odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

フィリップ・K・ディック「ニックとグリマング」(筑摩書房)

 ディックの未来世界は近未来でいまだ訪れていないけれど、かつてあったことのあるレトロな場所でもあるんだなあ。この小説では、人口爆発で食料が枯渇気味。なのでペットはご法度。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を読んでおこう。なぜか猫を飼っているニック少年のもとにペット取締官がくる(この強持てぶりは警官嫌いのディックらしい)。法律上、あと2日は大丈夫ということで、ニック一家は常に考えていたように「農夫の星」に移住することにする。「火星のタイムスリップ」を読んでおこう。宇宙船を使った星間飛行はまったく大西洋を航行する移民船なんだよね。星に到着したときも、ニューヨークの税関に来たときのような雰囲気(「憧れのハワイ航路」「チャップリンの移民」を思い出すくらいの懐かしさ)。

 この「農夫の星」には先住の奇妙な生物がたくさん。どれもパルプ雑誌に書きなぐった短編に出てくるものばかりで、オールドファンには懐かしい。オトウサンモドキとかウーブとかフクセイとか。ディック短編集全4巻(サンリオ文庫→ハヤカワ文庫)を読んでおこう。さて、この星では実は重大な生物間戦争が起きていたのだった。それは先住のフクセイやスピッドルなどの生き物vs侵略者とも思えるグリマングとその手下になったワージやオトウサンモドキたち。彼らがエゴイズムむき出しでありながら、滑稽でヒトのよさを見せながら、闘争している。グリマングは姿を現すことはめったになく、何かの生物に取り付いているようなのだ。で、グリマングの最大の武器は、「ある夏の日」と題された一冊の薄っぺらな書物。これは過去と現在と未来が書かれていて、しかも読むたびに内容が変わっていくという不思議な書物。ディックの発明になるものだけど、同じ発想をボルヘスとガルシア=マルケスもしていて、その後の作家も同じような書物を登場させるとなる(奥泉光「グランド・ミステリー」)と、とても重要。ふとした機会にニックはこの本を手にし、一度失った後に取り戻し、グリマングとの最終決戦で使うことになる。その途中、ニックモドキができて、じぶんそっくりの存在が姿を見え隠れするわ、グリマングの恐ろしい懲罰により死者が出るわと大騒ぎ。くどいけど、この星ではヒトはほぼ無力で、それはたぶん国家のない世界(19世紀のアメリカ開拓時代に重ねあわされる)での民衆の無力感なのだな。
 でもって、このストーリーは聖杯伝説。いや、そうではなくてワーグナーの「パルジファル」の再話なのだね。豊穣であるはずの「農夫の星」はグリマングの侵略により危機に陥っていた。農夫の星の先住民族は進化の果てで絶滅を待つばかりだし、移住した生物は無力。そこに、ニックという恐れを知らない純潔の若い男が現れ、聖杯(ここでは「ある夏の日」という書物)を回収し、聖なる槍でグリマングに決して癒えない傷を負わせることに成功する。そして、他の生物の祝福を受ける中、星は回復するのであった。ではニックはどうなったかというと、何も変わらず。別の誰かによって保護されなければならない。ニックは冒険を終えても、成人にはなっていないのだ(というわけで彼は聖なる愚か者パルジファルであるのだ)。
 などというのはいささか牽強付会なこじつけであるとしても、ストーリーテリングは抜群にうまく、細部もまた印象的(とくにしゃべれない熊のようなウーブが文字を書かれたカードを使って会話?する珍妙なシーンは爆笑モノ。高橋源一郎の短編にカードで喋るお父さんが登場、谷川俊太郎とおかしな会話?をするというのがあったのだが、本になっているのかしら)。あと一人称と二人称を理解しない異星人と地球人が珍妙な会話をするというので、ディレーニ「バベル17」を参照)。21世紀になると、かつてほどPKDは読まれなくなっているようだ。
 1966年12月7日SMLA受理、1988年出版。