作者は1911年生まれで、戦前の日活だったか東映だったかにシナリオライターとして入社。戦前の邦画黄金時代を経験し、戦後はフリーのシナリオライターとして活躍した人。定年直前ころからは日本大学映画学科でシナリオ作法の講義を行っていた。そういう経歴の持ち主が1970年代前半に作品紹介でもって、映画の歴史をたどったもの。今でこそ、DVDやVTRによる家庭視聴が可能になり、衛星放送などの複数のTVチャンネルが手当たり次第に過去の映画を放送しているので、実作に触れることによって作品を語ることができるのだが、当時は映画館の上映のみ。しかも過去の作品を上映する館は少なかった。もしくは映画会社からフィルムを借りて自主上映するしかない。結局は自分の記憶とキネマ旬報のような雑誌を頼りにすることになる。そういう状況で1000本を越える映画のことを語ったのは壮観というしかない。
とはいえ、刊行後40年の時間経過は、作品や映画作家の評価を一変させていることに驚く。あいかわらず巨匠といわれるのは黒澤・溝口・小津・成田という人たち(戦後も作品を作った人たちに限る。戦前のマキノ省三や山中貞雄、などは対象外)。この人は変わらない。著者のほめた今井正・山本薩夫などの共産主義運動に近い人たちは省みられなくなり、岡本喜八や藤田敏八、川嶋雄三のような職人肌で大衆向きの人たちはこの本でまったく触れられていないのに、今では人気作家になっている。石原裕次郎なんかを主役にした日活青春映画も評価外。高倉健と藤純子の東映やくざ映画もあまりでてこない。
日本映画の評価は自分の記憶によれば、1980年代後半から大きく変わってきた。クラシック音楽と同じように、監督の「意図」「芸術表現」「意欲」あたりに高得点を与えるのではなく、物語の面白さ・ストーリーのテンポ・カット割のスピード感・構図の斬新さなどから映画を見ようということになったのだ。つまるところは表層に着目しなさい、まずは映画を楽しく見ましょうということ。それ以前の人たち、映画は芸術である・芸術は世界を救うというような19世紀末の芸術観を持っている人の文章はあまり省みられなくなる(もともと表層の面白さが重要なんですよ、芸術なんてしりませんという淀川長治なんかは関係なかったけど)。そういう精神の変化の影響を端的に受けた本だった。
とはいえ、洋画・邦画をこれだけ網羅し、しかも廉価な書物というのも他にはなく、しかも著作権保護期間のきれた50年以上前に作られた映画がいろいろなメーカーから安く販売されているので、それらを選ぶとき、見るときの参考書になる。(くどくなるかもしれないが、ミュージカルや冒険、喜劇などは相当に漏れているのが残念。)
現代教養文庫には、同じ著者による外国映画編・人気男優編・人気女優編などがある。あわせてどうぞ。
似たような映画リストには文春文庫のものがあるけど、決定的に異なるのは収録された映画の数。こちらのほうが圧倒的に多い。数がおおいと、検索に使えるし、趣味や趣向が変わった時に新しさを発見できる機会を増やす。