odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

笠智衆「小津安二郎先生の思い出」(朝日文庫) 日本的なやり方は「和」「意をくむ」「根回し」とされるが、親方は権力をふるいまくる独裁者。

 笠智衆は1904年生まれ。寺の次男坊だったが、坊主になるのが嫌で、東京に出て蒲田の映画会社で俳優になる。最初は大部屋付きで端役ばかりだったが、小津安二郎に声をかけられる。いくつか出た後30代半ばで主演を務める。以後、小津映画の常連になった。小津の死後は山田洋次に声をかけられて主に「寅さん」シリーズの印象的な脇役を務める。ほかにも大監督の作品にいくつも出演。昭和を代表する名男優のひとり。
 ということになっているが、俺はこの人の巧拙はよくわからない。本書によると、小津にNGをだされてばかりということだ。それでも、その容貌やたたずまいで記憶に残る俳優だったということなのだろう。(老人のたたずまいでは左卜全藤原鎌足伊藤雄之助などの怪優のほうが俺の記憶に残る。)
 なので、本書では笠よりも、一つ年上なのにもかかわらず笠が「先生」と呼ぶ小津安二郎に注意が向かう。とはいえ、この人の演出や編集には識者やマニアによる詳細な情報収集と分析があり、俺にはどうこういえるほどのことは持っていない。笠智衆が書いてあることをなぞるくらいしかできない。わかるのは、映画を作るにあたって、フィルムに映るべきことはあらかじめすべて準備されていて、それからの逸脱は認めないというやりかたをしていたことだ。セリフの抑揚、発声のタイミングなどは監督が本読みから指導していく。立ち居振る舞いでも同様。小道具でもこだわりを見せる。俳優が考えて自分のやりたいようにやることはできないし、当然アドリブもNG。このやり方ではスケジュールと予算を大幅に超えそうだが、そういうことはなかったらしい。
 このやり方はとても「日本的」だと思う。小津と同じように映画の全権を握って、自分の思い通りを貫くという人には黒澤明溝口健二などがいて、やはり細部のこだわりと現場での独裁者ぶりがよく知られている。たいていの場合、日本的なやり方は「和」であるとか「意をくむ」とか「根回し」などと表現されるが、彼らはそうではない。リーダーシップが明確でないことが多く、責任所在があいまいになる。でも、これらの映画監督はそうではなく、権力を振るいまくった。その結果できたものは個人の主張が色濃くなる。不思議だなあとおもったが、日本の職人はそういうものだった。親方の権限が非常に強い。徒弟などの部下には絶対的な存在になる。ああ、なるほどこういう小組織の独裁者が集まると、そこからリーダーを民主的に選ぶことはできないし多数決も取れないので、「忖度」「根回し」が必要になり、派閥抗争を緩和するために「和」が強調されるのか。
<参考文献>
新渡戸稲造「武士道」(ハルキ文庫)
カレル・ヴァン・ウォルフレン「日本/権力構造の謎 上下」(ハヤカワ文庫)
 という具合に、映画のことより日本の権力構造のほうが気になりました。

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 さて小津安二郎の映画だが、これも好き嫌いを言えない。かつてはのんびりした時間に魅力をかんじることもあったが、21世紀になると中高年の男が年下の独身女性に結婚をしつこく勧めるマリッジ・ハラスメントに強烈な嫌悪を感じるのだ。もう「東京物語」も「晩春」も「麦秋」も「秋刀魚の味」も楽しめない。