odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

莫言「赤い高粱」(岩波現代文庫)-2

 
第2部 高粱の酒

 1939年8月10日の鬼子待ち伏せは凄惨な結果になる。祖父と父だけが生き残り、ほかのパルチザンは全員が死亡した。呆然とする祖父を励まし、村に帰る。
 途中で思い出すのは、祖母の嫁入りのあとのできごと。祖父はもともとは貧乏人の息子で父がいない。母が和尚と不倫しているのに怒り、和尚を殺してしまう。そのあと村を逃亡し、葬祭団の一員になっていた(なので祖母の嫁入りのかごを担ぐ)。いったん嫁入りをやめて実家に祖母が返っている間に、祖父は嫁入り先の酒造家の男を殺害する(婿がハンセン病患者であったという理由:時代の制約であり、当時の状況の説明なので諒とされよ)。そこで祖母が見事なリーダーシップを発揮。杜氏や下男らがうろたえる中、服喪と同時に家中の清掃を命じ、新たな高粱酒の製造に着手する。そのころに祖父は自分を雇うように命じるが、祖母はほかの雇用人と同じような手続記を踏ませて下男にした。祖母は高粱酒つくりの天才であり、優れた経営家。祖父の粗相からいままでにない上質な高粱酒を作ることに成功し、同時に県長の後援を得るまでに至る。祖父のやんちゃはとどまることを知らず、県長とも村のやくざなどと争い、実力をつけていく。町にでて購入した二挺の拳銃は、その腕前とともに彼と村の護身となる(第1部で大活躍し、一丁は父のものになるのである。
 この祖父の粗暴さと活力は、神話時代の英雄の趣き。失敗してもめげず、常に悪態をつき、ついには常人離れした活躍で地域を活性化する。この男は中国に現れたトリックスター。あいにく彼の掌握できる人数は数十人どまりなので、この村の外に影響力が及ぶことはない(ということは、毛沢東その他の中国共産党幹部はどれだけ常人ばなれしたことか)。しかし、より目を向けなければならないのは祖母の存在だろう。16歳までほぼ家から出たことのない箱入り娘が、見知らぬ男との婚礼を強制され、無頼漢のいじめに涙を流し、交合を強制される。社会や世界の厳しさと差別を受けた途端に、彼女は力を発揮する。若い祖父が無能な男たちを排除してから、すぐさま酒屋の権力を掌握し、村の造り酒屋だったものを東北郷随一の酒屋にのし上げる。新商品のイノベーターであるのにならず、経営の才に恵まれ海千山千のライバルを蹴散らしてしまう。ほぼ無学な旧世代の出身でありながら(あるいは百姓@網野善彦の世界ではありうるのかも)、たくましく生活する力は大きい。その存在ゆえに祖父や権力者らの暴力を抱擁してしまう。まことに大いなるメイトリアートに他ならない。
 こういう英雄と地母神の存在が許容されるのは、大地が赤い高粱でおおわれているから。食糧であり酒の原料であり、食器他の什器であり、そのたさまざまな役割を生活で担うのみならず、追剥を隠し、暴力と殺戮の痕跡を覆う大地の植物。それが放つ赤には、豊穣と同時に血にまみれる死をも内包する。この小説世界では、自然の恵みは社会の暴力と一緒に現れるのだ。どこでも死体と血がころがり(祖父はレイプ犯になった伯父を掟に従って射殺し、待ち伏せで瀕死の重傷を負った部下の懇願で頭に銃弾を放つ)、糞と尿が垂れ流され、水はにごり、家の奥には不浄の場所がある。罪は法で罰せられるのではなく、権力者の恣意で決まる。そういう荒くれた土地に生える赤い高粱。暴力と血と死が充満する社会でありながら、凄惨ではなく、ときに清涼で爽快な気分になるのは、土地がそうさせるのだろう。人間に厳しいが豊穣でもある土地があるから、神話的人物が存分に活躍できる。これは日本では作りえぬ文学だなあ。
 8月10日の待ち伏せで鬼子の小隊を壊滅させた。その報復は早く、祖父と父はゲリラ戦で対抗するものの村は壊滅。二人はその後流浪の旅に出る。「続・赤い高粱」で語られるのだろう。

(日本鬼子のやり口は1937年の南京市で行った大虐殺をそのまま繰り返したものであり、その後の三光作戦につながるものであった。)

 

 

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