odd_hatchの読書ノート

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筒井康隆「全集14」(新潮社)-1973年前半の短編「農協月へ行く」

 1973年前半の短編。


心臓に悪い 1972.12 ・・・ 柘榴島に配置転換になった男。心臓病の持ち主で妻と仲が悪い。8か月分の薬をもって引っ越したが、薬が手元にない。妻の手で別便で送られたのだ。その薬がないとひどい発作が起こる。なんども長距離電話をかけ、お役所のような会社の担当と渡り合い・・・。一行置いた後の後日談の唖然とするような冒険。生の目的の反転。

怪奇たたみ男 1972.12 ・・・ 独身独居の男が畳のうえで寝ていたら、頬が畳になってしまった。そまつに扱われた畳の付喪神のたたりなのだろう。カフカの「変身」じみた冒頭がずれていって、畳そのものになることが快楽になる。って、おちはそのことわざかい(笑)。すこし距離を置くと、差別されるというのはこういうことなのだよな。参考「顔面崩壊」「蟹甲痒」

養豚の実際 1973.02 ・・・ 締め切りを落としそうな作家が編集者と大喧嘩。部屋を出ると若い男女が作家のわがままを聞いてくれる。まあ、自由とみえるのも誰かの工作なのかもしれないという危機意識です。のちの「歌と饒舌の戦記」のプロトタイプ。作家と編集者の罵倒は「朝のガスパール」。小説を書くのが機械的だというのはダールとかブラウンにあったなあ(そちらは機械が書くのだが)。

信仰性遅感症 1973.03 ・・・ シスター鮎子は味覚を感じない。その直後、17時間前の食事の味がよみがえる。翌日青年が下宿に侵入し、彼女を強姦した。不感だったが、17時間後のミーティング中に快楽がよみがえって・・・。昭和のマチズモの時代には笑えるけど、21世紀のLGBTプライドの時代には嫌悪を感じる。

幸福の限界 1973.04 ・・・ 地価と建設費の高騰で家を持てなくなった庶民は月賦で物を買い集める。周囲と同じ生活様式になろうとし、そこで幸福を感じる。週休4日になったので海に出かけ、おなじようにレジャーに来た群衆と一緒に海に向かう。足元は砂ではないなにかぶよぶよしたもの。歩きやめることができない。コルタサル「南部高速道路」と比較するべし。あと、この時代、妻は労働する必要がなく、夫の稼ぎで4人が楽に食え、月賦でたいていのものが買えた。高度経済成長のある時期の記録になっている。

蝶 1973.04 ・・・ その星の蝶は妖精そっくり。子供が蝶を飼おうと試みる。

自殺悲願 1973.04 ・・・ 売れない純文学作家、10数年前に出たきりの著書の再版をお願いする。増刷されたら自殺する、そうすると売れるだろうとも口にする。首尾よく増刷されたが、今度は自殺しないといけないのだが・・・。当時、三島、川端が自殺して大いに話題になったのだ。その背景があってのギャグなのだが、21世紀の「失われた10年(20年)」のあとだと、背筋が凍る。

レオナルド・ダ・ヴィンチの半狂乱の生涯 1973.06 ・・・ タイトル通り。時間が一方向に流れない「生涯」。

碧い底 1973.07 ・・・ 酸素の少ない東京の水(文字通り)で息苦しさを感じて、海面を目指すのだが・・・。当時、東京湾はヘドロで海生生物のほとんどいない汚れた海で、地上は光化学スモッグで汚染されたおったのじゃよ。それでも人間は生きていたわけじゃ。

農協月へ行く 1973.05 ・・・ 急に金持ちになった農家。隣の村が世界一周したというので、月に行くことにする。すでに宇宙船に乗り込むところから、ハレンチで無知で強引でアンモラルでめちゃくちゃばかりやりだす。月面についたら異星人と接触。たのみの船長はショック死していて、ファーストコンタクトは農協メンバーに任されることになった。地球の命運やいかに。当時、列島改造計画とか海湾部にコンビナート群をつくるとか高速道路に新幹線の建設家核があり、農地が高値で売れたのだ。急に金をもった農協は世界中に観光旅行にでかけ、この小説にあるようなバカ騒ぎ(かれらは村の宴会や祭りの延長)をして顰蹙を浴びていた。というような解説を書かないと、この小説の設定はわからないだろうなあ。また船長の示す過労や過緊張から起こる種々の心身症状もこのころから知られるようになった。


 ここに集められた短編は、時事や風俗に取材しているものが多い。その時代のできごと、事件、雰囲気、空気を共有している読者に対して著者は書いている。高度経済成長の終わりころのバイタリティのある時代。一方でマチズモやセクシズムがたくさんあった時代。このときの「あたりまえ」「ふつう」が50年たってほぼ失われているか変質してしまったことに驚く。かつて読んだときには馬鹿笑いしたものだが、21世紀になると公正や倫理の規範が変わって笑えなくなってしまった。