登場人物はみな固有名をもっているのに、それが個人を識別する記号にならない。むしろ行動や発話の違いで個人を見分けることになるのだが、その違いもとてもあいまいで誰が誰なのかを区別することができないという不思議な小説空間。でも、そこには解かれるべき謎がある。
カクテルリストの充実した小粋な店〈エッグ・スタンド〉の常連は、不思議な話を持ち込む若いカップルや何でもお見通しといった風の紳士など個性派揃い。そこで披露される謎物語の数々、人生模様のとりどりは……。キュートなミステリ連作集。
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488426033
まずは謎物語のサマリー。
掌の中の小鳥 ・・・ 大学美学部で見事な油彩を描いたが数か月後に無惨な色に塗り替えられていた。どうして?/不登校になった女子高生に祖母が賭けを仕掛けた。賭けの結果、女子高生は登校を再開した。
桜月夜 ・・・ ある子供から偽装誘拐を頼まれた。彼の計画通りに動いたが、父が見破り誘拐は失敗した。
自転車泥棒 ・・・ ある女性が盗まれた自転車を高校生が乗っているのを見つける。詰問して盗難を自白したが、実は自転車は盗まれていなかった。なぜ高校生は自白したのか。
できない相談 ・・・ あるマンションの一室に紹介された直後、あの部屋を消して見せようと言われ、行ってみたら引っ越し直後だった。隣の部屋の老婆も引っ越しを嘆いていた。10分の間にどうやった。
エッグ・スタンド ・・・ 茶会にいったらある女性の結婚指輪が盗まれ、数か月後に語り手にフォーチュンケーキに入れて戻された。
どの謎物語にも解決があり、物語を語った者の憑き物落としになるのである。いや憑き物が落とされても、彼・彼女らは依然として戸惑いや不安のなかにいるのではないか。というのも、この謎物語はあるバーにいる男女のカップルの間で交わされるのであるが、語っている内容は脚色・粉飾が行われ、自分のことを他人のように、他人のことを自分のことのようにしていて、いったいどういう関係を持っているのかはかなりあいまいなのだ。したがって、語る行為はそれを聞く相手の反応を調べるための探索装置であり、相手の反応をみてずれや曖昧さを持ち込んでいるのではないかと思うからだ。したがって、読者は上の謎物語を解くことに熱中してはならず、語り手と聞き手の関係にも関心を持ち、彼・彼女らに過去あったことを類推するという作業もしなければならないのである(謎物語の謎はどれも明快に解かれるのに、バーに集まる人たちの関係と過去はあいまいですっきりしないのよ。読後のモヤモヤした感じはここに理由がある)。
<参考>
そこからおぼろげながら見えてくるのは、いかに男が女を理解していないかを女の視点から描くことだ。読者の一人である俺は男であるので、男の「悪気のない」行為に女がどう感じ反応しているかをまったく理解していないことに気づき、愕然としたのであった。それは謎物語の謎を解けるが、物語を語った者の意図を把握し損ねる「迷」探偵の男にも共通するのである。おそらく過去の評論であれば、「迷」探偵は女の手玉にのせられたあたりの評価になるだろうが、そうではなくおそらく作者の意図していない「男性」批判を見なければならないだろう。
というのも、1993年に書かれ1995年初出のこの小説では、男の「悪気のない」行為はたいていセクハラかパワハラであり、いつそのハラスメントにさらされるかは見当も予測もつかず、不意打ちのハラスメントに女性は警戒と嫌悪を感じつつ、時に好意を示すという離れ業を演じなければならない。男性生活指導教師に下着を露出させられ、バーで女性が席を外した際に強い酒に変えられている可能性があり、二人きりの時に触れられたくないところを触れられるかもしれないのだ。男は女は頭が悪いと言い、切れるところを見せると男はふてくされる。男は相手が不快に思っていることに一切気づかない。昭和の時代はそういうマチズモの時代だった。常に加害とさらし者にされる危険な世界に生きるという理不尽・不条理。そこにおいて女が「掌の中の小鳥」を大事にする理由が浮かび上がるのである。同時にハッピーエンドに見えるラストシーンも、女性キャラの側にたつと、ハーレクインロマンス的解決にはならずに、この先の困難を予感させるのである(男の理解を期待しつつ、その時は訪れないという諦念)。
<参考エントリー> こちらは男性が権力勾配に鈍感で強圧的な側にたって女性を見ている例。
という具合に、謎物語の見事な解決に目を見張りながらも(「できない相談」の部屋消失トリックはカーやクイーン、クレイトン・ロースンらに匹敵する鮮やかさ)、そこに目を撮られてはならないのである。なにしろ、この作者、デビュー三作目の本書にして目の詰まった見事な文章を書いていて、それはしっかりと味わうべきであり、地の文を飛ばすような怠惰な読書をしてはならないのだ。その文章によって描かれる女性の存在感の見事さと言ったら(かわりに男性キャラが類型的になるのはご愛敬)。
すごい作家です。今まで見逃していた自分のまなこを恥じます。
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