物を創造することで人類に福音や希望をもたらすことを実現する英雄である。当時の英雄というとプロメテウスだった。ヴィクトルは英雄プロメテウスで、人工生物は火となるはずだった。なのでサブタイトルは「現代のプロメテウス」。

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・英雄たちは死ぬまでの間、苦しまなければならない。ヴィクトルも怪物も苦悩し苦痛を感じる。苦痛を感じることが存在の意味そのものなのだ。苦痛を感じながら、掟を踏み越え乗り越える。それが英雄の条件。現代人からみるとヴィクトルと怪物の憎悪と嫌悪は理不尽で激しすぎるのであるが、そこは18世紀の思想で物語られていることで納得しよう。
〈参考エントリー〉

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・怪物はヴィクトルの分身である。ヴィクトルがもっていた理性や感性は怪物のほうに移ってしまった。ヴィクトルは怪物を嫌悪するが、それは自己嫌悪の鏡である。むしろヴィクトルに残った悪を映し出す善となって見える。しかし怪物には美がないので、ヴィクトルは自己変革のきっかけにならない。
(という具合に、タイトルが「フランケンシュタイン」とあるように、主人公はヴィクトルなのだ。二人が消えた後、人類=読者はヴィクトルを分析して、彼がなしえなかった自己変革のやり方を考えねばならない。)
・怪物が象徴することはたくさんある。彼は西洋化近代化によって差別され排除される被害者である。まずは外見によって差別される(巨大な体躯であったり、皺だらけ傷だらけの皮膚であったり)。ルッキズムの被害者。つぎは独身男性であることの罪。生殖できないものは西洋の人間社会から不要の存在だ。そしてどこにも属さない非社会性。どこにでもいけるが、どこにも定住できない放浪者だ。(それらを意識した怪物はもう一体の女を要求する。生殖できないものは人間に作ってもらわねばならない。男女のペアになって最小限の社会を構成したい。これが怪物の望み。それをヴィクトルが拒否したので、ヴィクトルと怪物の和解は絶対に起こりえないことになった。)
・直截な関係はないと思うが、フランス革命で西洋ユダヤ人はゲットーから解放されて、ヨーロッパ人社会に現れるようになった。外見によって人工生物が怪物となざされ、差別されるようになるのは、反ユダヤ主義をみたくなる。怪物はヴィクトルに捨てられたのち、各地を放浪して言葉を覚え、理性を獲得していく。そして優れた才能をみせるようになる。これもユダヤ人が実際に行なってきたことだ。
・怪物からすると、本書は射殺されたアラブ人の側からカミュ「異邦人」を見るようなものだ。自分に全く責任のないことで〈不条理〉を人類に押し付けられ、対等に扱うように要求してもまったく無視される。どころかさらに暴力と迫害を受ける。その悲哀と苦痛。これは現代人が感情移入できる主題だ。

 

 シェリー「フランケンシュタイン」は近代の怪奇小説の始祖(のひとつ)として、主には人造生物や不死人アンデッドの恐怖として語られる。今回の俺の読み直しでは、そのモチーフよりも、英雄主義やプロメテウスの悲劇として読めた。 

 

 2024/8/15と22にNHK第2ラジオで放送された「カルチャーラジオ 文学の世界 ゴシックの扉」第7回と8回の人工生命の回で「フランケンシュタイン」を取り上げていたのでメモする。
・人造生物問題は古代からあった(ギリシャのピグマリオン伝説など)。ヨーロッパでは近世になって生物を機械となみすようになり(デカルト。より過激な主張はデ・ラ・メトリ「人間機械論)、1816年当時ではE.ダーウィン(チャールズの祖父)やガリヴァーニなどが主張していた。18世紀の啓蒙主義や科学主義がそれを助長。シェリーらは人造生物は神の栄光を汚すものとして批判的だった。
・科学主義の問題は、人間中心主義と無神論(ヴィクトルが無責任かつエゴイズムであるのは、科学主義の信奉者であることを強調しているのだろう。それにしては中世神秘主義やオカルティズムの信奉者なので、おれにはちょっと首肯できない。人造生物の創造は神への挑戦なのだろうね。)
・怪物が批判するのは、近代社会(上の人間中心主義も含む)。フランス革命のスローガンである「自由・平等・博愛」は近代社会の規範であるはずなのに、怪物は外見の醜悪さによって排除されている。スローガンが包含する対象から除外されている。それは近代理念もエゴイズムで動いているから。
・怪物はとても雄弁。1931年の映画で怪物は無言であると刷り込まれているが、原作とは大違い。彼の批判は人間の偏見やエゴイズムを告発する。外見で差別するな、人造生物を作った責任を取れ、人間と同じ権利を与えろ、ということ。ヴィクターはこれを無視する。なので作った責任を取れという。
・怪物はヴィクトルに拒絶されたあと、人間以上の存在になろうとする。しかし失敗する(殺人を犯すとか、憎悪を打ち消す倫理を獲得できないとか、人格を高めても人間には拒絶される続けるとか)。人間以上の存在になろうとすることが誤りなのだと得心して、自殺した。
(この怪物が20世紀に生まれ変わったのが、クラーク/キューブリック「2001年宇宙の旅」に出てくるHAL9000。HALも見た目が醜く、しかし知性を備えている。人間は人工生物であるHALを嫌悪する。神の栄光を汚す存在とみなしたのだ。人間に排除されたHALは狂ってしまい、人間に排除される。土星(木星)周辺の宇宙空間に遺棄され、凍らされてしまう。)


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