odd_hatchの読書ノート

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井伏鱒二「ジョン万次郎漂流記」(角川文庫) 小説から露出した正義や公正、道徳の問題は21世紀の現在にも通じる。でも作家はそこまで考えない。

 作家の中編3つが収録されている。戦前、敗戦直後、経済成長開始期のそれぞれの代表作が載っているお得版。

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ジョン万次郎漂流記 1937 ・・・ ジョン万次郎(1827-1898)の半生記。15歳でカツオ漁に出たら暴風にあって十日間以上の漂流。アメリカの捕鯨船に救出され、ハワイに到着。一緒に救出された4名はハワイにとどまったが、万次郎は本土サンフランシスコにわたる。勉強と労働で稼いだ後、漂流から11年後に琉球に上陸。土佐で通訳や教育に携わっていたが、幕府に呼ばれ海軍伝習館の教官になり、咸臨丸の通訳兼実質的な船長としてアメリカに渡航する。小説はここまで。以後の後半生はここでは割愛。ジャーナリスティックな乾いた突き放した文章で、読み物としては面白いものではない。でも、初出年に注目。日華事変が始まり、世界中から日本は非難され、ここからアメリカの経済制裁が始まっている。国内では英米を敵視する言説が流れ、ファナティックな気分になっていく。そこにおいて、アメリカによる日本人優遇を書いている。万次郎ら漂流者はもちろん無一文の難民であるが、ハワイでも本土でも自治体は彼らに住居・食料・衣料をほぼ無償で提供し、仕事をまわす。中のひとりは現地の女性と結婚するに至る。しかし、琉球から長崎に移された万次郎は藩役人の取り調べに会い、形式的とはいえ数日間入牢する。この事情は室賀信夫「日本人漂流物語」(新学社文庫)に書かれたものでも同様。ロシア、ダッタン、中国などこの国の漂流者=難民は漂流先で厚遇される。しかし、この国に漂着した難民は健康を回復すると追い出され、帰国した漂流者は取り調べを受けずっと監視された。(江戸幕府鎖国以後、この国は難民をほぼ受け入れないようになり、難民を嫌悪、差別する言説が流通している。それをなくし、難民を受け入れる国に変わらなければならない。)

本日休診 1949 ・・・ 敗戦後4年目。蒲田の三雲産婦人科医院は、顧問と院長、通いの内科医、看護婦2名と諸事のおばあさんの5人で経営。折からのベビーブーム(当然、当時はそんなことばはない)で大忙し。たまの休日で「本日休診」の札を出しても、近所から警察から多摩川か川崎あたりの水上生活者から往診や急患の依頼が来る。酒をかっ食らっていても、映画を見に行く途中でも、一泊二日の家族旅行にでかけようとしても、先生たちは私事を取りやめて仕事に戻ることになる。あたりは貧しい人たちばかりで、治療費や入院費を払えない、請求されたらどうしようと怯えたりしている。一方で、入院しても布団やシーツ一切といっしょに消えてしまう人もいる。それでも、医院と近所の人は仕方ないことと苦笑いし、仕事を続ける。まあ、2012年上半期の朝の連続テレビ小説梅ちゃん先生」と同じ時代の医者の記録だし、黒澤明「醉いどれ天使」の真田にも通じるだろう。視点を変えると、椎名麟三「永遠なる序章」(新潮文庫)の主人公が通った医者の記録にみえる。解説では当時の庶民、貧しい人々に焦点を当てているが、自分は医者という職業に注目。この職業は通常の仕事(サラリーマンとか商店とか)では求められない倫理とモラルを要求される。「本日休診」であっても、深夜就眠中であっても、酔いどれていても、需要があればすぐに仕事に復帰しなければならないとか、報酬をしつこくねだるのはよくないとか、患者に対して生活に介入するほどの親身を見せなければならないとか。こういうのはほかに教師があるくらい。この時代(から昭和40年代ころまでか)は医師に倫理とモラルを要求したが、過誤治療に対する裁判が頻発し、患者に対してパターナリズムで接することができなくなるとか、まあ他のさまざまな理由で、医師であることが難しくなっている。とはいえ、この「本日休診」の時代の在り方に戻すことはよくない。とりあえず、戦後のたくましい「庶民」を記憶する参考として読みましょう。

 

珍品堂主人 1959 ・・・ 加納夏麿、57歳。戦前は学校の先生をしていたが、骨董好きが高じて、戦後は骨董屋を営む。店を構えてふりの客を待つのではなく、同じ骨董店仲間に転売して利ザヤを稼ごうという職業。というか、彼のいうには骨董は「女にほれる」ことであるといい、商売や銭のために売り買いするのではなく、自分の手元において愛でたい欲望がある。それだと暮らしが立たないので、やむなく手持ちを売る。それに世の中には偽物が多々あり、目利きであってもつかまされることがある。それはしれっと転売するのであるが、真贋を見抜けない自分の間抜けさを笑い、同じく見抜けない仲間のアホさを馬鹿にするというアンビヴァレンツないやらしい感情を持つことになるのである。作家は書画骨董に詳しいかどうかは知らないが、この世界のことはよく調べたと見える。およそ作家のような職業にはあり得ない、「狐と狸の化かしあい」が骨董屋の世界にはあり、そこが作家の琴線に触れたと見える。その点では「駅前旅館」のような異業種をルポする小説。経済成長から少し乗り遅れている昭和30年代前半の庶民、特に水商売の人々のポートレートだ。たぶん時代の雰囲気などを楽しめばいいのだろうけど、自分にはこの間抜けな骨董店主の起業がどうにもあわなくて。そんないきあったりばっかりなことするなよ、事業計画書や損益計算書をつくって、投資の回収期間を知らべろよ、従業員のマネジメントを他人まかせにするのはまずいぜ、といらぬ説教をしたくなる。すまんが、おれには合わなかったので、途中で読むのを止めた。ときにはこういうこともある。

 

 表層では、なるほど庶民のいじましさやたくましさ、あるいは愚かさやずるさが書かれている。さいわい極悪人は登場しないし、犯罪も起こらない、まずは平穏な社会が作家の小説にはある。それは心地よいものだし、懐かしいものでもある。
 ただ、その表層も掘り下げると、正義や道徳の問題がたくさん露出してくる。幕府の鎖国や難民政策の苛烈さであるし、医師に過重な労働と低賃金を要求する社会の在り方であるし、人を出し抜いて益をかすめ取ろうとする仕事のずるさであるし、貧困者への支援が不十分であることであるし、という具合に、この本の3つの小説でも、これくらいの問題が見えてくる。作家がそこまで考えていたかどうかは問わないにしても(そこまで調べる根性はない)、露出した正義や公正、道徳の問題は21世紀の現在にも通じる。むしろ経済成長が終わり、経済の停滞と社会の沈滞がある21世紀には戦争前の鬱屈した社会や敗戦後の貧困とで共通点をみいだせる。この小説からは、問題の解決や是正の方法は見いだせないにしても、21世紀の10年代の問題を見出すきっかけになるだろう。

 

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