odd_hatchの読書ノート

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丹治愛「ドラキュラ・シンドローム」(講談社学術文庫)-1 ドラキュラは帝国主義・反ユダヤ主義・感染症としての外国恐怖(ゼノフォビア)の物語。

 ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」を再読して、植民地小説、女性の社会参加を書いた小説だというのはわかった。その考えはどこまで広げられるのかということで、解説書を読む。驚くのは、似たような関心で「ドラキュラ」を読む人はたくさんいて、「ホームズ学」のような「ドラキュラ学」が成立しているようだとのこと。
 本書によると、「ドラキュラ」は侵略恐怖、異質なものの増殖恐怖であるとのこと。なにが侵略するかというと、仮想敵国とその周辺からの軍隊、植民地の被支配者、ユダヤ人、病原菌など。また19世紀末のイギリスには侵略恐怖小説がたくさん書かれた(主な書き手は、ウェルズ、ドイル、ハガード、キプリング)。そういう小説との類似や当時の社会情勢をみると、「ドラキュラ」の恐怖の象徴が見えてくる。共通するのは外国人恐怖(ゼノフォビア)である。帝国主義、反ユダヤ主義、感染症としてのゼノフォビアをみる。

帝国主義

第1章 ドラキュラの謎 / 第2章 ドラキュラの年は西暦何年か / 第3章 侵略恐怖と海峡トンネル計画の挫折 ・・・ 「ドラキュラ」はイギリスを侵略するドラキュラを撃退する「善良で勇敢な男たち」の物語。そこには5つの謎がある。小説の日付を検討すると、20世紀に書かれた1898年を懐古している(発表は1897年)。19世紀はイギリスが世界システムの覇権国であったが、産業革命後発国が驚異的に発展していて、イギリスは自身の弱体化を意識していた。1870年の普仏戦争以後、ドイツとフランスが富国強兵に成功していた。なのでこの三国には相手への敵愾心と恐怖があった(なるほど、ニーチェやロマン・ロランやトーマス・マンが隣国をけなしたり融和を主張したりするのはそのせいなのね)。また世界中に植民地をもっていて搾取と弾圧をしていたが、自分がやっていることが反転して不安になっていた。植民地の罪悪に対する正当な罰を受けるべきという意識も生まれた。トランシルバニアのドラキュラがイギリス侵略の意図をもっているというのは、このような帝国主義による不安と恐怖が反映している。

第4章 アメリカ恐怖と「栄光ある孤立」の終焉 ・・・ 1880年代になると、イギリスは周辺国がキャッチアップして優位性がなくなっているのを自覚しだした。一方政策は「栄光ある孤立」であり、行動と思想が一致しない。1890年代にイギリスは孤立政策を見直すが、重視したのは仮想敵国のフランスやドイツやロシアではなくアメリカ。アメリカも孤立政策を取っていたが、国内フロンティアがなくなり領土拡大を図っていた(ハワイ併合、キューバの保護国化など)。イギリスはベネゼエラ国境問題でアメリカと対立していたが妥協した。ヨーロッパの戦争よりアメリカとの戦争を恐れたため。このような国際政治は「ドラキュラ」に反映している。完璧なドイツ語を話すドラキュラが忌避され、オランダとアメリカには好意的。しかしアメリカ人キャラのモリスは不可解。吸血鬼の共犯者のような行動をとり、最後には殺される。これはアメリカへのアンビバレンツな感情を反映しているだろう。アメリカは友人だが、排除されるべきで、死んだら賞賛するのだ。
多民族を同化吸収しつつ領土を拡大する英米は吸血鬼に似ている。ドラキュラは抑圧されたイギリスの自己イメージである。
(アメリカ恐怖はコナン・ドイルに顕著。「四人の署名」「恐怖の谷」などがそう。)

反ユダヤ主義
第5章 ユダヤ人恐怖と外国人法の成立 / 第6章 混血恐怖とホロコースト ・・・ 1881年のアレクサンドル二世暗殺事件は容疑者がユダヤ人だったために、ロシア国内の反ユダヤ人政策になり、迫害と殺戮(ポグロム)となった。アレクサンドル三世はポーランドにユダヤ人を強制移住させたので、その後の四半世紀で約100万人のユダヤ人が難民となって西ヨーロッパやアメリカに逃れた。多くは貧困で移動先の言葉を話せなかったので、西ヨーロッパで反ユダヤ主義を拡大する原因になった。イギリスはユダヤ人に寛容であり、ディズレーリやロスチャイルドなどの社会的成功者を受け入れた。しかし次第に反ユダヤ主義に動き、1905年にユダヤ人移民を制限する外国人法を制定する。ユダヤ人にはもともと吸血鬼イメージがついていた。「ドラキュラ」で伯爵がロンドンでアジトにしたのはユダヤ人が住む貧困地区。ドラキュラ自身にもユダヤ人イメージがついている(黒い口髭、尖った顎髭、色白、鷲鼻、臭い、十字架などキリスト教シンボルを嫌うなど)。トランシルバニアは当時のイギリスでは東欧ユダヤ人のイメージを喚起する場所。そこにある金貨財宝はユダヤ人資本のメタファー。こうしてユダヤ人には貧困と金満のふたつの矛盾するイメージが追加され、拡大(増殖)性・孤立性・上昇性・寄生性で語られる。啓蒙主義はユダヤ人の社会的同化を進めていたが、19世紀末には「血の同化」を要求するようになる。そうすると、今度は反ユダヤ主義に混血恐怖が加わる。それは自分らの民族の退化と死をイメージさせ、ユダヤ人のホロコーストを容認する土壌になる。ドラキュラ退治は虐殺であり、ホロコーストを予感させる。
(そういう反ユダヤ主義と同化の強要があったので、その対抗としてユダヤ人に「国家内国家」「国家外国家」の構想が生まれてくる。シオニズムの登場。)
(東欧をオリエントにみる英国小説はこの時代に他にもあった。ドイル「ボヘミアの醜聞」だったり、アントニー・ホープ「ゼンダ城の虜」だったり。ここには先進国イギリスが後進国の東欧を啓蒙するという意図が現れていた。さらに読み込むと、英国人には彼らを植民地支配したいが、彼らが英国に移入することを阻止したい欲望もあったとみなせる。)

 

 19世紀末をヨーロッパ全体でみようとする。そうすると、1881年のロシア皇帝アレクサンドル二世暗殺事件は、ロシア革命史の一エピソードか、ドスト氏の小説の解説にちょこっとでてくるくらいだったのが、ヨーロッパ全体に影響を及ぼした重大な出来事であるのがわかる。サマリーにあるように、ロシア国内のポグロムになり、それから逃れるための東欧ユダヤ人が難民となって西欧に大移動し、西洋諸国の大きな問題になった。西洋列強は互いに牽制しあいながら帝国主義を強化していたのだが、ユダヤ人難民には強硬であることで一致する。一般国民に醸成された反ユダヤ主義はずっと強化され、WW1のあとにヒトラーとナチスの全体主義運動を起こす原因になる。ヒトラーとナチスが実行した「最終解決」のアイデアは19世紀末には複数人が主張していた。ヒトラーとナチスのホロコーストは彼らの「創見」ではなく、すでに陳腐化された凡庸な主張を実行したに過ぎない。
 ということがわかったとたんに、19世紀末のヨーロッパの地図が頭に作られ、さまざまな線や矢印を引いてできごとが波及していく様を想像できる。これまで読んできたそれぞれ単独にあった本にいっせいにリンクが張られる。歴史と本が結びついて新しい像を作る。そういう稀有な体験ができる。


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2026/04/13 丹治愛「ドラキュラ・シンドローム」(講談社学術文庫)-2 「ドラキュラ」は19世紀末ヨーロッパの変化を読み解く格好のテキスト。 1997年に続く