odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

貫井徳郎「プリズム」(創元推理文庫)

 小学校の若い女性教師が自宅で死体で発見される。睡眠薬を飲まされ(ホワイトデーのお返しのチョコレートに混入)、思いアンティークの時計が凶器だった。部屋の窓はガラス切りで開けられていて、複数の人物が事件の前後に侵入したらしい。とりあえずの容疑者はチョコレートを贈った同僚の男性教師。しかし、容疑は薄れ、犯人は容易にはわからない。憶測が流れ、さまざまなうわさが女性教師の過去を暴く。
 というシンプルな事件を4人の視点で描写する。最初の章は女性教師が担任の小学5年生。事件の笑劇よりも犯人捜しに興味を持つ。彼らの推理は男性教師が付き合っていた同僚の女性教師。次の章はその女性教師の視点になり、被害者が過去に付き合っていた医師であるとする。第3の章の視点はその過去に付き合っていた医師。彼は被害者の妹が付き合っている別の医師(かつ同じ病院の同僚)の助けを得て、女性教師が自分と別れた後に付き合った不倫相手が犯人であるとする。最終章は不倫相手の視点。彼はもう一度チョコレートを贈った同僚の男性教師を捜査する。男性教師には睡眠薬を飲ませて女児にいたずらしたという噂があった。その突き付けられてうろたえる男性教師。そして医師は自分の息子が被害者の女性教師のクラスにいて、最初の章の小学生たちの知り合いだった。

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 というわけで、1999年の国産探偵小説はバークリー「毒入りチョコレート事件」をパスティーシュにしたのだった。小道具の睡眠薬入りのチョコレートは意図的な選択。パスティーシュではあっても、元ネタを知らない若い読み手がでていただろうから。あとがきによると、ここには同じ事件の別々の解釈が10あるという。あれ、そうだっけ。上のサマリーでは章ごとの語り手の解釈だけを書きとめたが、ほかのキャラクターの解釈も加えるとそうなるのだろう。こういう多重解釈という趣向はあまり興味がなく、自分が感心したのはシュニッツラー「輪舞」のような趣向。被害者を中心にして、最も近くにいるものを描写し、少し外の人を名指しする。名指しされた人は被害者の再解釈をして交友関係を広げていく。その繰り返しでだんだん被害者の人的関係の網目が複雑かつ広がりをみせていく。そういうやり方が面白かった。その結果、一見人好きされるようなコケティッシュ若い女性が、本人の意図とは別に他人の反感を買い嫌われているのが明らかになっていく。そこで好意と憎悪の地と図が反転する。ここらは初期クリスティの主題でもあった(「マダム・ジゼル殺人事件」「エンド・ハウスの殺人事件」「「牧師館の殺人(ミス・マープル最初の事件)」など)。クリスティでは女帝のような巨大な影響力をもつ族長みたいなキャラだったが、ここではせいぜい小悪魔というところ。存在感の薄さがあって、この主題はうまく書かれなかった。 (以下ネタバレになるので、ご注意。)

 

 「毒入りチョコレート事件」にしろ「プリズム」にしろ、事件の解釈の多様性と決定不可能性みたいなことを主張している。それは知的蕩尽としてはありとは思うが、俺はあんまり楽しめない。というのは、この事件の関係者の推理比べには決定的に欠けている視点がある。すなわち捜査の主体である警察とそれが依拠する法。この事件でも、犯意をチョコレートに睡眠薬を混入させることに求めるのだが、被害者の死因そのものではない。となると、犯人を追及する根拠を失うわけで、推理をする意味はない。なのでほとんどの記述はご苦労さんとしかいいようがないのだ(小学生らによる探求は別の犯罪を告発するためのきっかけであって、そこには切実な意味がある)。加えて素人の捜査は荒っぽく、容疑(があると思いこんだ他人)に質問をするとき、住居不法侵入、脅迫、強要、暴行などの不法行為を働くことになる。自身は「真実」開陳のためと正当化を図るが、他人からすれば粗暴な人物に他ならない。素人捜査による多重解釈という知的遊戯は、公正と法治の理念を無視し、近代捜査を否定するところにあるのだ。ここには違和感。
 他にもいろいろ読書に乗れない理由が多々あった。1999年で女性教師の交友関係をめぐるいさかいというのは昭和40年代に時代を巻き戻したようなアナクロニズム。まるで新本格にでてくる大学生のような会話をする小学生(福永武彦のキャラと思えばまあいいか)に、幼すぎる20代の女性教師。噂やスキャンダルに熱中する中年女性たち。空き時間をそこまで素人捜査に費やす情熱の意図が分からない大人たち。ここらはどうもなあ。リアリズムの文体で書かれたファンタジーの趣き。
 それに主題の割には御大層なタイトル(おれはアドルノ哲学書「プリズメン(邦訳のタイトル。ドイツ語なのでこの表記)」を思い浮かべて、齟齬を取り繕うに苦労)。若者の書き手の稚気なのだろうが(当時作者は29-31歳)、情状酌量する気になれなかった。