冒頭の「このノートのためのノート」によると、収録されたエッセイは「洪水は我が魂に及び」を書き進める作業における自分自身の臨床報告で、長編を方法的に整備するもの(実際に雑誌「新潮」に1970年から1973年にかけて断続的に発表)。最終稿からは取り除かれた細部も載せることで作家と作業と作品の全体が明瞭になるだろうことを期待している。
作家が小説を書こうとする 1970.12 ・・・ 小説を書こうというのは世界と生きたままの人間を全体としてとらえて、明確で即物的な言葉の体系の中に取り込むこと。解釈や概念化を拒む。
(小説を「人間いかに生きるべきか」みたいな一般論や普遍性を記述しようとする哲学などとはまるで異なるのだよ、ということ。小説の中で一般論や哲学が語られることもあるが、それは小説の本筋ではない。)
言葉と文体、目と観照 1971.03 ・・・ 文体はひとつの長編にひとつで、本質的かつ一回きりの今であり、他の作品には使えない。すなわち、ある視点をきめたときに、見ることで存在感を確かめることができるかを確認しながら、文体を手探りで作るものだから。
(なるほど、「洪水は我が魂に及び」はそれ以前の文体とは異なるし、視点も作家である<私>から離れたものであった。坂の仕事を見ると、このあと「ピンチランナー調書」「同時代ゲーム」「キルプの軍団」「治療塔」と、文体と視点は常に異なるのであった。あと誰を視点にするかから、なぜ小説を書くのかという問いが出て、小説の中でそれを説明するという方法がのちに取られるようになった。)
表現の物質化と表現された人間の自立 1971.08 ・・・ 小説で表現された「もの」の手ごたえとか物質化を実現すること。「小説の中の生きた人間」が自立して作家から離れるのを実現すること。書いている小説家自身を否定、批判するものとして小説がつくられつつあるのはそういう過程を経る。自己否定とよく言われるが、小説家にはそのための討論と行動の場がない。そうすると自己否定の現場は小説家にとっては創作にある。
(なるほどと思いながら「洪水は我が魂に及び」ではそのような自立した人間になりえたのは勇魚と喬木と伊奈子のみであったなあ。「ピンチランナー調書」ではすべてパロディ的、カトゥーン的であったなあ、と過去の読書を振り返る。)
作家が異議申し立てを受ける 1972.03 ・・・ 書いたものを廃棄する行為は「現にある自分をのりこえて新しい自分にいたりたい」という自己否定の具体的事例である。小説家はほかに社会とか国家からの異議申し立てを受けることがある。とくに性と暴力の描写において。しかしそれらは20世紀の現代を写し取るので必要。
(性と暴力はデビュー以来の作家のテーマ。「洪水は我が魂に及び」においても暴力は個人、組織、国家の各レベルでの凄惨さと暴力を受けるものの悲惨さと差別を明らかにする。一方、性は引きこもった語り手を行動に移らせるためのきっかけになり、新たな関係を創出するのである。とはいえ、この作品と次作で、うすい下着から女性性器があらわになるという描写が繰り返されるのには閉口した。なるほど初読の20歳そこそこのときには激しい興奮になったのであるが、さて性表現の変わった21世紀においてあるいは性的体験を重ねた初老の男からするとこの表現はくどいと思えるのだが。)
書かれる言葉の創世記 1973.01 ・・・ 言葉が社会とつくる、人間をつくる、というテーゼから出発して、言葉を発した人間は社会化されるのであって、読者も小説の言葉を発した人間を読者の現実のレベルで社会化するのである。
(小説を語る時間と小説の進行する時間が一致していると、過去や未来を小説に取り込むことができないという悩みを小説化はかかえていて、のちに「同時代ゲーム」で多層の時間を小説に組み入れて解決した。あと、小説の言葉で人間は社会化されるのであるが、さて「洪水は我が魂に及び」「ピンチランナー調書」の社会はどれほどの広がりと物質化を達成できたのであるか。その前と後の小説に比較すると、概念化抽象化されたせせこましい社会であったと思う。)
消すことによって書く 1973.08 ・・・ 小説家は「書く人」として小説の第一稿を書くのであるが、次に「読む人」となって小説を批判し、第二稿に改稿し、第n稿の完成をめざす。そのときしばしば改稿はあいまいなところを加筆するのではなく、削除するのである。
(「洪水は我が魂に及び」の出版稿は元原稿の3分の2に削除した。出版稿は原稿用紙一千枚とのことなので、そこから第一稿のサイズを計算のこと。そのとき、削除は主に小説の中に生きる人間の来歴に対してだった。なるほどそのために、「多麻吉」「縮む男」「ドクター」「伊奈子」らがどこから来たのかわからなくなったのか。この削除の方法はのちにはそれほど行われず、「燃え上がる緑の木」「宙返り」はずいぶん冗長であるように思った。)
小説を書くことに意識的であろうとすると、方法や作家のあり方を反省することになる。そうはみえない多くの小説家もいるが(婉曲な表現でも三島由紀夫を批判するページもある)、少なくとも自分はそうではない。ということで、現在進行中の長編を書くこと・読むことを通して、小説を書くことに自覚的になってみよう。そういう意図のエッセイは小説が構想されてから社会に向けてリリースするまでの普段知ることのできない舞台裏を見せることになる。そうすると、小説を書くことは、構想を立て、視点を決め、細部を書きながら構想を練り直し、文体を作り上げ、第一稿のとりあえずの完成の後数次にわたって推敲して完成にいたるという、よくあるルートが描かれ、さまざまな問題で書く手が止まったり、ほかの仕事とバッティングするなどの危機をいかに回避するかというマネジメントも語らえる。実作を試みるものには、具体性に乏しいこのエッセイは参考にはならず、むしろ筒井や都筑、クーンツやキングなどのエンタメ向けの指南書を読めばよい。
それと異なるのは、小説を「書く」「読む」行為によって「現にある自分をのりこえて新しい自分にいたりたい」という目標を達成しようとする試みを実現しようとするところ。極めて困難な課題(だが、発表当時にはその課題を自分に課すものがたくさんいた)を達成しようとする。その試みであるが、小説は即物的・社会的であることは描写や視点によって達成可能になりそうではあるが、このエッセイでは記述が概念的であいまいになってしまう。なるほど、この「文学ノート」に書かれた方法は「洪水はわが魂に及び」「ピンチランナー調書」に結実したといえるが、今回の再読ではそれは成功していないとおもえる。上に書いたところにフォーカスして、小説のふくらみや多層性・多様性が実現したようには思えない。それより、エンターテインメント小説のプロットを借用して、大冒険を描き切った技術のほうに感動するのだ。
そのあたりの自覚があったかどうかはわからないが、5年後に「小説の方法」で文化人類学や記号論など異分野の知や方法を導入して、物語に膨らみをもたらす仕掛けを増やすことによって、作家の作品はより豊饒になったと思う。このエッセイ集は当然入手困難になっていて(1980年ころの「同時代論集」に採録されたかなあ)、読むのは難しいけど、できれば「小説の方法」(こちらも入手難だと思うが)と合本にして、作家の方法論の軌跡を一望できるようになるとよい。