1951年にソ連で書かれた伝記を1953年に邦訳・刊行し、1965年に再刊したもの。伝記は大祖国戦争終結(1945年)までで、当然のことながらその死については書かれていない。スターリン批判が1956年にあったにもかかわらず、この国では1965年に再版が出ていることにも驚く。新左翼に対する抑止効果をねらったのかしら。(となると、元の持ち主はどういう経歴であり、なぜ古本屋に今頃(2008年ごろ)でてきたのかにも興味がわくのだが、ここまでにしておこう)
官製の伝記がいかに無味乾燥なもので、いかにうそをついているかがわかる格好の本。隣にトロツキーの「ロシア革命」を置いておくと、1918年当時のスターリンの行動がこの伝記に書かれたとおりでないことは明白である。さらにスターリン個人の活動も「指導した」で片づけられて、誰と何をどのように行ったのか、ほとんど具体的な記述がなく、いくつかの論文が引用されるだけ。大祖国戦争のときにも、ナチスと締結した不可侵条約を肯定的に扱ったり、彼らの電撃戦に対してほとんどなすすべもなかった(以前からナチスの脅威を知っていたというのに)と解釈する。一方、穀物の強制収用も、少数派民族の迫害も、教会の破壊も、粛清裁判も、収容所も、KGPも、カチンの森も記載されない。
あと、ここに登場するのは彼個人とレーニンと党に忠誠を使うものと敵対する者だけ。「ゾーヤ」の家族や、ソルジェニツィンやショスタコービッチのようなものは現れない。民衆というか市民というか一般人というか、そんな凡庸な人間は一切いない世界の出来事しか書いていない。
歴史の改ざん、修正はこのように行われるのかと慄然とするような本。
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フレシチョフ秘密報告「スターリン批判」によると、この小伝の執筆にスターリンは積極的に介入し、いくつかの文章は自分で書いたという。関与した多くは自画自賛のためだった。この小伝には、「自分の活動の中に、自慢、高慢、うぬぼれなどの影が少しでも見えるのを許さなかった」とかかれている(「スターリン批判」によると)。フルシチョフの報告が正しいとすると(確度は高いと思う)、なんというブーメラン。