odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

井上清「自由民権」(岩波現代文庫) インテリvs大衆問題には無援でいられた、アカデミズムにこもった人が書物を読んで明治の運動を知った。

 自由民権運動の単著は出さなかったが、折に触れて書いた論文を収録。

自由民権運動1951 ・・・ 明治維新前から民衆の民主改革要求はあったが、散発的な運動にとどまった。明治政府ができて封建的な体制はなくなるかにみえたが、官僚制と資本主義を基とする政府は、民衆・人民の搾取を強化しようとした。その反対運動が、徴兵制反対、地租等の税制変更反対として現れる。これを弾圧するが、一方、板垣・後藤などの民主政府成立を目指す運動がインテリ、小ブルジョアで起こり、それらが全国各地に広まった。政府は弾圧を強化するが、民権運動の拡大と革命転化を恐れ、国会開設と憲法発布を約束せざるを得なくなる。その成果の一方では、新聞条例などの整備により運動の弾圧とインテリ・小ブルジョアの懐柔によって、運動は退潮したのである。というまとめ。まだ民間の運動の掘り起こしのない時代なので、自由党を主体とする民権運動という見方。

日本における民族主義の歴史と伝統1952 ・・・ この国の「民族主義」の思想史。明治時代についていうと、絶対主義的国権主義まで。国内の民主化は認めても、国外には侵略主義であることに矛盾を感じなかったことが重要。ここでも、ルソーほかの民主主義を唱えながら国権主義に「転向」した思想家がいることに注意すべし。あたりのまとめ。

自由民権運動をめぐる歴史的評価について1956 ・・・ 注目するのは、自由民権運動と地租の関係は議論されるが、徴兵制度との関係がおろそかになりがちという視点。あと、義務教育反対もあった(当時は親が教育費を負担しないといけないし、学校がないのでそれを作る費用も負担した)。

日本人のフランス革命観1959 ・・・ フランス革命はしばらく紹介されなかった。最初は1820年代ころ。ナポレオンとフランスの軍事情報に注目していた。しばらくはその線で理解される。フランス革命の概略は明治直前頃に紹介。抵抗権に関する記述があった。「革命」の「正当」な評価は自由民権運動の1870年代になってから。植木枝盛中江兆民の理解がしっかりしている。一方で、革命を不実、不当なものと批判するものが金子堅太郎(のちに明治憲法を起草)などから出てくる。でもって、戦後に至っても歴史家と人民はジャコバン派を乗り越えていないと批判。現代的な「革命」概念は上記の植木・中江などで確立したとのこと。

兆民と自由民権運動1966 ・・・ 兆民の評伝。明治の民権運動に参加したインテリや元士族は運動の退潮とともにいっせいに転向した。その中で、兆民を評価しようとする論文。同時期に家永三郎植木枝盛研究」という大部の評伝が出ていたので、もしかしたら対抗意識はあったかしら。兆民にはルソーの紹介者、民権思想の提唱者、新聞他でのジャーナリスト活動、代議士活動などがあるけど、ほとんど成果はない。「三酔人経綸問答」が読まれるくらい。そこにおいて、井上は晩年の「一年夕半」での民主主義から社会主義への思想を評価する。この部分は一気にかきすぎていて説得力はもたない。ああ、「三酔人経綸問答」の感想でルソーやモンテーニュをよく知っていたなと感心したけど、彼は20代前半にフランス留学をして、これらの著作に慣れ親しんでいたのだった、という。

土佐の自由民権運動と民衆1993 ・・・ 自由民権運動の立役者には板垣、後藤、中江、植木、馬場など多数いるが、ほとんどが土佐出身(なので、柳広司「贋作「坊ちゃん」殺人事件」(集英社文庫)で愛媛と高知の関係の推測が生まれる)。著者も土佐出身。なので土佐の人々を書いてみた。


 この国の人は組織を作るのが好きだねえ。それでもって、外から見ると差異の付かない些細なことでグループにわかれて分派闘争をするのだなあ。ここでも板垣・後藤の自由党と大隈の改進党が別々にできるし、自由党も党主と一般党員でいざこざを起こすし。同じような団結と分裂は、明治維新尊王攘夷の志士たちと、昭和初めの右翼と、1956年代以降の新左翼と、1990年代以降のプロレス団体と、という具合に枚挙のいとまがない。で、組織のミッションやヴィジョンはたいてい達成されない。なので、また新団体を再結成。その繰り返し。なんともはや。
 著者の中江兆民評価はひいきのひき倒しの感あり。そこまでして「革命家」のイメージを作ることはないのではないかな。で、著者の評価から離れて中江をみたときに自分の思ったのは、この人は知識人対大衆の懸隔に悩んだ最初の(に近い) 人なのだなということ。若くしてフランス留学して、最新知見を持ち帰ったものの、その意見は受け入れられない。大衆に入って運動しても空回り。考えはダッチロールして、さまざまに変容していく。ときには運動を離れ実業にはいるも、成功にはほどとおい。そういう悩みを抱えた近代的な「知識人」だったのだなあ、と。
 で著者はこの種のインテリvs大衆という問題にはたぶん無縁でいられた人。一揆や地方の無名人による民権運動に筆を伸ばすことはあっても、その内実には深く触れようとはしない。それは大学教授という立場であれば、可能であるような立場なのだろう。個別事例の掘り起しをする次の世代の歴史家(色川大吉など)とは違っていた。