odd_hatchの読書ノート

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小泉喜美子「弁護側の証人」(集英社文庫)

「ヌードダンサーのミミイ・ローイこと漣子は八島財閥の御曹司・杉彦と恋に落ち、玉の輿に乗った。しかし幸福な新婚生活は長くは続かなかった。義父である当主・龍之助が何者かに殺害されたのだ。真犯人は誰なのか? 弁護側が召喚した証人をめぐって、生死を賭けた法廷の戦いが始まる。「弁護側の証人」とは果たして何者なのか? 日本ミステリー史に燦然と輝く、伝説の名作がいま甦る。(裏表紙のサマリー)」

 序章と終章は刑務所の面接室。間にはさまる章では、奇数のときには三人称で事件の推移を描き、偶数章では主人公の女性のナラティブで事件を振り返る。こういう凝った設定といくつものナラティブの混在というとき、それ自身が作者の仕掛けた罠であることを認識しておこう。三人称で書かれた奇数章においても、視点は女性主人公にフォーカスしているのだし。
 さて、事件を振り返ると、ストリッパーのミミイである漣子は玉の輿にのり幸せな新婚生活を送るはずであった。しかし八島財閥(なにをしている企業グループなのだろう)の当主は気難しく、漣子の存在を認めようとしない。なにしろ杉彦はみかけはハンサムで金持ちであるが、何事も長続きせず、給料以上の小遣いを蕩尽しては会社の金を横領しているというぐうたら息子であるのだから。記憶がいい加減になるのだが、さきにどこかに嫁いだ姉は弟をだらしないと思っているうえに、玉の輿に乗った漣子への蔑視をかくそうともしない。その周辺にいる当主の顧問医師にしろ、弁護士にしろ、龍之助の機嫌に一喜一憂してはおこぼれをもらいたいというさもしい連中である。また三代続くこの名家を管理するメイドに運転手、料理人は漣子を家に闖入した厄介者としか思わない。漣子はひとり孤独であり、また誰が父親かわからない子をはらんでいて精神は不安定である。事件は杉彦と龍之助の関係が完全に切れてしまった夜に起こる。これらの一癖もふた癖もありそうな連中がそろったパーティのあと、龍之助が何者かに文鎮で頭を割られたのであった。
 犯人に死刑判決が出た後、漣子はその結論に納得しない。劇場の踊り子仲間の紹介したアル中のさえない弁護士が彼女の依頼で動くのであった。この社会の厄介者を自称する弁護士が、11章では熱弁を奮う。このバタ臭いが感動を呼ぶシーンには、多くの冴えないサラリーマンが共感することであろう(もちろん自分の胸も熱くなった)。黒澤明「醜聞」の再現だね。
 さてこんな風に第三者の眼で再構成してしまうと、この傑作の骨格は昔なつかしの「館もの」ミステリーであることがわかるだろう。それこそ、ヴァン=ダイン、クイーン、カー、クリスティその他のもろもろが1940年までいくつのバリエーションを書いてきたものか。そういう諸作を思い出せば、この館の「問題」というのは明確に書かれている。それを覆い隠していたのは、弱いがけなげで勇気ある女性という斬新な(当時においては)視点と、複数のナラティブの使い分けであった。皮袋が古くなっていても、そこに注ぐ酒をうまく調合すれば、新しさというのが現れてくるということかな。しっかりと自分もだまされ、作者の仕掛けたとおりに思い込みをもってしまったのであった。(この手法は実は作中で明らかにしていて、女性主人公は自分の状況をデゥ・モーリア「レベッカ」、というよりヒッチコック監督「レベッカ」であると言わせているのである。)
 あわせて、この作が1963年であるということを思い出し、フランスミステリのあれとかこれとかそれとかをおもいだし、なるほど書き方とか人物の配置の仕方がにているなあ、とページを繰るのをやめて、少し遠くを眺める目つきになったことを付記しておこう。