odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

フョードル・ドストエフスキー「悪霊 下」(新潮文庫)第2部9.10 舞台劇のようなシチュエーションコメディ

2024/11/04 フョードル・ドストエフスキー「悪霊 下」(新潮文庫)第2部補章スタヴローギンの告白 彼が沈黙している理由がわかる。スタヴローギンはマルメラードフの被虐とラスコーリニコフの過剰な自意識を持った複雑な人間 1871年の続き


第9章 ステパン氏差押え ・・・ ステパン氏の屋敷に役人が来て、ゲルツェン著作集と檄文を押収した(ので、差押えではなく家宅捜査の方があっている)。ステパン氏は「恥辱を恐れる」「人生が終わった」と嘆く。突然、県知事レンプケに会いに行くといいだす。
(なぜゲルツェン著作集が押収されたのか。当時ロシアのインテリに影響力がある社会主義者だったため。)

ja.wikipedia.org

第10章 海賊たち。運命の朝 ・・・ ステパン氏が出かけると、県知事邸前にはシュピグリーン工場の労働者約70人が集まって給料の未払いを訴えていた。中にはピョートルのサークルの息のかかったものもいるが、彼らは請願に来ただけだった。それでも県知事らに暴徒だとされてしまう。
 すなわちレンプケはユリア夫人と祭りの件で夫婦喧嘩をしていて気分が悪かったところに、警備の警官がやってきて「暴動」の報告に来た時に、「海賊」とききちがえたのであった。「暴徒」の前に出たとき、彼は動転しおぞけをふるってしまい、ついピョートルにそそのかされていた「鞭だ」と叫んだのである(即座に県知事は引っ込んでしまったので、その先に起きたことは第3部にならないとわからない)。
 県知事邸にはステパン氏が家宅捜査の釈明に訪れていて、そこにユリア夫人が取り巻きを引き連れてやってくる。ステパン氏は祭りで講演することで県知事に説明する。カルマジーノフが出立の挨拶に来る。スタヴローギンが来る。ピョートルが来てステパン氏を小ばかにする。ユリア夫人はレビャートキンから手紙が頻繁に来るので何とかしてくれと頼む。リザヴェータがスタヴローギンに話しかけようとする。そこでスタヴローギンは「もう手紙はいかない。なぜならマリヤと結婚しているから」と説明する。一同驚き散開する。自宅に戻ったワルワーラ夫人は深く嘆く。
(カルマジーノフはツルゲーネフのこと。ドスト氏は彼を嫌っていた模様。というのは、1840年代にロシアを離れていたためだが、それはこのような私的な事情のためだった。

「中でもロシアの作家、イワン・ツルゲーネフは、1843年に《セビリアの理髪師》のロシア公演でポーリーヌ・ヴィアルドの出演に接してから、彼女に恋焦がれた貴族の一人であった。1845年には彼女を追ってロシアを去り、とうとう執事さながらヴィアルド家に上がり込み、ヴィアルド夫妻の4人の子供をわが子同然に可愛がりつつ、亡くなるまでポーリーヌの崇拝者であり続けた。彼女はその見返りに、ツルゲーネフの作品を批評し、自分のコネや手練手管を用いてツルゲーネフが陽の目を見ることができるようにした。」

 ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドという歌手に入れ込んで、自宅におしかけていたのだった。このポーリーヌ・ヴィアルドは、ツルゲーネフのみならず多くのフランス人芸術家に愛されたらしい。記述によると、ベルリオーズ、サン・サーンス、グノーなど。マイアベーアも彼女のためにキャラと歌を作ったという。1830年代からフランスオペラは大ブームになったのだが、その立役者ともいえる存在だった。彼女は作曲もしていたようで、近年では舞台作品が上演されるようになっているという。

ja.wikipedia.org

 この短い2つの章は、ドスト氏の技術を堪能しよう。県知事邸にはレンプケとユリア夫人しかいなかった(使用人を除く)。二人が出払ったあと、レンプケが帰ると同時に、ステパン氏が来て、以下サマリーのように次々と人が来る。それぞれが勝手なことをわめいている。混乱が増していった頂点で、ユリア夫人の問いかけにスタヴローギンが短く答えて、一同が愕然とする中、急速に幕が閉じる。まったく舞台劇、シチュエーションコメディをみているよう(たぶんこの手法を埴谷雄高は「死霊」の第1章にいただいちゃいました)。
 「悪霊」では、子の世代であるピョートルとスタヴローギンが知的なやんちゃで犯罪者。「罪と罰」ではラスコーリニコフ一人に親世代はてんてこまいされたわけだが、「悪霊」ではそれがふたりになり、彼らの使嗾やほのめかしで動く人間がいっぱいいる。そのために事件の規模が大きくなる。
 「罪と罰」は最初に犯罪が行われそのあとは始末をつけることが描かれるが、「悪霊」は犯罪が行われるまでにどう対処するかが描かれる。そのさい、「悪霊」には、知的なやんちゃで犯罪者を頭ごなしに叱れる、あるいは知的に人格的に圧倒する大人がいない。なので若者は限界を知らず/示されずに暴走する。暴走は全体主義運動につきものなので、止めなければならない。それを行うべき人々が、全体主義運動の危険を察知できなかったのが問題。

 

フョードル・ドストエフスキー「悪霊」(新潮文庫)→ https://amzn.to/3WBIxA7 https://amzn.to/3YxIrft
光文社古典新訳文庫)→ https://amzn.to/3yiZ58e https://amzn.to/4frVgOJ https://amzn.to/4fBNe5J https://amzn.to/3WydPYM
岩波文庫)→ https://amzn.to/3WCJV5E https://amzn.to/3LRCsLd 

亀山郁夫ドストエフスキー「悪霊」の衝撃」(光文社新書)→ https://amzn.to/3z4XZNP
亀山郁夫「謎とき『悪霊』(新潮選書)→ https://amzn.to/3ziWU4X

 

2024/10/31 フョードル・ドストエフスキー「悪霊 下」(新潮文庫)第3部1.2 酔狂な祭りと炎上。陰謀がひそかに進行し、滑稽な人たちは間抜けぶりをさらずはめになる 1871年に続く