odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

松本泰「清風荘事件」(春陽文庫) 悠々自適なディレッタントが書いた探偵小説は上流階級を描いた英国風味。当時の読者とは趣味が合わないので忘れられた。

清風荘事件 ・・・ 牛込の「清風荘」と名づけられたアパート(今でこそ安い共同住宅の意味になっているが、当時は欧米風の最先端モードだった)。そこに住むK大学出身の若い男性二人。一人は志操堅固な堅物で、もう一人は青春を謳歌するモボ。女性をめぐる喧嘩のあと、後者の男性が刺殺される。このアパートにはそれぞれ出身の異なる連中が暮らしていて、さらに大家の娘は殺された男と関係を持っていた。錯綜する状況から、真犯人が現れる。残念だなあ、長編のシノプシスを読んでいるようで、この3倍の長さがあればそれぞれ個性的な人物たちが描ききれて、英国風の探偵小説になっただろうに。

男爵夫人の貞操 ・・・ 谷男爵は10歳年下の妻と結婚して6年を過ぎたが、このところ妻と自分に関する悪いうわさを聞くよういになった。そこで、妻の交情を探偵することにした。同様に、妻もまたよからぬうわさに悩む。結婚前に付き合っていた男がよりを戻そうとしていたから。貞淑な妻のおずおずとした冒険。それに巻き込まれてひどい目にあった役者。探偵小説というより、行き違いが混乱生んでいくユーモア小説ですな。明治からの華族は資産を持って悠々自適であると思っていたら、谷男爵は会社勤めをしているのであった。

毒杯 ・・・ 上流階級の集まる花園倶楽部。主催するテニス大会の当日、カップにカクテルを入れて回しのみをしたら、最後に飲んだ優勝候補が毒死する。彼は女たらしで辣腕の事業家だった。そこにはテニスのライバルと彼を振った女性、事業家社長がいた。さてどうやって衆人監視の状態で毒をもったのか。しかし作者はそこには興味がなく、死者の周辺の恋愛関係などを描く。昭和前期のブルジョア、上流階級がどのような優雅な生活をしていたかがわかる一編。
翠館事件 ・・・ カフェの女給は言い寄った男のラブレターをたねにゆすりをしていた。そんな男の一人の家に賊が侵入、あわせて女給も死体で発見される。事件の真相はあっけないが、父と子の確執と和解がなされた。ハートウォーミングなショートショート

赤行嚢の謎 ・・・ 人付き合いのない一家で主人の刺殺死体が発見される。妻が失踪。さてその結果は、というと・・・ 20世紀に書かれたとは思えない19世紀風の犯罪物語。

一羽墜ちた雁 ・・・ 競馬場裏で女給の死体が発見される。彼女の勤めていたカフェの向かいに住む男が探偵をして、深層を発見。

暴風雨に終わった一日
宝石の序曲
謎の街 ・・・ 以上ショートショートのような掌編。

 松本泰は明治20年生まれで英国留学(というより外遊)の経験があり、大正の終わりから探偵小説を書き、昭和14年に亡くなった。1920年代のこの国の探偵小説書きとしては例外的に年のいった人。どうやら資産家でもあったらしく、たとえば自宅周辺の人たちと英国風の倶楽部をつくってテニス大会を開いたり、雑誌を刊行したりと悠々自適な生活をしていたらしい。そのためか、彼の書いたものは、昔を向いている。上記の感想にもあるように、彼の手本にしたのは20世紀初頭に書かれた英国ミステリであるらしい。舞台は上流階級や華族、資産家。事件は陰惨であるものの、それによって生活ががらりと変わるわけではなく、変わるのはそれぞれが抱えていた問題が顕になること。謎解きの論理性とかトリックの斬新さには目もくれず、事件に居合わせた人たちの心理を描くことに熱心だ。たぶん彼の書きたかったのは、上流階級の人たちの心理小説だったに違いない。誤算だったのは、作者の想定した読者がいなかったことだ。ようやく固定資産を持つようになった上流階級は俗物的な趣味しかもたず、すぐさま世界不況で逼迫してしまったし、探偵小説の読者は若い知識人で上流階級の余裕とは無縁だった。それが彼の不幸だったのだろう。たぶん彼のお手本はアーサー・モリスンあたりになるのだろうが、松本の環境はモリスンとは違っていた。
 もうひとつの弱点は、短編であっても人物をたくさん登場させること。そのために個々の人物の印象がずいぶん薄くなる。個性があるというか、生きている人物を思わせるというか、そういう人物はいない。「いいとこのお嬢さん」「若いハンザムボーイ」「蓮っ葉な女給」「頑固な父親」そんな記号のごとき人しか描かれない。しかし作者の興味は、異常な状況に陥ったときの人の心理と韜晦したおしゃべりにある。それを書くには枚数がいる。彼がやりたいことを十全に発揮するには長編を書くしかない。しかし、彼は長編をかけないし、購入する読者もいない。そこもまた彼の誤算。誰ににているのかなあ、と思ったけど、たぶん英国の学者が余技に書いた探偵小説だ。「赤い館」「矢の家」「学校の殺人」などなど。そんな余裕のあるところ(支持する読者がいて、出版する会社があって、評価する批評家がいてということ)で書ければよかったのに。
 というわけで、探偵小説的ではなくて、風俗小説として読むと興味深い。昭和の頭のころの銀座、日本橋あたりをたむろするモボ、モガの生態(江戸川乱歩と違って作者は浅草に興味を持っていない)。女給のいるカフェ、映画館、洋食、マントルピースのあるような洋館、最新のアパート、そのころの雰囲気がわかる。乱歩なんかよりずっと上品で、高級な世界なのだが。

「暴風雨に終わった一日」には、日本に紹介されたばかりの蓄音機が描かれている。当時、蓄音機は家に置くものではない。スピーカーの代わりに大きなイヤホンを耳にあてる。それは縁日などの露店に置かれ、人は金を出して一分ほどのSP録音を聞くのだった。存在は知っていたが(倉田喜弘「日本レコード文化史」、吉見俊哉「「声」の資本主義」)、文学で描かれたのを見たのは初めてと思う。
小林秀雄「モオツァルト」(角川文庫) - odd_hatchの読書ノート
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