コネチカット州ニューイングランドの田舎で、女性大衆小説作家70歳の誕生パーティが開かれた。独身時代に書いた勧善懲悪の小説が売れに売れたという気難しい女性だ。パーティに来たのは、犬猿の仲の批評家に、出版代理人に、甥の二つの家族たち。金のない家族たちは作家の遺産をほしいというわけで、あまりパーティは盛り上がらない。一人の甥の提案で、執事の持っているライフルを使って射撃大会が開かれた。なかなか優れた腕前のいるなか、射撃に興味のない出版代理人が近くの四阿で射殺されているのが発見された。翌日には、作家と仲の良くない甥が犯行自白と思しき遺書を手にして服毒死しているのが発見された。さて犯人はだれか・・・
というのがプロットだが、注目するのは書き方だな。アメリカにはインクエスト(検死審問)という制度があり、死者がでたときこの名称の公聴会が開かれ、素人の検死陪審員が審議する。小説はこのインクエストに終始するのだが、語りのみ。すなわち証人の証言であり、関係者の供述書の読み上げであり、検死官と陪審員の協議の様子。つまりいわゆる地の文がない。口にした言葉のみ。昔の流行語を使うと、エクリチュール(書き言葉)はなくて、パロール(話し言葉)のみということになる。この書き方に近いのは、戯曲とかラジオドラマか。でもそこには独白という、ほかの登場人物には聞こえないが、観客には伝わるという不思議な内話があるが、ここにはない。しかも、検死官(チェアマンみたいな役割も持つ)は日当を稼ぐことを目的にしているらしく、長々しい陳述を止めないし、重要参考人を呼んだりしない。したがって、読者は事件と無関係と思える個人の述懐や思想信条、昔話を聞かされる。検死官は事件を再現しようとしないし、証拠品の検証をしないし、アリバイや目撃証言の齟齬を確認しない。すなわちミステリーの常道を外した書き方になっているわけだ。(もしかしたら、19世紀のコリンズ「月長石」の書簡体小説と似ているのかも。いずれも、神のごとき視点の持ち主はいない。一人の人間のバイアスがかかった見方、ナラティブをいろいろ集めることにより、「真実」が浮かび上がってくるというような方法。)
でも、すいすいとページを繰る手が止まらないのは、各人の証言に供述が面白いから。たぶん6人くらいの長い話を聞くことになるのだが、全部文体を変えていて、文体からおのずと人柄(謙虚なのか自信家なのか、誠実なのかうそつきなのか)が髣髴する。これは作者が戯曲(おもにコメディ)を書いていて、そこの修練が生きているというわけだ。たいていの作家は一つの文体、ひとつのナラティブで小説を書くものだからね。あわせて、細かいジョークやコントなど笑いの仕掛けがたくさんある。
そうしたうえで、解決が明らかにされる。事件の概要そのものやトリックはすごいわけではない。読者が驚愕するのは、事件を説明する手がかりが脱線に次ぐ脱線の証言や供述の中にしっかりと埋め込まれているということ。とりわけ自分が何に向いているかを決めるまでの生活費を稼ぐために50年間芝刈りをしてきた老人の証言が見事。まずは読み流してしまう昔話が、事件の遠因になっているのだ。ほかにも作家および作家の秘書の証言、出版社のお偉方の日記など(あれ証言者全員をあげてしまったかな)にも、しっかりを目を開いておく必要がある。
というわけで、これは事件の全容を確認したのちに再読する必要がある。読み終えた直後に、最初のページを開きたくなるという稀有な傑作。これは書き方の勝利。乱歩の激賞も納得できる。
パーシヴァル・ワイルドの作品はリンク先にも登場する。
江戸川乱歩「世界短編傑作集 3」(創元推理文庫) - odd_hatchの読書ノート