福武文庫版で前期短編集を読む。「罪と罰」より前に書かれたものを収録。すでに読んでいるので、初読の感想はリンクを貼った。ストーリーはリンク先の方が詳しい。

初恋(小英雄) 1857 ・・・ 11歳の少年が年上のマダムに憧れると同時に、退屈なマダムが少年を翻弄する。マダムが閑なのは夫が家にいないせい。少年からすると夫は「西洋派」だ。自由主義にかぶれてロシアの伝統や習慣をないがしろにしているから。それが家庭崩壊の理由となる。それに追随するマダムの取り巻きも似たような西洋かぶれになる。なので暴れ馬に誰も乗れないのを見てロシアの大地に根差す少年は果敢に挑戦し、振り落とされなかったので「英雄」になったのだ。
2020/02/14 フョードル・ドストエフスキー「初恋(小英雄)」「伯父様の夢(河出書房) 1858年
少年の「初恋」は19世紀半ばから小説の主題になるが、少女の初恋はいつから主題になるだろうか。ドスト氏の小説を思い返せば、交際や恋愛を禁じられている少女はなぜか中年男にいきなり求婚されるのだ(「貧しき人々」「白夜」「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」など)。少女は愛することを知る前に結婚させられる。19世紀の自由主義の自由はあくまで男だけのものだ。
クリスマスと結婚式 1848 ・・・ 語り手がヨルカの日に見た奇妙な男ユリアン・マスタコーヴィチを記す。太り気味の中年男が子供たちがクリスマスを祝う中、貧しいために卑屈な男の子を罵倒し追い出そうとする。その数年後に、この男が16歳の若い娘と結婚式をあげるのに出会う。娘は莫大な持参金を持っていたのだ。尊大な中年男が子供に暴力的であり、少女を手段とする。これが帝政ロシアのパターナリズム。解説にあるようにユリアン・マスタコーヴィチはブイコフ@貧しき人々、ワリコフスキー公爵@虐げられた人びと、スヴィドリガイロフ@罪と罰の系譜にいる者。このような告発であると思いながらも、クリスマスのシーンはのちの「キリストのヨルカに召されし少年」の夢幻を思わせる美しさ。
2020/02/21 フョードル・ドストエフスキー「弱い心」「人妻と寝台の下の夫」「正直な泥棒」「クリスマスと結婚式」(河出書房) 1848年
ポルズンコフ 1848 ・・・ 気に食わない上司に4月1日(エイプリルフール)にかこつけて「辞表」を渡しに行ったら、そこのお婆さんに気に入られて結婚話に進んだものの、上司が負った借金を押し付けられるわ、「辞表」が受理されて職を失うわ、と散々な目にあった文官の長広舌。真面目過ぎるがゆえに、その身振り手振りまでが嘲笑の的になる。「貧しい人々」のマカール、「分身(二重人格)」のゴリャートキン氏、「罪と罰」のマルメラードフなどに共通するキャラの一人。
2020/02/24 フョードル・ドストエフスキー「プロハルチン氏」「主婦」「ポルズンコフ」(河出書房) 1847年
弱い心 1848 ・・・ 前半のサマリーは上のリンク先を参照。仕事が終わりそうにないヴァーシャは徹夜で仕事にかかっているが、手帳6冊となると終りは見えない。たしかに婚約者のところに入り浸ってさぼった罰とはいえ、過剰な仕事はヴァーシャの心を強く蝕む。いつしかインクが付いていないペンで何も書かれていない紙を見せ、どうだい、いい出来だろうというまでになる。そして兵隊にとられるという妄想を持つようになり、「体が曲がっている」ヴァーシャは気が気でない。異変を感じたアルカージィは医者を勧めるが、それを拒否したヴァーシャは上司で婚約者の父を訪れる。おれを徴用しないでと頼むために。これはゴリャートキン氏を観察する側が書いた「分身(二重人格)」。些細な思い付きでも上司と仕事のプレッシャーは人を圧殺するのだ、という「カローシ」が常態になった日本ではリアリズムの切実な短編だなあ。友人アルカージィは友人とその妻と3人で暮らす生活を夢想する。寝取られ男のマゾヒズムはこういう空想家の夢から生まれるのだろう(「白夜」)。
鰐 1863 ・・・ サマリーはこちら。 フョードル・ドストエフスキー「いやな話」「夏象冬記」「鰐」(河出書房)。これを書いたころ、ドストエフスキーはシベリア流刑から帰っていた。それまでの進歩思想を捨てて、ロシア主義に変わっていた。西洋的なものを嫌う傾向がでてきていたので、外国から見世物として連れてこられた鰐をヨーロッパそのものとみていたのではないか、と思った。そうすると、飲み込まれたのはロシアの進歩思想や西洋派になる。鰐のメタファーであるヨーロッパはロシアを飲み込む危険なもので、飲み込まれて鰐と同化しようとしている役人は危険を察知しない鈍感な小権力者。周囲でうろうろするのはそろってリバタリアンで、経済的幸福しか眼中にない。ロシアでのさばる西洋派やリバタリアンはこういうものです、という風刺であるのかな。飲み込まれた役人が途中で行う長広舌は当時の評論家の文体パロディになっていそう。そんなわけでこれは「ペテルブルクの夢」「冬に記した夏の印象」などと並ぶものではないか。
とここまで書いて江川卓の解説を読むと、そういう社会風刺(チェルヌイシェフスキーのあてこすりであるという当時の風評もある)であるのは脇に置いてシチュエーションコメディを楽しめと言っている。おやおや。
訳は河出書房全集と同じ米川正夫。刊行されてから70年近くたったとなると、語彙も文体も古めかしい。とくに初期のユーモア編を楽しむにはうまくない。思想の深みを出すには堅苦しい。彼の訳は歴史的遺産になって、現役ではないなあ。散々お世話になってなんですが。