odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

正岡子規「墨汁一滴・病床六尺」(青空文庫) 書斎の博物学者は、1900年当時の明治を見事に切り抜き、後世に伝えた。

 子規は記者として日清戦争に従軍するつもりだったが、旅の途中で喀血。結核が脊髄におよび、30代になると根岸の家でほぼ寝たきりとなった。という話は、司馬遼太郎坂の上の雲」に詳述されているのでここでは繰り返さない。
 子規の介護は母と妹が担った。男が闘病記を書くと、自分の症状と現在過去未来は詳しいが、介護する人には配慮しない。膿の出る包帯の取り換えや浣腸は彼女らがやったのだろうが、子規は何も言わない。まるでそこに誰もいないかのように(ドナルド・キーン正岡子規新潮文庫によると、小言を言うわ叱責するわバカにするわとひどいふるまいをしていた)。江戸や明治に変わったばかりのころは、町人で家事育児を男女が分担するのは当たり前であったというが、明治生まれが成年に達してからは、ミソジニーが身についていたと知れる。子規のところには「ホトトギス」の門人や「日本」の記者、ときには宗教の勧誘さえ来たようだが、その応対にも女は登場しない。「見えない人間」にされているのだ。というわけで闘病記としては関心しなかった。
 さて、新聞「日本」の記者である子規は日々短文を連載することになる。長ければ20行、短ければ1、2行。毎日書いたものを専用の封筒に入れておくと、社の小僧などが取りに来て、翌日に間に合わせたのであろう。それを続けること200日近く。筆まめであるから継続できた仕事であろう。「墨汁一滴」には子規の20代の思い出が書いてあり、予備門時代にいかに数学と英語ができなかったかを嘆息している。司馬はうまく編集・追加して大衆よみものにふさわしい物語を作った。ちなみに子規は漱石のことを書くが、秋山真之には言及しない。現役の海軍士官であるからという配慮が働いたのか。
 とはいえ、取材のために外に出ることができない。情報源は新聞・雑誌か訪問客に限られる。すると子規はおのずと書斎の博物学者となる。ここでも子規は関東と伊予の食の違い、柑橘類の種類集め、江戸時代の俳諧書の収集報告、手元にある書画集の品評、能と西洋演劇の違いなどの情報収集と分類に努める。自分では行けないが見たいもののリストを作って楽しむ。活動写真、蓄音機、自転車競走、動物園の獅子と駝鳥、水族館、ビヤホール、海老茶袴の運動会(海老茶袴は女学生の蔑称:宮武骸骨による)など。そうすると、1900年直前のこの時期に以上の西洋文物が輸入され、新しいアトラクションや施設ができたことがわかる。古くからありそうなものが、実は明治30年代の流行であったというのを知るのは楽しい。それは漱石の初期作品からもわかる。書斎の博物学者は、1900年当時の明治を見事に切り抜き、後世に伝えた。
 子規は文字の人であるわけではなく、書画を見るのも好き。それも日本画をみる。彼の見方は画の細部を取りだして物語を読むこと。この人物はなにをしようというのか、鳥はなぜいるのか、草木からわかる季節はなにかなど。そうして固定した画から人と物が動き出す。それを読んで楽しむ。子規は「写生」が大事という。「写生」の意味を本人が客観と主観で説明しているので、通常は俳句を読むときに客観的になれという提言であるとする。俺が思うにそれは違う。「墨汁一滴」で弟子(虚子だったかな)に写生は配合が大事と諭す。そうすると、写生はたんに景色を映しとるのではなく、景色の中から興味関心に応じて注目点を抜き出し、遠近や時間経過に応じて強調の順番を配合することにある。その配合を15文字に圧縮すること。当然感情・感興を現わす言葉は不要になるのだ。(というわけで、俺は子規の「写生」からエイゼンシュタインモンタージュを思い出したぜ。)
エイゼンシュタイン「映画の弁証法」(角川文庫)
 あと子規は結句や冒頭にふさわしい言葉のコレクションをもっている。句の断片ができたら、そのあとにことばのコレクションを次々当てはめて、たくさんの句を作る。それを比較し評価していると、いいものとダメなものが見えてくるという。俳句は感興の湧き上がるままの即興芸術ではなく、技術でもつくれるのだね。子規が披露するテクニックは「俳諧大要」を読みましょう。
 そういう言葉の使い手であることは、この二つの短文集からもかわる。3つの文体が使われる。ようやく定着してきた言文一致体、江戸から明治に使われた古い候文、漢文の読み下し文。後ろふたつの巧拙は俺にはわからないが、すいすいと読めるのはうまいからでしょう。たくさんの文体を持ち自由に使いこなし、たくさんの語彙を持っていて、俳句の創作技術を体系化した。子規のすごさは、有名になった創作よりもこちらにあるのではないかしら。
 「墨汁一滴」は関心の範囲が狭く、似た話題が続くのであまりお勧めできない。「病床六尺」は繰り返し読むべき名随筆だった。

 

 「病床六尺」がでたのは1902年。この時代にでた本には、内村鑑三「武士道」、岡倉天心茶の本」、新渡戸稲造「代表的日本人」、西田幾多郎善の研究」などがある。日露戦争という「坂の上の雲」を目指す国家運動は、国民のナショナリズムを惹起した。それは容易に国粋主義(まあ21世紀には「ジャパン・ファースト」「日本第一」だ)に転化する。主語を大きくして、国家と個人を一体化し、悲憤慷慨して他人を運動に参加するよう扇動し、他国を嘲るような心意気が生まれる。それが上記の3書。漱石ですら、この国粋主義から逃れられない。漱石は壮士風に気取ることはなかったが、植民地の能吏にふさわしい文章を書いた。
 でも子規はそれらのナショナリズムから遠いところにいる。といって国家や権力に無関心でいるわけではない。場合によっては喧嘩を売ることも辞さない。子規より若い人たちになると、反権力を鮮明にして社会改革を主張する人もでてくる。明治の文化人では珍しい立ち位置なので、見直しました。詮索は他人がやっているだろうから、俺はここまで。
 

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