中国の歴史上のよく知られた人物を史実・史書にできるかぎり近づけて書いた短編集。
彼らの問題をわれわれの問題にからませて書く力、みごと。とりわけ「項羽の自殺」「孟子妻を出す」「賈長沙痛哭す」の3編が知識人のあり方をよく捕らえている。「人、中年に至るや」の褜容同様、現代中国を支える人々は「問題」を丹念に粘り強く抱えている。軽佻浮薄で、すぐに流行を追う我々を反省(我々はどう「問題」をになうかが問題なのだ。我々を取り巻く状況では「問題」すらも軽々しくする。
以上1985/01/21記-----------
中国の歴史上のよく知られた人物を史実・史書にできるかぎり近づけて書いた短編集。
老子 函谷関に帰る ・・・ 道徳経を書いた老子、砂漠にでるも黒牛をなくす。かつ、無の教えのむなしさを悟り、道徳経(老子)に価値のないことを解く。道徳経の教えにいたく打たれた関所の役人は、俗な老子をくさす。
荘子 宋を去る ・・・ 妻に死なれた荘子は塾を閉鎖して一人暮らしを開始する。しかし世俗の風は冷たく、彼は草鞋をしゃぶって飢えを渇することしかできない。人間の滋味に触れたいという欲望を持つ。かつての知己、現在の宰相に会うつもりで出かけたものの、宰相は自分の地位を奪うものと荘子を恐れる。人間の滋味もそんなものだ、という述懐。「荘子」を存分に引用して書かれた小説についての小説。世俗と切り離されたご高説は単なる世迷いごとであるとでもいうのかしら。
孔子 粥にありつく ・・・ 諸国漫遊中の孔子一行。空腹に耐えかねて瓜を食ったが、農民にとがめられる。包囲されたまま7日間、飯を食えない。顔回のとりなしで粥にありつく。孔子は顔回が粥を救うのを見てとがめる。顔回の報告は、論語に記されたとおり(?)、煤のついた粥を捨てるのが惜しいので口にいれたということだった。ここまでは論語のとおり。ポイントは最後の一文。孔子は顔回をとがめたことをわびたことで、一同の総帥であることが継続することに満足する。うーん、偉大な人物も権力の妙味から開放されることはないというのかな。
孟子 妻を出す ・・・ 孟子、孔子を師と仰ぎ高潔であろうとするが、妻への情欲を断ち切ることができない。なるほどクリングゾルの悩みといっしょだ。ポイントは、孟子の妻は孟子を聖人君子とするためには身を捨てる覚悟をもっているということ。妻は孟子の下を去る。なるほど道徳とは説くことではなく、実践であるということか。妻に去られた孟子は政治に身を投じようとするが、おそらく彼の説く道徳は妻が実践したものではないはず。自分のできないことを他人に強要しようというものだから。
始皇帝の臨終 ・・・ 諸国漫遊中の始皇帝、癲癇の発作によって死期に至る。彼の思念は過去に向かい、彼が墳殺した数百の人、火中に投じた幾万の書物、僻地に投げた子のことに向かう。ようやく「人間」的な述懐と反省にいたるも、彼の腹心たちは新たな権謀術策にふける。ということで、悪魔のごとき始皇帝にも「人間」的なところがあったのかもしれない、というこの小説は歴史評価をひっくり返すものであった。
項羽の自殺 ・・・ 劉邦との戦いに敗れ、長江のほとりにでた項羽。亭長の進める小船に乗ることを拒否し、漢人に切りかかり自殺する。そこまでは史実。著者は亭長を文人とする。彼は項羽を殺すために来たのだった。この自分のために他人を利用してきた男、最後に惻隠の情を示す。それに打たれた亭長、長い項羽批判をする。項羽は始皇帝よりももっと酷いことをした。他者を己の手段とするな、目的とせよ。自殺は人のためには役に立たない。
司馬遷の発憤 ・・・ 劉邦が漢王となって数年後、司馬遷は辺境の戦ごとに巻き込まれて宦官となる。後に文才を認められて中書令に任じられる。獄につながれていたとき、だれも彼を見舞おうとしなかったのに、中央官僚になったとたんに、へつらうものがでてくる。そういう一人が彼の元にきたとき、憤慨して長広舌を放つ。政治家や軍人は一代かぎり、しかし文人はその書によって千代の生を受ける。というたいそうな気概であるが、彼もまた自分に得意となる一俗人であった。やれやれ、というところか。
賈長沙 痛哭す ・・・ 項羽から3代目、漢の文帝の時代には宦官による官僚制がしかれていた。そこに現れた賈長沙、文帝の息子の教育係りとなり、文武の教育をよくするが、首都に向かう旅上、不慮の死にあい、宦官のそしりを受けて、逼塞する。結核が胸を患わせ死を待つばかり。なぜ老人どもに邪険にされるのかと長嘆息するに、夢に屈原が現れ、世の人よりすぐれたものは蚊や虻にそしられるのだ、あんたは強いのだから気にすることなかれ、われわれは千年を生きることができるのだ。か長沙は死ぬが、夜明け前の東の空が明るい。
以上、8編。1920-40年に書かれたのであるから、当時の共産主義者と知識人の迫害と重ねて鑑賞することになる。もとになる中国の歴史や故事を知っていることが前提。