odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

読売新聞編集部「マッカーサーの日本 下」(新潮文庫) 占領者の側から見た日本占領の記録。1948~1949年。マッカーサーに飽きた「おとなしいアメリカ人」たち。

 下巻は昭和23年から24年にかけて。このころから占領政策が変わってくる。民政局とGIIの確執が起こるとか、民政局の大立者が辞任してその力を失うとか、もともと仲のよいわけではないトルーマン大統領がマッカーサーを解任したがったとか、アメリカ本国の外交政策が冷戦によって強硬化していったとか(中心がジョージ・ケナンにダレスになるのかな)、経済復興が進行するこの国を有力な投資先と考えてロビー活動が活発になったとか。まあ、書名のように「マッカーサーの日本」であることにそろそろ飽きて、「現実的」な政策をアメリカ国民が要望するようになった(戦時中に税金が高くなり、この国の占領中も継続していたが、そろそろ高い税金負担に飽きて、収益を分配しろとか支援をやめろとかと言い出す)。

 面白いのは、占領政策の担当者には、当然のことながらさまざま人がいた。経歴から前職から教育から育ちまで、種々多様な人がいたわけだ。占領地は広く、担当する行政範囲も広い。軍人だけでは手が足りず、研究者や卒業したばかりの学生みたいな人から選抜されたり、軍人になるまえの職業で担当を選ばれたりとか。理想に燃える人(アメリカ型民主主義を根付かせたい、アメリカ式の教育システムにしたい、警察を民主的なものに改革したい、財閥解体こそが経済と政治の安定に必須、などなど)もいれば、占領軍での仕事をバネにして次の仕事で飛躍しようと機会をうかがっている人もいた
 ここを伝えるレポートの章題は「おとなしいアメリカ人たち」なのだが、もちろんグレアム・グリーンの小説にならっている。善意でお人よしでナイーブだけど、どこか間が抜けていて、押し付けがましくて、敬遠したくなる人。このような人がたしかに占領軍の中にいた。ここのレポートはとても面白い。一方で、GIIのウィロビー少将や国鉄担当のシャグノン課長のように、それなりに熱心ではあっても、この国の人からは恐れられ、疎んじられ、帰国後も幸福や経済的な安定などを得られず、この国で「人生を棒に振った」人もいるとなると、ふり幅の大きさに唖然とする。
 この国の人は敗戦ののちの占領軍の進駐に恐れを持っていた。敗者であるのだから、とてつもない報復をされるのではないか。8月15日まで「でてこいニミッツマッカーサー」と歌っていた当の本人が来るのだ。しかし、恐れは実現しなかった。むしろ、この国の軍隊では考えられないような大判ふるまいをしてくれた。恐怖が一転して、好意に変わる。ひとつの章でマッカーサー宛ての手紙が紹介されるが、その内容の無邪気さときたら!! まあ、水戸黄門さまとわかったとたんに、村人の愛想がよくなって、甘えてくるようなものだ。その典型が労働組合共産党なのだろうな。1947年(昭和22年)2月1日のスト停止命令とレッド・パージまで、駐留軍を「解放軍」規定していたわけだから。
 重要なのは、人々がそれまでの政権と軍隊と戦争に対して辟易としていたこと。彼らが上にいたことと結果として人命と財産を失ったことに嫌気がさし、積極的にNOという気分があった。要するに、それまでがひどすぎたので、別のものであればOKだった。その気分というか考えというのが共通にあって、彼らが復権するよりは占領軍の軍政のほうがましという判断をしたのだろう。生産財の不足で食糧不足が起きているときに、アメリカの過剰生産で余った飼料をこの国に格安で提供して飢えをしのげたのはとくにありがたい。一方で、占領軍もひどいことをしていて、不満が生まれる。昭和電工疑獄とか「下山事件」他のフレームアップとか占領軍による強盗強姦とか。戦争放棄の条項を憲法に加えたにもかかわらず、軍隊(警察予備隊という名称)を再組織する命令を下す。それは朝鮮戦争の勃発でこの国の駐留軍を移動する結果生まれる警備能力の空白を埋めるため。同時に、戦争犯罪人復権も始まって、彼らに権力が渡される。ここに至って、占領軍への期待も薄らいだ、というか裏切られた気分になった。
 たぶん、この気持ちの振幅の大きさがこの国の「占領」を考えるときの足かせになっているのかもしれない。あの数年間のアメリカへの熱烈で振幅の大きな感情が、しこりというか黒歴史というか恥ずかしさというか口にするのがはばかられるようで、それでいて甘酸っぱい感傷にも思えるような。マッカーサーはこの国を12歳の子供に例えたけど、占領期のあの数年間は思春期の感情に似ている狂騒であったのかも。この国の人が占領時代を語るときには、懐かしさか、とげとげしさかのどちらかが強いものだけど、その理由はこのあたりかなあ。
 なので、このような占領軍からあの数年間を見るというのは、気分をクールダウンさせるのによいやり方。ウィロビーにしろシャグノンにしろ怪物ではないし、マッカーサーですら自分の理想主義を御しえない政治音痴であるとみることができそうだし。また、吉田茂白洲次郎などが必ずしも占領軍には好意を持たれていなかったというのも新鮮。
 下巻では、下山事件が占領軍の側から描かれる。この本では、自殺説が有力とされる。松本清張「日本の黒い霧」(文春文庫)と比べられたし。

  

2015/04/10 竹前栄治「占領戦後史」(岩波現代文庫)