odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

岩井克人「二十一世紀の資本主義論」(ちくま学芸文庫)

 初出は2000年。ただ、最初の論文を除くと、すでに雑誌や新聞などに掲載されたエッセー。過去の著作に「貨幣論」があって、その内容が前提になっているから(あるいは抽象的な内容を具体例で説明しているから)、「貨幣論」を読んでおいた方がよい。最初の論文「二十一世紀の資本主義論」は新しい内容を含んでいるので、そこに注目。

二十一世紀の資本主義論 ・・・ 1998年ころの書下ろし。当時、東南アジア、中南米、東欧ロシアなどの通貨危機と、LTCMヘッジファンドの倒産(と緊急支援)があって、資本主義の危機がいろいろと論じられた。ここでは「貨幣論」の議論を踏まえて、資本主義の危機はなにかを検討する。論文の記述に一致しないが、「貨幣論」を思い出すと、貨幣は貨幣として使われるから貨幣なのであって、そこには人間が貨幣に「予想の無限の連鎖」があるから成立している。この「予想の無限の連鎖」は、ケインズの「美人コンテスト」予想と同じであって、ヘッジファンドの「投機」も「予想の無限の連鎖」で成立しているということでは同じ。市場で売買をしている人は誰もが「投機」をしている、いな貨幣を使用することも保有することも「投機」=「予想の無限の連鎖」なのである。金融市場では時間やリスクの売買を専門家が行っているのであるが、その投機は「予想の無限の連鎖」にあり、実体を反映しているのではないから本質的に不安定。一方金融市場は、商品市場の時間やリスクの売買を専門家に任せるという効率性を実現。となると、金融市場と貨幣は効率性と徹底するほど、不安定になるという矛盾を抱えている。この不安定さは貨幣も同じ。そのとき貨幣の危機は、人間が貨幣から逃げだし、物々交換を行うようになることだが、これはハイパーインフレーションの場合に起こる。先進資本主義国でハイパーインフレが起こる可能性は国民国家では中央銀行の統制や、周辺国の安定した通貨があることなどで回避可能であるが、唯一グローバル市場経済においてその危機がある。すなわち基軸通貨が現在はとりあえずドルになっているが、ドルへの信頼がなくなったとき、すべての国民国家基軸通貨のドルから逃げ出すようになるから。貨幣を発行するとシニョレッジといわれる貨幣鋳造利益が出るが、その誘惑で悪貨の鋳造、紙幣の印刷をして経済を不安定にすることがある。この誘惑から基軸通貨発行国が逃れられるかは不明。この危機を回避できるのはグローバル中央銀行による基軸通貨の管理であるが、その設立可能性はほぼゼロ。となると、グローバル市場経済は資本が拡大することを目的にただ拡大するのであって、ハイパーインフレによる市場経済と資本主義の危機は常に内包している。危機をしくみで回避できないので、運用で避けるという危ない道を歩かなければならない。
<追記> ハイパーインフレと貨幣については
岩井克人「資本主義を語る」(ちくま学芸文庫)のエントリーも参照してください。
インターネット資本主義と電子貨幣 ・・・ 1995年。インターネットの電子貨幣でもって、貨幣が完全に純粋化。あとインターネットは資本主義化と贈与経済化のふたつの運動があって、今後に注目(2013年になるとコピーレフトの運動はどうなんでしょう。wikiOpenofficeやLinaxみたいな特定分野にはあるけど、全面展開しているわけではないなあ。まあ無料サービスで顧客を集めて一部を有料サービスにというビジネスモデルができて、無料サービスに満足しているとフリーライドできるのだがねえ)


 あとはおもしろいところをピックアップ。
産業革命のときには、農村に過剰人口があった。工業生産性が飛躍的に向上すると、実質賃金率が上昇するものだが、農村の過剰人口が都市に流入して賃金率を下げてしまった。(この国の1950-60年代の高度成長は、この仕組みがそのまま働いたとみてよい。農村の過剰人口がいなくなったときに高度成長はストップし、この国の賃金率はアメリカなどと肩を並べる。さて、21世紀では都市の工業従事者人口が過剰になっているが、それは農村に流れていかない。それは農業生産性が低く、実質賃金率が上昇しない可能性をもっているからだろう。そこをクリアして農業の生産性が工業を上回ることはありうるのか。そうなれば都市の過剰人口、農村の過疎が解消する可能性が生まれる)
・価値形態論、貨幣論を使って、井原西鶴、パリスの審判、ボッグス氏の「偽がね」をよむ。こういうのはかつて大塚久雄ロビンソン・クルーソー読み直しなどがあった。これからの文芸評論、文学論には最低限の経済学の知識が必要ですね。もちろん経済学だけでなく、数学の(「博士の愛した数式」)、生物学の(「ジェラシック・パーク」)の知識も必要。
・「ヒト、モノ、法人」「企業とは何か」のエッセーはのちに「会社はこれからどうなるか」(平凡社)にまとめられる。エッセーが書かれたのは、後者が出版される10年ほど前。
・資本主義の危機で市民社会の形成が必要とされているが、そこでは「身分から契約と信任へ」というスローガンを提唱したい。というのは、法曹家・医師・弁護士など特定分野の専門家にはかねてから信任と責任が要請されていたが、20世紀においてそれ以外のさまざまな専門家が生まれた。技術者、税理士、弁理士、各種資格取得者など。彼らの業務は市民空は不可視になり成果とパフォーマンスがわかりにくくなっているから、信任義務の監督と遵守が求められる。


 いきなり「貨幣論」やこの本を読むのはなかなか大変。いくつかの経済学の新書でマクロ経済学の概論を大まかにつかんでおくとよい。マルクスの価値形態論はたいてい労働価値論といっしょに説明されているから、この本の内容とずれるが、できれば知っておいた方がよいかな。
 これも含めた著者の本は原理論とか抽象化された議論であるので、具体的な経済の問題に関する提言はない。全ての経済学者が政策提言をしなければならないわけではないから、彼の姿勢というか立場もありでしょう。
 ともあれ、貨幣や言語や会社などがそれとして使われているからそれであるという循環論法において「ある」というのは刺激的な考え。もうひとつは、貨幣経済が不安定であって、それは資本主義を瓦解させかねないこと。まあ、マルクスケインズなどが資本主義の不安定さを指摘したけど、もっと本質的なところで危機があるというのが刺激的。昔のSFでは世界がひとつに統一された「世界連邦」という構想が生まれたりもした。政治については置いておくとして、こと貨幣に関すると「世界連邦」で貨幣がひとつになった時、それは世界連邦自身を崩壊させかねないほどとの危険を内包しているわけだ。何しろ、統一貨幣でハイパーインフレが起きると、それを食い止める外の貨幣というのがないから。ハイパーインフレは世界を覆い尽くして、物々交換の世界に戻るわけだ。そうでなくとも、統一貨幣のときに、どこに差異を見出し売買のタネを見出すのか。それもまた資本主義の危機ではあるわけだ。それを回避ないし乗り越える仕組みはいまのところなさそうで、これもまた不安定な国際政治で調整しなければならないというのもなかなかい生きるのを難しくする問題。