odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

キャサリン・トムソン「モーツァルトとフリーメーソン」(法政大学出版局) 「魔笛」は「存在の大いなる連鎖」を舞台化していて、ストーリーは首尾一貫している。

 すでに手元にないので、30年以上前に読んだときの記憶で書く。今でこそモーツァルトフリーメーソンの関りはCDの解説にもあるくらいに人口に膾炙している。本書はその嚆矢になった初期の研究(原本の初出は1950年代だったはず)。主にはオペラを対象にして、フリーメーソンのシンボルをみいだそうとする。中心にあったのは、歌劇「魔笛」。それこそ序曲冒頭の三和音からしてシンボルである。そこから始まって、3のシンボル(子どもたち、侍女)をみつけたり、火と水の試練がフリーメーソンの入会式を模していたりとか。おもしろかったです。
 フリーメーソンは下記エントリーを参照。19世紀になって秘密結社とみなされて、さまざまな悪口がなされ、陰謀論のおおもとになってしまったが、実態は名望家の親交団体。18世紀啓蒙主義の影響を受けて、コスモポリタニズムに近かった。それが19世紀のナショナリズム国民国家からすると、社会秩序を乱すものと勝手にレッテルを貼られたのだった。
2022/03/31 吉村正和「フリーメイソン」(講談社現代新書) 1989年

 

 ここにアーサー・O・ラヴジョイ「存在の大いなる連鎖」を持ち出せば、18世紀は「存在の大いなる連鎖」思想がヨーロッパを席巻していたことがわかる。なので、フリーメーソンの思想とされるものは「存在の大いなる連鎖」の言いかえや亜種。フリーメーソンはヨーロッパの異端なのではなく、流行していて誰もが共有している思想をわかりやすくしていた。なので、モーツァルト(だけでなく当時の知識人・名望家・時に貴族)が気安く入会していた。
 通常、モーツァルトの「魔笛」はストーリーが分裂していると言われる。とくに、夜の女王と彼女に使える侍女の扱い。当初はタミーノにザラストロ教団に拉致された娘を取り返してくれと頼んでいたのが、第2幕になってからは教団転覆をたくらむ悪になったこと。娘の取戻しという「正義」が逆恨みになってしまうのだ。
 でも「存在の大いなる連鎖」の思想を参照すると、「魔笛」のストーリーは首尾一貫しているのがわかる。人間は創造主や神が天のどこかから〈何か〉を絶えず流していて、それを受けた人間は努力すること(かつ悩むこと)で位階を上昇することができる。その思想において、救済される人間は西洋の男性のみ。女性は対象外。知識や道徳を知らない自然人(農民、漁民、職人、放浪者など)も除外。西洋以外の出身者は考慮のそと。救済される人間には資格の有無があった。資格を持たない人間は救済されるどころか、ゴミやクズとして地獄送りにされる。
 その視点で「魔笛」をみよう。
・主人公タミーノは「日本」の王子。実在の日本ではなく、オリエントの代表(ただし、トルコやシリア出身のアラビアやイスラムではない)。彼が道に迷ってヨーロッパに闖入する。
・オリエントは身分制の社会(なのでタミーノは「自分は王子」と名乗る)。ヨーロッパ(のフリーメーソン)は階層格差を解消する社会(なのでパパゲーノは「自分は人間」と返す)。
・道に迷った王子と啓蒙されていない自然人に、夜の女王(女性原理のシンボル。キリスト教化されるまえの古ヨーロッパでもある)は娘を取り返してと家族の回復を要請する。異国の王子は娘の絵姿をみて恋する(ヨーロッパの美意識をすでに共有している)。
・王子は女王の命令が正しいのか煩悶する。道に迷う。そこに男性原理のシンボルである弁者が現れ、ヨーロッパの「存在の大いなる連鎖」を教える。女の感情よりも男の理性が正しく、善悪の基準であると示される。王子はあっさりと女性原理から男性原理に転向。
・夜の女王の娘パミーナは開明派。家の桎梏のもとで母の命令に従うことを拒み、自立する欲望を持っている。彼女は母から逃げ出し、ザラストロ教団の庇護を受け、入団の試験を受けることを許される。
・ついでに異国の王子と自然人も入団の試験を受けることになる。異国の王子と開明派の娘は試験に合格。
・教団の入団試験に合格して、王子と娘は「存在の大いなる連鎖」の位階上昇に加わることができる。叡智と(苦悩を経ての)勇気を持ったから。〈何か〉が流出する愛と善を正しく受け止め使えるようになったから。
・自然人のパパゲーノとパパゲーナは、王子と娘が位階上昇するための引き立て役。自然人は試験の場にすら行くことができない。〈何か〉が流出する愛や善にまったく感応できず勇気を持たないから。彼ら自然人のように叡智と勇気を持たないものは救済されませんよ、という教訓の材料。
・夜の女王たちは異端や異教徒として地獄に落とされる。いっしょに地獄行きになるのは、侍女たち(結婚しない/出産しない女たちでもある)と黒人ムーア人のモノスタトス。もともと位階上昇する資格をもたないものは、なにをやっても資格を得られない。むしろ罰せられる。
・転向した優秀な異人種は同化を完成させる。教団の団員たちによる拡大家族の共同生活が賞讃される。男性社会はそれ自体では再生産能力をもっていないので、定期的に外部から人材を補充して延命する。

 というわけで、「魔笛」は「存在の大いなる連鎖」の舞台化そのものでした。そこには白人男性優先主義があり、女性差別と人種差別が含まれている。「存在の大いなる連鎖」で人間が上昇するのは困難なのであり、資格は白人男性にしかないが、例外的に西洋思想を内面化身体化した他人種にも認める。そのためにはキリスト教を通じた「存在の大いなる連鎖」の信仰を持たねばならない。という具合に、「魔笛」は首尾一貫したストーリーを持っているのだ。
 21世紀には女性と人種の差別を舞台に乗せることができない。なので、大団円ではさまざまな現代化が行われている。自分がみたのでは、ザラストロと夜の女王の夫婦がよりをもどす、パパゲーノとパパゲーナの結婚式にザラストロ教団と「夜の女王」女性集団が招かれてみなで祝福する、教団の男性団員と「夜の女王」女性集団が合流してパートナーをみつけあうなど。
(「魔笛」には異教の神々が登場する。ザラストロはゾロアスターの名前を借りたもの。ザラストロ教団は「イシスとオシリス」のエジプトの神々を讃美する。モーツァルトの時代にエジプト学が流行っていたことの反映。くわえると、15~16世紀のルネサンス期にもゾロアスター教とエジプトの神々が流行った。キリストに代わる神への回路を開くものとして、これら異教の神々を崇拝する神秘思想があった。その流れが18世紀にもあった。)

 ゲーテファウスト森鴎外訳)」を読んでいる。これも「存在の大いなる連鎖」に基づいて書かれた物語。人間が天に上ろうとして叡智と苦悩を経ての勇気を持とうとする。その試みは個人が持つエゴで失敗する。ファウストはすぐれた叡智の持主であるかもしれないが、人間のために自己を犠牲にする〈英雄〉にはなれなかったのだ。なので最後には墜落する。
 この物語に通底しているのは女性差別ファウストがつき纏うグレートフェンもヘレンもファウストに利用されるだけ。彼女らの苦悩には無関心で、彼らの死にも無感動。ワルプルギスの夜などに集まる魔物はたいてい女性。女性は誘惑して男を堕落させるものとされる。なので、この世界では救済の対象にならない。ただファウスト一人が救済されるために、ファウストは女性を足蹴にする。
 とまとめてみると、「ファウスト」はとても「魔笛」に似ている。ファウストはまるでザラストロになろうとしているようではないか(夜の女王はザラストロの元妻という解釈を取ると、構図の類似はもっとはっきりするね)。ゲーテは「ファウスト」第2部に取りかかる前に長い間沈黙したが、「魔笛」にインスパイアされて書きだしたのではないかと妄想したくなるくらい。実際、ゲーテは「魔笛」にいたく感動して、続きを書いたくらい(たしか未完)。ドイツの森のメルヘンに感心したというだけでなく(「魔笛」はドイツ語オペラのもっとも初期に作られたもののひとつで、ドイツのナショナリズムを喚起する)、「存在の大いなる連鎖」の物語化であるところに注目したのではないか。これも俺の妄想。


 「色彩論」などをみると、ゲーテの自然科学の方法はとても奇妙にみえる。実験よりも観察を重視、理論化するより思弁することが重要、物事は無目的ランダムに発生するのではなく何者かに向かうか何者かから特長が脱落していく過程を経る。科学は単独なのではなく哲学や神学と一体化しなくてはならない。このような科学は20世紀以降の現代科学からするととうてい容認できない。でもゲーテが生きた18世紀後半から19世紀前半(およびその前後)はヨーロッパが共有していた自然観と方法が「存在の大いなる連鎖」であると知れば納得。ゲーテは奇妙な考えの持ち主なのではなく、当時の強固な自然観を忠実に反映した人だった。彼が書くものはどれもそこに立脚している。


 片山杜秀「音盤博物誌」(アルテスパブリッシング)所収の「エジプトの王女と日本の王子」が異色の「魔笛」論。俺と同じくストーリーは破綻していない、つじつまが合っているという結論だが、そこで使うのが中国の陰陽道。陰と陽のバランスが崩れた社会で、社会を統治する王が不在になり陽の力が弱くなったので、陰の力の象徴である「夜の女王」が力強くなった、そこで他国の王子を招いて陽の力の象徴に据えたので、バランスがとれて、それぞれが元の場所に戻った、という。陽の世界のモノスタトスが陰に、陰の世界のパパゲーノとパミーナが陽に移動する。バランスをとるための交換が起きている。夜の女王はもとの陰の世界に帰ったので、滅ぼされていない。強引だけど、論の整合は取れている。


 そこから陰と陽のバランスが崩れた社会で起きた物語ということで、ワーグナーパルジファル」を思い出す。ここでも陽の象徴のアンフォルタスが傷で弱っていて社会が崩壊寸前。よそ者のパルジファルを招いてバランスを取り戻した、ということになる。ずっと前から「魔笛」が終わったところから「パルジファル」が始まる、「パルジファル」が終わったところから「魔笛」が始まると考えていた。それと同じ発想をする人を見つけた。岡田暁生モーツァルトのオペラ」(講談社学術文庫)もモーツァルトワーグナーの共通性を言及していた。

 

キャサリン・トムソン「モーツァルトフリーメーソン」(法政大学出版局) → https://amzn.to/4oIgegp

岡田暁生モーツァルトのオペラ」(講談社学術文庫) → https://amzn.to/49qDMSd

片山杜秀「音盤博物誌」(アルテスパブリッシング) → https://amzn.to/4srcqlW