odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

コナン・ドイル「恐怖の谷」(創元推理文庫)

 ホームズがモリアティ教授の影を心配するなか、ポーロックなる男の持ち込んだ暗号を解く。それは、バールストン館のダグラスという男の危険をしめしたものだった。ワトソンといっしょに直行すると、すでに事件が起きている。周囲を掘りに囲まれた屋敷で、ダグラスが散弾銃で撃たれている。弾は顔を直撃していて、だれともわからない。奇妙なのは屋敷の出入りは跳ね橋を使うしかないが、事件当時、橋はあげられていて、出入りは不可能。「V.V.341」と書かれたカードが残されているが、なんとも理解しがたい。とりあえず事件の前に屋敷に出入りしたらしい「ハーグレイブ」なる男の後を追うことと、屋敷にいる被害者の20歳年下の妻、バーガーという第一発見者の話をきくしかない。ホームズは奇妙なことに、被害者の結婚指輪がなくなっていること、ダンベルの片方がみつからないことに執着する。そして、ある夜、ワトソンらに待ち伏せを提案する。
 1915年に書かれたというのになんですか、この強烈な先祖帰りは。事件の構成がウィリアムソン夫人「灰色の女」の事件にそっくり。「顔のない死体」というのも19世紀末風の趣向。というか、ディケンズの「バーナビー・ラッジ」1841年がすでに書いている(「恐怖の谷」をみると、このことに言及したものがみあたらないが、もう日本の読者の常識ではなくなったのかな)。短編ではモダンな書き方ができていたコナン・ドイルだが、この長編の書き方にはついていけない。
 第2部は上の事件の遠因。アメリカで起きた事件。なのだが、もう興味はないので、すとっばしながら読むしかない。開拓時代の終わりにアメリカに「卓越自由民団」という組織があった。全国に支部があって、そこに行けば知りあいでなくとも援助を受けられる。しかし組織は秘密であり、団員の紹介がなければ加入できず、そのうえ厳格な入団儀式を経て、同志との結託を誓わなければならない。まあ、フリーメーソンのような互助組織が、ブランキの四季協会のような秘密結社になっているというわけですな。そのような組織なヨーロッパにはないわけで(共産主義組織はオープンであったし、革命志向の秘密結社は1850年前後のパリと1870年ころのペテルブルクにしかなかった)、設定しようとするとアメリカくらいしか思いつけない。まあ、19世紀末からしばらく都市にあったギャングをモデルにしたのでしょう(登場人物にアイルランド人も出てくるし)。
 卓越自由民団が町で騒ぎと不正を起こしていて、どんどん物騒になっている。その無法ぶりは首都にも聞こえるようになり、ある探偵社が敏腕探偵を送りこむという噂が聞こえてきた。そこに最近加入した団員がその摘発に乗り出すといいだす。そして幹部を集めて探偵を待ち伏せることにした・・・
 おお、これは早すぎたハメット「血の収穫(赤い収穫)」ではないか。といいたいところだが、細部は西部劇小説。なので印象は「シェーン」「大いなる西部」「真昼の決闘」などを見たときに似ている。といってもそれは甘い評価であって、文章や人物の大仰さや単調さにはへこたれました。すっかり読む気をなくして適当にページを飛ばしてしまった。

      

 振り返ると、このストーリーはクイーン「エジプト十字架の謎」1932年にそっくり。たった17年の差であるが、クイーンの方がずっとモダンになった。ドイルでは現在の事件が田舎でおこり、過去の事件が田舎とはいえ都市で起きたのを、クイーンはひっくり返した。探偵小説が、互いに知らない人々が集まり、互いの言葉やルールが通じない場所で起こるというのを意識したからだろう。第1部でも、被害者は最近越してきた移民であるし、第2部でも遠くからやってきた異邦人が主人公。地場にいる人と異邦人の相克や葛藤が「事件」を起こし、そのどちらにも属さない「探偵」が解決するというのが探偵小説の基礎になるのだと改めて思う(そうすると、最初の探偵小説をソポクレス「オイディプス」に求めるというのもあながち誤りではあるまい)。