odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

伊東俊太郎「十二世紀ルネサンス」(講談社学術文庫) 地中海世界でおきた5回のルネサンスのうち12世紀のものを紹介。ルネサンスは古典復興ではなく文明移転。

 ルネサンスを古典学術・芸術の復興としてみると、教科書では14世紀イタリアのできごとに注目してしまう。それは19世紀ヨーロッパの歴史家が言い出したことがいまだに継承している証。しかし、ルネサンスを文明移転としてみよう。すると、ヨーロッパとオリエントでは少なくとも5回ルネサンスがあった。よく知られているのは最後のもの。ここではそれ以前のルネサンスのうち12世紀地中海世界で起きたことを説明する。もとは1986年に岩波セミナーで行われた7回の講演会を書き直したもの(1993年初出)。


 さて、西洋とオリエントにとって古代の英知は古代ギリシャのもの。この地はマケドニア、つづいてローマ帝国が支配することになったが、彼等はこの英知に関心を払わなかった。それが残ったのはギリシャ人が書物を携えて小アジアやエジプトなど地中海地方に分散して、各地で研究や教育を行っていたため。ローマ帝国が東西に分裂したのち、西ローマはこの英知を無視したが、東ローマは英知を継承した。このときネストリアス派などの異端を追放したので、彼等はさらに東へ向かいペルシャに安住した。すでイスラムの帝国ができていたが、この帝国は学問と芸術を推奨した。そこで5世紀にギリシャ語文献をシリア語に翻訳する運動がおこる。これがシリア・ルネサンス。そして8~9世紀のアラビア世界でギリシャ語やシリア語の文献をアラビア語に翻訳する運動がおこる。これがアラビア・ルネサンスアリストテレスの全部や自然研究の書物などがアラビア語になり、アラビア人の探求に生かされる。ちなみにペルシャはインドと交易していたので、印度数学が入ってきてアラビア数学が作られる。11世紀はアラビアの学問の最盛期。
 そして12世紀の地中海地方でルネサンスが起こる(その前の8世紀にカロリングルネサンスがあったがここでは割愛)。主要な場所は、カタルーニャとトレドのスペイン地方と、シチリア島と北イタリア(ヴェニスやトレドなど)。これらの場所は西洋とイスラムが接触する場所で、イスラムが寛容な政策を取っていたので、アラビア人とユダヤ人とヨーロッパ人が一緒に研究する機会があった。そこでアリストテレスや自然探求の書物がラテン語に翻訳される。翻訳されると、西洋の知識人が深く読み込んで、新しい思索を始めた。たとえばトマス・アクィナスも主著を書くにあたって、イスラム文献を参照していたという。
科学史を読んでいると、プラトンアリストテレスの影響が14世紀ころから現れてくるのが不思議だった。これを読んで氷解。なお、ヨーロッパがイスラム文化と出会ったのは十字軍がきっかけとよく説明されるが誤り。十字軍は破壊と略奪だったので、異文化の接触はなかった。まして移動は起こらない。)
(12世紀には創世記の記述を神なしで合理的に説明する書物が現れている。岡崎勝世「聖書vs世界史」講談社現代新書によると、聖書の記述に沿って歴史を記述する普遍史古代ローマの末期のキリスト教が異端とされてきたときからという。すでに数百年も経過すると、西洋には合理的な精神が現れていたのだった。)
 なぜ12世紀にルネサンスが起きたのか。西洋の内的要因は、1.封建制の確立(国家が成立)、2.食糧生産拡大、3.商業復活(アラビア商人のマネをする西洋商人ができて、ギルドなどが成立)、4.都市・大学の設立、5.知識人の誕生などをあげている。驚いたのは、十字軍が西洋の知的運動にはほとんど貢献していないという指摘。破壊と収奪の活動だったので、知的活動には無関心だったそう。それより、西洋とイスラムの接点で起きた交流が重要。そこに噂を聞きつけた知識人が集まって集団研究をした。
 著者が注目しているのは、ルネサンスは古代復興ではなく、文明移転だということ。上記の翻訳運動では書物を取捨選択したのではない。あるものはすべて。それを読み込み思考して、新たなアイデアを出し表現した。文明の移入と創造があった。それがルネサンスの大事なところだという。また、民族や集団の大移動は文明移転の機会になった。たとえば、シリアルネサンスを用意したネストリアス派などの異端の集団移動。ビザンツ帝国崩壊時に知識人がイタリアに集団移動した。13世紀のレコンキスタでスペインから追放されたユダヤ人は地中海地方に散らばり、カバラ―などのユダヤ思想を広げた。20世紀でもソ連革命やナチスを逃れたユダヤ人などが亡命先で新しい文化の創出に関わった。このような事例はアジアでもある。任那滅亡で朝鮮人が移住したり、明崩壊を逃れた儒学者が幕府や藩に採用されたり。明治維新でお雇い外国人を大量に採用して西洋の学問を帝国大学などに移植したりした。ルネサンスというと内発的な知的運動とみなされがちだが、それは誤りだと著者は強調する。その通りだと思う。

 中世とイタリアルネサンスは以下を参照。
田豊之「世界の歴史09 ヨーロッパ中世」(河出文庫
https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/20160329/1459210127
https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/20160330/1459296068
https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/20160331/1459383728
https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/20160401/1459466757
会田雄二「世界の歴史12 ルネサンス」(河出文庫
https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/20160411/1460333040
https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/20160412/1460420026

 

 最後の章で、トゥルバドールが紹介される。12世紀に起きた吟唱詩人(と著者はいう)たち。これもアラビアの影響がある。楽器リュートはアラビアの弦楽器ウードを移入したもの(アラビア語を誤用した)。世俗の愛を称賛するのは、同じくアラビアの吟唱詩の影響がある。これも通常は内発的な発展として説明されることが多いので、この指摘は重要。また騎士物語でも愛の表現が代わってきたとのこと。俺が読んだのは以下。
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ「パルチヴァール」(郁文堂)
https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/2023/06/06/090000
https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/2023/06/05/090000
https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/2023/06/03/090000
https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/2023/06/02/090000
フランス古典「聖杯の探索」(人文書院
https://odd-hatch.hatenablog.jp/entry/20131210/1386633367
12世紀にはゴシック建築の教会と修道院が作られた。建物の中で聖歌を歌ううちに、修道士たちは様々な工夫を凝らした。ポリフォニーの誕生。
高橋浩子/中村孝義編「西洋音楽の歴史」
笠原潔「改訂版 西洋音楽の歴史」(放送大学教材)
19世紀のロマン派音楽にあきたら、中世の音楽を聴いてみてはいかが。教会音楽も世俗音楽もどっちも面白いよ。ことに世俗音楽ではアラビアの影響が顕著なのが聞いてすぐにわかる。

 

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