odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

舟崎克彦「ぽっぺん先生の日曜日」(角川文庫)

 ぽっぺん先生シリーズの第1作。1973年初出。

 ファンタジーにおいて、設定した異世界にまで主人公を届ける描写は難しい。そこに到着するまでの間に、異世界に移動したことを読者にわからせなければならず、同時に異世界と読者や作者のいるこの世界が隔絶していることを明らかにしなければならないのだ。明晰に書くとすると異世界はこの世界と地続きであり、主人公が元の世界に戻ろうとする努力を理解できなくなる。曖昧で簡単に書くとすると、その世界にリアリティを感じることがない。この塩加減、塩梅は難しいところだ。いくつかの方法をあげると、1.主人公が気絶・就眠する(その間に世界が変わる)、2.主人公が移動する(冒険航海の途中に遭難する)、3.異世界が主人公を巻き込む(もや、霧に包まれる)となる。この困難を避けるために、あらかじめ異世界を用意し、主人公はそこに住むものだという設定にする場合もある。ミヒャエル・エンデの作で言えば、「果てしない物語」は3の例であるし、「モモ」は後者のあらかじめ主人公がそこにいる場合だ。
 さて、この「ぽっぺん先生の日曜日」およびこのシリーズは主人公が巻き込まれる場合を使ったものだ。書斎の整理をしている最中、古い絵本が見つかる。小学生か幼稚園のときに熟読した本なので、懐かしさのあまり、紐解いていると、いつの間にか本の世界に入ってしまった。ぽっぺん先生は現実に帰還するために、本に書かれたなぞなぞに答えなければならない。そんな昔のことはおぼえちゃいねーよ、というわけでぽっぺん先生は右往左往する。
 ここで作者が「うまくやったなあ」と思うのは、主人公ぽっぺん先生が38歳独身で近視のめがねをかけていること。彼はめがねが曇ったのを拭こうとしてずりあげ、あたりの視界が悪くなったら、本の世界に入っているのだ。とても説明が行き届いていて、納得しやすい導入部。これはそのまま異世界から戻るときにも使われる。こういう作者が異世界とそこでも冒険を語るときの手配りはきっちりとしていて、主人公の設定から登場人物にいたるまで周到だ。彼の行き届きは、優れた秘書の手配のようなので、読者はビジネスクラスの座席に乗ったように、物語を楽しむことができる。
 とくに本のなかに巻き込まれるという仕掛けがわれわれのようなブッキッシュな人間には楽しいことで、もともと本を読むことは本という異世界に巻き込まれるという楽しさにある。大人になってからも本の世界に没入することに執着するボルヘスウンベルト・エーコらの小説を楽しむことができるのであり、その源泉はこのような子供向けのファンタジーをたくさん読んだことにあった。
 この小説は、「不思議の国のアリス」をモチーフにしてところが多々ある。冒頭のペンギンは三月ウサギであり、かくれんぼをする4匹の動物の支離滅裂な会話はキチガイじみたお茶の会であり、ベビーシッターをするブタは癇癪もちの公爵夫人であり、先生を捕まえポーカーで時間をつぶすイタチはトランプの兵士である。ほかにも絵本のストーリーとおりに進まなければならないというモチーフは、チェス・ゲームにあわせて物語が進む「鏡の国のアリス」であり、かぼちゃの檻に捕まえられイタチが先導するのはペローの「シンデレラ」であるなど。このような既出の物語を少しずつずらしながら作られている。元モチーフを探すことも一興。