odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

都筑道夫「犯罪見本市」(集英社文庫)

 初出は1970年だが、書かれたのはもっとまえの1960年代前半とおもう。初出の情報は不可欠なので、解説を書くときは必ず書いてくださいな。あなたの楽しみだけを書くところじゃない。
 個々には関係のない独立した短編を集めたもの。

影が大きい ・・・ やさ男の小曾根は失業中だったので、おもちゃ店の宣伝でだるまの着ぐるみで町を歩くバイトをすることになった。やくざの友人にたのまれたので、1時間ほど交代したのが失敗だったのか。帰り道で別のやくざにおどされるわ、アパートにはキング・サイズ・グラマーが全裸でまっているわ、と大騒ぎ。いずれもあれをだせというが、あれがなんなのかわからない。そこで、同じ部屋を借りている(ルームシェアという言葉のないころ)手相見の渡辺に相談する。すると、その町のふたつのやくざの組が二人をつけまわして、てんやわんやのおおさわぎ。黒澤明「用心棒」を換骨奪胎した昭和30年代のアクションコメディですな。キャラクターがそうだし、彼らの会話も今ではレトロなしゃべりかた。みんな貧乏で、背伸びしながら明日を夢見ていたころ。でも町は汚く、空気も川も汚れていて、自動車事故も多かった。同じ時代の岡本喜八組でキャスティングするとだな・・・

札束がそこにあるから ・・・ 中年男の定吉は、兄貴分の若い重次のさそいにのってねたのないゆすりをすることにした。隣室のけなげな娘が50万円ないと親が家から追い出されると聞いたからだ。ゆすり先の会社の女社長を直談判すると、いきなり殴られる。気が付くと女社長が射殺されている。警官が入ってきたのであわてて逃げだすと、こんどは風来坊風の男が手を貸してくれる。重次に言われてもう一度女社長の家に行くと、なんと社長は生きている。わははは、お前は騙されているんだよ、と定吉を嘲笑するのが増えるたびに、騙し騙されの構図が壊れていく。札束をめぐるコンゲームキューブリック現金に体を張れ」で、プール際の攻防は「地下室のメロディー」で、脇腹を刺されて苦悶するのは「灰とダイヤモンド」で、と映画の記憶がよみがえる。珍しく苦い味のする犯罪小説。

隣りは隣り ・・・ 都心を離れた郊外に十字路がある。しょっちゅう車が塀をこするので「幸福荘」が「空腹荘」になってしまった。ここには4号室がなく、1号室は空き部屋。ある日、下着姿の女が入ってきた。よろしくなる寸前にいなくなり、代わりに人間の腕が置いてある。脛もつ身とあって警察に届けられない。隙を見て隣の部屋に押し付けた。そうしたら、となりの住人も捨て場に困る。この安アパートにはマネキン職人が住んでいて、その腕も消えてしまった。というわけで安アパートの住人は人間の腕をかかえて大騒ぎ。途中で、マネキンの腕からはヘロインも見つかるし。アパート5部屋だけで物語が進むのはヒッチコック「裏窓」で、死体の腕を抱えて右往左往は同じく「ハリーの災難」。6畳一間に洗面台だけの安アパートというせちがらさはこの国のものだね。

森の石松 ・・・ 取材で浜松市にいったら、森の石松の末裔と称する知り合いにあった。彼の言うには、あれほど喧嘩すきな石松があっさり殺されるわけはない。それに、死後、次郎長親分に届けが行くのも遅すぎる。というわけで、講談本に歴史本を読み返して石松謀殺の謎を解く。最後はダジャレ落ち。田中啓文の出るずっと前の作品。初出の前に、ジェセフィン・ティ「時の娘」(ハヤカワポケットミステリ)高木彬光「邪馬台国の秘密」(角川文庫)があった。そのパロディ。21世紀になると次郎長一家を知らない人が増えたが、この時代(昭和30年代)はマキノ雅弘次郎長三国志」に、講談で、だれもがおなじみだった。
村上元三「次郎長三国志」(春陽文庫)


 サマリーに書いたように、当時人気のあった映画を引用したり、置き換えたり。パロディとパスティーシュ(という言葉はまだなかったころ)の手法で、楽しい作品を書いた。書いた時には当時の風俗に沿った描写は読者は説明抜きで理解したものだが、書かれて50年たつといささか苦しい。店の前で着ぐるみやキャンペーンガールがチラシを配るのは今はあっても町を練り歩きはしない。アパートの入り口はそれぞれ別に外に面していて、廊下で住人が顔を突き合わせたり醤油や塩や電話の貸し借りをすることはしなくなった。江戸から明治の有名人は講談やチャンバラ映画で知るものだったが、当節はアニメのキャラのほうが通りがよい。まあ自分の年齢あたりが、注釈抜きで楽しめる下限の年齢なのだろう。
 あと気になったのは、小説のテクニックはもちろん万全。どんなにこんがらがった筋でも最後には一つにまとめることができるようになっている。それはクライマックスでの効果は抜群になるけど、途中が息苦しい。物語がクライマックスに奉仕するために進んでいて、作者の構想の外に飛び出ていくものがみあたらない。人物もちょっと堅苦しい。そんな贅沢な不満をもってしまう。このあとなめくじ長屋あたりから、風俗やトリビアをさかんに書き込むようになったのは、同じような不満を誰かに言われたか、それとも自覚したのか。同じ時代の長編だと、そんなことにはならないのだがねえ。

<追記2021/5/5>
2021年5月のちくま文庫に分かれて収録された。