odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

ルネ・デカルト「精神指導の規則」(岩波文庫) 中世の学問は知識伝達の方法がないのでデカルトは自力で体系化。その方法規則で最初に結果がでたのは数学。

 本書を単体で読んでも何を言っているのかよくわからないと思う。「方法序説」「省察」を読んでから本書を読もう。そうすると、デカルトの自然学の功績はまず数学で結実したのがよくわかる。幸い俺はこの順に読んだし、かつ放送大学で「数学の歴史」と「初歩からの数学」講義(各15回)を視聴していた。なので、デカルトの規則が初歩数学を進める規則として使われているのがよく分かった。

 単純なことからはじめて、複雑なことを検討しろ。解決したい事象は連続的に扱え(飛躍するな)、その時解決できないことはあとまわし、他人の発見は検証して批判する探究をしろ、問題は図示しろ、記号を使え、未知のものはxでカッコにくるんで相互依存の関係を示せ、数式と文をわけろ。そういうデカルトの意図のとおりに17~18世紀の数学が進んで、21世紀の高校生が勉強する数学に達してしまった。ガウスオイラーなどがデカルトの本を読んだかどうかはしらないが、後継者のやりかたはデカルトのアイデア通りでした。
 デカルトのまとめた学問の方法が本書(未完のため生前には出版されなかった。死後の1701年に出た)。タイトルにあるように学問することや真理の探索には方法methodが必要である。なぜそれを強調しないといけないか。中世に学問を学ぶには大学や修道院などのシステムがあった。神学と法学と医学などが教えられていた。町には計算術師や幾何学者がいた。でもデカルトは彼らに学ぼうとしない。というのは、ここで教えられるのは学者がもっている技法だったから。自分の特権を守るために秘術として伝達する。ばらばらで体系的でない。幾何学では二千年前のユークリッド「原論」が教科書として使われていた。計算術(野田又男はarthmeticaを数論と訳すが、ここは算術でしょう)には教科書がない(放送大学「数学の歴史」)。なので、デカルトは人に学んでも益にたつことはないし、どの学問にも確かといえることはないと見限ったのだ。
 そこで物事を批判的にとらえる学問の方法を構想する。でも本書(および先立つ「方法序説」「省察」が難解に見えるのは、この主題を人間論、認識論、方法論で検討するが、それがごっちゃになって書かれているため。前の節に書いたように、それまでの学問は体系を学ぶのではなく、師弟の関係をもち日常を共同することで人間的な教育を受けることだった。技術や知識と同時に、道徳や人格も学ぶ(なので教科書は不要)。そのやり方を拒否したので、デカルトは道徳や人格を磨くやり方を個人で実践で習得し、テキスト化する。当時の学問は神学と哲学と自然学すべてを網羅するものだった。デカルトもそれにならう。
 デカルトの学問の方法は新しいけど、古い。たとえば「実に人間精神は、何か知らぬが神的なものをもっていて、その中には有益な思想の最初の種子が蒔かれており」と書いていて、スコラ哲学(「存在の大いなる連鎖」)があることがわかる。

 

 念のためだけど、「方法序説」の感想にも書いたように、デカルトの「独学の勧め」は21世紀にはとても危険。デカルトの時代とは知識の量が圧倒的に増え、多くの人が何度も検証した確からしいことがたくさんある。これを一人で再検証すると追いつかない。一方で、ニセ科学やトンデモ学問、陰謀論レイシズムなどの扱ってはいけない情報が蔓延している。手軽に世界がわかった気になってしまう。そういう暗黒面に陥らないように、他人とのかかわりは大事(そこを重視したのがヴィーコ「学問の方法」。昔読んでいま手元にないので参照できないのが残念)。

 

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