odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

岡田暁生「オペラの運命」(中公新書) オペラの成り立つ「場」を共有しない日本ではオペラに熱狂できない「夾雑物」。

 オペラはこの国ではなかなか理解がむずかしいところがあって、聴衆にも演奏家にも評論でも、どこか手の届かないいらだたしさを感じていた。交響曲弦楽四重奏曲ピアノ曲などを主に演奏・鑑賞する教養主義では扱いかねる「夾雑物」みたいなものがあるのだ。たとえば、小林秀雄「モオツァルト」河上徹太郎「ドン・ジョバンニ」のようなこの国の最初期のオペラ評論など。吉田秀和のようなディレッタントもオペラの難しさを書いていた。


 21世紀になってでた本書によって、そのいらだたしさやもどかしさの理由がわかる。著者によると、オペラは、
1.18世紀の絶対王政期以降に、
2.中央ヨーロッパカソリック文化圏で、
3.宮廷文化を背景に作られ、
4.フランス革命ブルジョア階級と結合し、
5.19世紀に黄金期を迎え、
6.第1次世界大戦終了と同時に歴史的使命を終えた、
7.音楽劇の一ジャンルであるとする。
 この宮廷文化とブルジョア階級との結合があるので、オペレッタやミュージカルはオペラに含まれないという慣習が続いていた。また、第1次世界大戦の後にも「オペラ」は作られたが、それは上のように範囲を限定すると、オペラではないことになり、同時にバロック以前の17世紀までに作られた音楽劇(たとえばモンテヴェルディなど)もオペラからは外れることになる。オペラを作曲家や作品、オペラハウスとしてとらえると、19世紀ロマン派の天才、改革、実験などの価値観を持ち込んで考えることになる。そこに、王侯、貴族、ブルジョア、庶民などのステークホルダーを加えて、さらに社会的な動向(政治や経済、国家独立など)を加える。そうすると、オペラの成り立つ「場」が浮かび上がってくる。
 そのような「場」を共有していない日本では、自国作曲家による祝典オペラや国民オペラなどに熱狂しない。あくまでも中央ヨーロッパの文化理解という基準でオペラを受容しようとしていたのだ。そのあたりがいらだたしさやもどかしさをオペラに感じていたのだろう。
 したがって、オペラの歴史は同じ著者の岡田暁生「西洋音楽史」(中公新書)とは違った地域を対象にする。すなわち西洋音楽史では18-19世紀の西洋古典音楽の中心はドイツになるが、オペラというジャンルではイタリアが断然たる中心(もうひとつはフランス・パリ)になる。オペラが宮廷文化の中で作られた経緯があり、そこでの国際語がイタリア語であったという事情から。なので、通常のオペラ書では重視される作品や歌劇場はほとんど触れられない(ベートーヴェンフィデリオ」やチャイコフスキー。ウィーンやプラハなど)。かわりになかなか体験することが難しいオペラ(フランスのグランドオペラや異国オペラ、東欧の国民オペラなど)に筆が割かれる。
 とりわけ、フランス革命ウィーン会議以降の反動の影響の記述は目からうろこ。フランス革命後パリでは救出オペラが盛んに作られ、ベートーヴェンの「苦悩を経て歓喜に至れ」はこの影響を受けている。「救出オペラ」の説明はリンクを参照。

ongakusitanbou.seesaa.net

 1814年のウィーン会議で王政復古の政治になってから政治運動への弾圧が始まるので、ベートーヴェンは高揚の音楽(革命を連想させる)をやめて孤独と省察の音楽に変貌した。これまでのベートーヴェン像を覆す衝撃の指摘。ベートーヴェンと世界史とのかかわりは以下を参照。

2023/03/22 片山杜秀「ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる」(文春新書) 2018年

 また、グランドオペラの章では、オペラのパトロンが貴族からブルジョアに代わり、聴衆が生まれる過程の記述がさえている(アドルノが「音楽社会学序説」に書いた聴衆の類型はこの時代から生まれているのだ。あと1920年以降の大衆社会で誕生)。
(オペラのパトロンが貴族からブルジョアに代わり、聴衆が生まれる過程は、小宮正安「モーツァルトを『造った』男」(講談社現代新書)を参照。ここでディレッタントという存在が重要になる。その後、市民階級に音楽が普及すると高等遊民ディレッタントの影響力がなくなり、プロの学者や批評家が音楽の評価をつけるようになる。)
グランドオペラ以降は浅井香織「音楽の<現代>が始まったとき」(中公新書) で補完しよう。19世紀後半にパリの聴衆はオペラに熱中するものだから、この不見識に憤慨して、ベートーヴェン協会を作りシンフォニーの啓蒙に励む演奏家や作曲家がいた。こういうのはたいていの「西洋音楽史」には出てこないので貴重。で、19世紀末には、こんどは彼らの努力によるベートーヴェン理解を揶揄するサティやドビュッシーなんかがでてくる。)
 この後のワーグナーも面白い。絶対王政時代にオペラは王の権力の誇示に寄与するものであったが、ワーグナーは自身を「オペラの王」であると演出した。自身を誇示するだけでなく、作品の崇拝を求め芸術に格上げさせた。そこから、総合芸術は、1.哲学や宗教に匹敵する深遠さをもつ、2.作品を記念碑として保存する、3.絶えざる伝統批判と実験、であり、作品や演出を鑑賞するものとした(古典芸能化)。ああ、なるほど、ドイツの教養主義やロマン派の芸術観がここに由来しているのだなあ、とあたりを付けられる。
 さらにオペラの歴史的使命は第1次大戦で終わったが、オペラの手法(ことにグランドオペラワーグナーのやりかた)はコルンゴルドやスタイナーを通じてハリウッドの映画に継承された。ニーノ・ロータジョン・ウィリアムズも、オペラを書きまくった19世紀前半の作曲家との類似があるとされる。こういうのも。
私見だが、20世紀半ばまでのフランスの映画音楽は、6人組のひとりオーリックが作曲していたのもあって、ドビュッシーやラベルの影響がある。それをさかのぼるとムソルグスキーボロディンリムスキー=コルサコフらのロシア音楽の影響が認められる。参考例はコクトー美女と野獣」。ハリウッド映画とは異なる系譜になるはず。まあ、1950年代のヌーベル・バーグでジャズにとってかわられたのだが。)
 オペラは映画の台頭でとってかわられたという。なるほど、初期の無声映画の大作は歴史的なイベントを扱い、スペクタクル(視覚効果)をふんだんに使い、国民意識を高揚させる目的のものが多かった(デミル「国民の創生」「イントレランス」、ガンス「ナポレオン」、ラング「ニーベルンゲン」、エイゼンシュタイン戦艦ポチョムキン」。各種の西部劇、史劇映画もそういう役割)。好況期の1920年代には観客を1000人以上収容できる映画館ができ、内外装はオペラハウス並みの豪華なもので、正装した観客がオーケストラ伴奏付きで映画をみた。トーキーになって、映画館の規模は縮小し内外装も質素になる。世界不況でブルジョア階級がいなくなり、大衆相手のビジネスになったためだろう。)
 自分がオペラを聞き始めた時にもった違和感は著者の問題意識とかさなっている。なので、本書にはあまり驚かなかった。むしろ。これまでの視聴や読書で培ってきた体験や知識に重なるという確認の感じがつよい。あるいは断片的な知識にリンクが張りまくられて、ヨーロッパが少しは良く見えてきたという思い。

 

オペラにとってかわった無声映画大作

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石井宏「反音楽史 さらば、ベートーヴェン」(新潮社)-1 18世紀はイタリア音楽の時代。J.S.バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンは人気がない田舎の音楽家。

 「反音楽史」とは面妖な。何に対する「反」であるのか、それとも「反音楽」なるジャンルの歴史であるか。その疑問はすぐに解氷するのであって、すなわち日本の音楽の授業でならう音楽の歴史(J.S.バッハが音楽の父でそのあとハイドン-モーツァルト-ベートーヴェンと発展、音楽の都はウィーン、声楽よりも器楽が重要、ソナタ形式こそ音楽の頂点、娯楽ではなく精神性の高いものが優れ、楽譜から作曲者の意図を知るべきなど)は19世紀半ばころに作られた神話であるというのだ。事実に即してみれば、上の音楽の系譜にある作曲家たちはヨーロッパ全土の人気を得たことはなく、没後しばらくは忘れられ、数十年後に上の神話とともに「再発見」されたのである。社会に流通している音楽としてみれば、人気があったのはのちに価値のない作品を書いたとされる作曲家たちだった。たとえば、ヴィヴァルディであり、ロッシーニであり、マイアベーアなのであった。ほとんどはイタリア人たちであり、たとえドイツ・ゲルマン地方であっても、イタリア人が高給で招かれ、彼らの作品が繰り返し演奏されていた。ドイツ地方出身の作曲家は地位も作品も低いものにされていたのが、19世紀半ばころに評価が逆転したのだった。
 なぜ、事実が忘れられこのような神話が作られたのか。19世紀半ばころからのドイツの音楽界からでてきて(たとえばシューマン)、20世紀初頭に確立した。そういう「誤った」音楽史を書いたのは、パウル・ベッカー「西洋音楽史」(新潮文庫)やアインシュタイン(翻訳は1956年。その後再販、復刻されていない模様:アインシュタイン吉田秀和の評論によく出てくる)など。これらを無批判に受け入れたので、日本の音楽史や教育は誤りだらけ、だと著者は憤る。ことに、楽しくない音楽教育。理論重視やトリビアの暗記、社会や歴史を教えない退屈な講義などに問題がある、とのこと。

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(別の説明として、プロテスタンティズムにより教会の権威が下がったので、18-19世紀に知的関心を哲学や芸術に向けるようになった。その際にナショナリズムが勃興し、シューマンらの音楽家にも影響したという説明も可能。もうひとつ、1871年普仏戦争でフランスが負けた後、フランスの作曲家はドイツの音楽を研究し、作風も模倣した作品をたくさん書いた。これも神話を流通させた理由のひとつになるだろう。)
ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)-1
 この国で受容されるクラシック音楽はおもに19世紀のものだから、そこを取るとドイツ音楽こそ至宝と見えるのだが、18世紀となるとイタリア音楽がヨーロッパを席捲していた。それは聴衆からの支持、宮廷での雇用、作品の流通などから明らかだった。この時代の音楽の専門家である(らしい)著者は18世紀の様子を詳述する。

第1部 イタリア人にあらざれば人にあらず ・・・ 1700年代、音楽を聴くことができるのは宮廷しかない。民間の興行があったのは、イタリアとイギリスのみ(商業と工業で利益があって投資する人たちがいたのだ。フランスは農業国で貧乏)。イタリアはオペラの発祥地であり伝統があったので、宮廷はこぞってイタリア人を招いた。ドイツ人は職業の音楽家としては極めて低賃金で雇われ、作品も低いものとみなされた。そういう目で見ると、レオポルド・モーツァルトは大学を中退した脱落者。とりあえず音楽の職業についたら、息子が天才だったので神童興行をしたが、それはどこかの宮廷で声がかかって雇われることをもくろんでいたため。しかし貴族と聖職者階級には分厚い天井があって挫折する。息子アマデウス(イタリア風にした通称)もちやほやの経験から世渡り下手でどこからも雇われず、優秀なピアノ弾きとしてしか記憶されない。一方、ヘンデルは若いうちにイギリスにわたり帰化するほどに成功する。なのでジョージ・フレドリック・ハンデルと呼ばれるべきであるが、19世紀ドイツの音楽家ヘンデルと表記して、ドイツルーツを重視する。
(16世紀以降、イタリアが音楽の中心になったのは、地中海貿易の拠点として富が集まったことにあるが、同時に音楽家を養成するシステムができていたことがある。様々な事情で孤児になったものは市が経営する孤児院で養育されたが、その中に音楽家を育てるものがあった。彼らが教会で歌ったり器楽を奏したりし、成長するとヨーロッパの教会や宮廷が雇用したのだった。)
<参考エントリー>
2015/06/25 羽仁五郎「都市の論理」(剄草書房)
(オペラのトリビア。18世紀のオペラはギリシャやローマの神話を題材にしていたが、結末は常に神がでてきて仲裁を行う。その際、神は上から現れるので、劇場には宙づりの装置が設けられていた。そこから「デウス・エクス・マキナ(機械)」の名がついた。マキナが意味するのは劇場の宙づり装置のことなんだって!)
(追記。この感想を書いた後、シェイクスピアの戯曲を読んでいたら、すでに1600年前後のイギリスの劇場には神や天使が下りてくるための「デウス・エクス・マキナ」は設置されていたとのこと。)

第2部 それではドイツ人はなにをしていたのか ・・・ J.S.バッハは終生割のよい仕事を見つけようとしていた。バッハは金にうるさく、愚痴っぽい。音楽家家系図を作ったのはイタリアに留学して教育を受けることができなかった自分に箔をつけるためだった。就職先のケーテン、ライプツィヒなどの田舎では人気はあったが、ヨーロッパ全土では無名。息子の中で最も出世したのは、末っ子のヨハン・クリスティアン・バッハ。イギリスに帰化したので「ジョン・クリスチャン・バーク」と呼ぶのが正しい。年上のカール・フィリップらは人気作曲家になったことはない。マンハイム楽派、グルックのオペラ改革などは後世のドイツ音楽界の捏造。
(この章では「魔笛」の読み返しが面白い。フリーメーソンの影響といわれるけど、パミーナが試練に加わるとか、最も感動的なのはパパゲーノとパパゲーナの男女の愛の讃歌であるとか、女性疎外のフリーメーソンにはあわない。ザラストロはゾロアスター教に由来する(そういえばカントがゾロアスター教に関心をもっていた!)など、「インテリ好みの衣装をないまぜにした奇妙な作品」とのこと。モーツァルトよりシカネーダーが当時の流行りものをごたまぜにしたとみたほうがいいのだろうね。あとパパゲーノのような自然児も当時の流行りで(ルソー「エミール」とかマリー・アントワネットとかフランス宮廷の田舎暮らしのまねとか!)、オペラでは羊飼いとして現れるとのこと。それを知った瞬間に、ダフニスが羊飼いであるとか、オッフェンバッハ「天国と地獄」のプルトーンが羊飼いとして現れるとか、「ペレアスとメリザンド」にでてくる羊飼いとかを一気に思いだして、合点がいった。)

 

 本書で扱われる音楽史や「反音楽史」でも、教会の音楽と民衆の音楽は除外される。ベッカーやアインシュタインらが考える音楽にはこれらは含まれない(ついでにいうと、ジャズやタンゴのような20世紀に現れたポップミュージックも入らない)。でも、ベッカーやアインシュタインらと同じような考えで、教会の音楽の歴史を書いたものがいる。以下のエントリーを参照。
2017/04/18 T・G・ゲオルギアーデス「音楽と言語」(講談社学術文庫)-1 1954年
2017/04/17 T・G・ゲオルギアーデス「音楽と言語」(講談社学術文庫)-2 1954年

 リンク先の感想に書いたように、試みは失敗している。音楽史を形式の発展として見るとき(第3章で扱う)、教会音楽では進歩や発展を見ることができないのだ。どころか、17世紀イタリアの教会音楽(パレストリーナやラッススら)の成果を頂点に、その後は停滞や退化の歴史になってしまう。どころか19世紀の半ばでほぼ役割を終えてしまう。一方、20世紀後半から出てきた新しい教会音楽(ジャズやタンゴほかの世俗音楽と融合した新しいスタイル)を歴史に入れて評価することができなくなる。という具合に、方法がだめだった。

 本書の内容は、下記エントリーが参考になる。ベッカーやアインシュタインのようなドイツ音楽を中心にする考えを持たない新しい音楽史を描いている。
岡田暁生「西洋音楽史」(中公新書)
岡田暁生「オペラの運命」(中公新書
 逆に言うと、本書の出版年が2004年であるとき、著者の声高な主張はそれほどの衝撃をもたない。すでにピリオドアプローチの演奏で18世紀の古典派音楽が大量に聞くことができるようになっていて(この分野はレコードがCDになってから発掘や再発見が起きた)、モーツァルトベートーヴェンなどの「楽聖」を相対化することができていたのだ。
(というか、本書にしろ岡田にしろ、1920年代やそれ以前に書かれた「音楽史」を俎上にあげるというのが何ともアナクロで、批判の矛先があまりに現実離れしているように思う。あまり読んでいないが、戦後になってからはドイツ音楽中心の音楽史は書かれていないでしょう。まあ、初等から大学前の音楽教育の教科書やCD・DVDの音楽産業の解説はドイツ音楽中心を引きずっていたから、そこが批判のターゲットになっていたのかな。それの目的からすると記述はあまりに迂遠。15年前の1990年前後に出ていればよかったのに。)

 

2023/03/23 石井宏「反音楽史 さらば、ベートーヴェン」(新潮社)-2 2004年に続く

石井宏「反音楽史 さらば、ベートーヴェン」(新潮社)-2 19世紀のドイツ教養主義がドイツ中心の音楽美学を作った。各国のインテリが受入れてドイツ音楽至上の考えが普及した。

2023/03/24 石井宏「反音楽史 さらば、ベートーヴェン」(新潮社)-1 2004年の続き

 交響曲の由来が書いてある。18世紀、教会や宮廷は楽士(無教養なものの集まり)を雇っていたが、教会や宮廷が休暇に入ると彼らの仕事はない。そこで宗教曲を演奏する催しをして入場料を取った。コンサートの始まり。目的は歌手の妙技を聞くこと(著者が言うには声楽の技量は当時のほうが高かったらしい。素人でも2オクターブ、プロは3オクターブ出せたという。最近の古楽専門の歌手はそれくらいの声域を持っているのではないかな。19世紀以降のベル・カントは発声法が異なるから同一基準で評価できるのかどうか)。始まりのガヤ静めのと終わりの客出しのために器楽だけの曲を演奏した。それがシンフォニーの始まり。もとがガヤ静めと客出しなので、第1楽章は静かな序奏があり、終楽章はトゥッティから始まる快活で明るい曲になった。イタリアでは見向きもされなかったが、パリやロンドン、ウィーンなど「田舎」の聴衆から器楽を聞きたいというものが生まれてきた。
トリビア。コンサートのお目当ては歌手(とくにカストラート)の妙技を聞くこと。彼らの超絶技巧コロラトゥーラを聞くことが無上の楽しみだった。コンサートの楽器にフォーマットが定まり、演奏家が多くなり、演奏技術が開発されると、声の妙技と同じことを楽器でもできるようになる。まずバイオリンがコロラトゥーラの真似をして絶賛を浴びる。すると、コンサート用アリアを楽器に置き換える協奏曲が生まれる。バイオリンの名手が生まれると、聴衆は彼の演奏を聞きに行くようになる。こうして18世紀のコンサートの演目に協奏曲が加わる。ヴィヴァルディやテレマンらが膨大な協奏曲を書いた所以。)
 潮流が変わるのは19世紀半ばころから。交響曲全曲が演奏されるようになり、それ目当ての聴衆が生まれた。中心演目はベートーヴェンベートーヴェンの高揚と崇高の音楽が規範であり、目標であるとされるようになり、熱烈な賛美者が生まれた(この時代のコンサートは原則として新作か人気作を演奏するもので、古い作品を回顧することはない。なので、特別に人気のある作品以外は再演されなかった。その結果、18世紀の交響曲は忘れられることになる)。

第3部 全てはドイツ人の仕業である ・・・ 18世紀ドイツは後進国であった。商業資本も工業資本もなく、エスニティを同じにする国は多数ありどれも小国。イタリア、イギリスなどの先進国に対して劣等感があり、統一の気分ができる。そこにおいてプロイセンがたち、富国強兵政策で国を大きくしていった。それに影響されたか、ドイツの人々は奇妙なことを考える。国民国家形成の気運とナショナリズムの高揚から、ドイツこそが世界の中心であると思うようになるのである。加えてそれを理論化しようとする。哲学と文芸の運動が起こる。
<参考エントリー>
2015/12/10 ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)-1
2015/12/11 ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)-2
 音楽に関して言うと、哲学の一分野に美学(エステティク)が作られる。様々な価値の中で、美と崇高が最も重要であるというのだ。それを体現する音楽としてベートーヴェンが現れる。彼の音楽に美と崇高が理想的に表現されている。そう考えるものやベートーヴェンエピゴーネンが生前から、とくに没後に現れる。でも音楽の人気ではベートーヴェンは局地的。ロッシーニマイアベーアのような全ヨーロッパ的な人気はない。ベートーヴェン自身の音楽や上のように考えるものは劣等感と自己愛がない混ざっていて、尊大・自己中心・自分のための音楽(人気を無視)などが強化されるようになった。
 こうしてドイツ中心の音楽美学ができる。その要点は、音楽の価値は、1.形式の徹底(とくにソナタ形式)、2.作曲法、3.作曲者の芸術的意図の重視、4.以上を統括する精神、にあるとする。これらに劣り、歌に重きを置くイタリア音楽はダメである。この考えをまとめたのが、ロベルト・シューマン。ドイツ音楽至上の考えはたとえば以下の本にみられる。
2015/11/02 ロベルト・シューマン「音楽と音楽家」(岩波文庫)
2012/01/02 リヒャルト・ワーグナー「芸術と革命」(岩波文庫)
2017/04/05 エドゥアルド・ハンスリック「音楽美論」(岩波文庫) 1854年
 このようなナショナリズムと自国文化賞賛は同時並行で起こるものであるが(まさに明治の日本がそう)、哲学者や音楽評論家のみでは社会を席捲するわけではない。そこには貴族と新興ブルジョワによる文化の世俗化・商業化があった。多くの人の広範な支持があったのであるが、本書にその記述はない。そこで下記エントリーで補完しよう。
小宮正安「モーツァルトを「造った」男」(講談社現代新書
小宮正安「ヨハン・シュトラウス」(中公新書) 2000年
そうすると、ドイツのディレッタントが上の音楽評価をささえたグループであり、たとえばアドルノがその系譜の終わりにいることがわかる。
2017/04/10 テオドール・アドルノ「ベートーヴェン 音楽の哲学」(作品社)
 同じ影響下にあるベートーヴェン理解の例。
2012/11/29 諸井三郎「ベートーベン」(新潮文庫)
 ドイツ音楽優位の音楽理論は、音楽の発展や法則などを想定していたので、ヘーゲルの歴史理論やマルクス史的唯物論などの歴史法則史観と相性がよかった。それも、同じように遅れて国である日本の知識人にはウケがよかったのだろう。

 ベートーヴェンに代表される美と崇高の音楽、それを称揚する音楽評論は1800年ころに始まった。
2014/02/19 フォルケル「バッハの生涯と芸術」(岩波文庫) 1802年
 強い影響はたとえば日本の丸山真男五味康祐に、あるいは吉田秀和などにみられる。
中野雄「丸山真男 音楽の対話」(文春新書)
2018/04/20 五味康祐「オーディオ遍歴」(新潮文庫) 1976年

 

 著者はドイツ音楽優位とベートーヴェンを猛烈に批判する。とはいえ、それに対抗する著者の音楽観はあまりおもしろくない。彼が言うのは、人工的・自意識過剰なドイツ音楽より自然な音楽がよい、イデオロギーよりポピュリズム。そういう音楽としてジャズを挙げるが、本書で扱われるジャズは1930年代のビッグバンドやスウィングであって、戦後のジャズがビ・バップだモードだフリーだなどと方法論が先鋭化して分化していったことをみていない。自然や人気などは指標にはなりそうだけど、ドイツ音楽優位を覆すような論拠にはならないのじゃないか(というのは、おれは理屈っぽいので、ドイツ音楽の複雑さや難解さを好むからだ)。
 さらに、日本に限る現象かもしれないが、ドイツ音楽優位というのは1980年代半ばころから当の音楽評論家自身がいわなくなってきたのだった。すなわちピリオドアプローチによるバロックロココの音楽の再評価があったとか、名曲の録音が飽和して秘曲・珍曲・編曲が大量にCDやDVDででたためにクラシック音楽を相対化するようになったとか、器楽や声楽の名人芸を楽しむ人が増えてきたとか。1990年代には昭和30年代生まれの音楽評論家がドイツ音楽をコケにする言説がたくさん出てきたのだった。
 上のような新しい音楽のアプローチが起きたことにもあるが、端的には美と崇高を目標として、技法を凝らし精神を高める音楽を150年ほど聞いて飽きたのだ。フルトヴェングラーカラヤンアバド、ラトルのベートーヴェンの違いを聞き分けることに飽きたのだ。かわりに、そのような目標や理念を持たない音楽に斬新さを聞き取るようになる。
 なので、2004年初出の本書は著者の思惑を裏切って、読者にささらなかったのだ。これが1990年前後に出ていればセンセーショナルだったのに。17-18世紀の音楽事情は知らないことが多かったので、参考になった。そこはおもしろかったです。

 

 

 著者はこんなこともいう。

「十九世紀に一世を風靡したダーウィンの進化論もメンデルの遺伝法則も、今では通用していない(P339)」

 1930年生まれの著者は科学を正しく理解していない。そのうえ、科学の法則が変わったこと(著者が上げた例は誤り)は音楽評価とは関係ない。こういうリテラシーのなさは本書の内容の重要さを損なってしまう。