odd_hatchの読書ノート

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竹本健治「凶区の爪」(光文社文庫)

 季節の変わり目のせいか体調不良で集中力が切れていて、読書が進まない。気軽に読めると思って購入。

 「会津地方一の名家・四条家で惨劇が起きた。―17歳で史上最年少の囲碁本因坊となった牧場智久たちが、四条家に招かれた翌朝だった。蔵の白壁に首なしのバラバラ死体が埋め込まれていたのだ。さらに翌日、蔵の中に、狂女の面をかぶった長女・石蕗の惨殺死体が。村に伝わる陰惨な言い伝えどおりに起きた連続殺人―鬼才が放つ、本格推理の力作。」

 囲碁の天才少年・牧場智久が本因坊戦で勝利。後援者に誘われて、山中にある大きな屋敷に逗留することになる。そこには美しい3姉妹がいるわ、異母兄弟が最近養子に迎えられているわ、癇癪もちの老人がいるわ、美しい未亡人がいるわ、と怪しげな雰囲気。そこに不可解な殺人事件が起こるという話。村の様子は 「八つ墓村」で、登場人物は「獄門島」という具合に横溝的な舞台がしつらえている。もともとそういう趣向で書いてくれという依頼だそうだ。日本産のミステリ書きなら一度は試みる趣向なので、とくに著者の発見というわけではない。
 このミステリは17歳の少女の視線で語られている。彼女のナイーブな感性で語られるので、横溝のような陰惨さはない。その代わりに、複雑な人間関係のもつれとかどろどろした情念とか、人間の二面性とか、そういうイヤなところは見えてこない。それが犯罪計画を隠すことになっているはず。いずれにしろ、横溝のような「さもありなん」という感じはなかったな。刊行された1992年においてこのような田舎があるという現実感は失われているのだから。映画「八つ墓村」の1970年代までが、せいぜいのことだろう。
 横溝に限らず、戦前の小説家は「家」の問題を避けて通ることができなかった。否定するにしろ、巻き込まれるにしろ、「家」の存在感は強烈なものだった。ところが戦後、「家」を問題にすることがなくなる。その理由は、人の流動性が高まったことにある。それまでは自分の家に生まれると、村からでることはなく、父の職業を継ぎ、子供を生んだ。そういうサイクルが、1900年ころからなくなり、若者が家を村をでていき、そのまま異郷の地に住むようになった。そのことが「家」の権威を落としていった。人の流動性が高まったのは、ひとつは工業化。労働集約的な事業を起すために、村落の余剰人口を積極的に雇用したこと。ひとつは、官僚化。成績優秀な生徒を都市の学校に送ったこと。彼らが官僚になると各地に派遣され、そのまま赴任地に家庭を持った。ひとつは軍隊。これも村落の余剰人口を流動化することを加速した。「家」の問題は、小説家たちのように観念では解決できず、たんに村と家から人がいなくなるという経済的事実によって解体したのだ。それを推進したのは当時の政府であるが、一方で「家」の権威に根拠を置いた憲法を作り、「家」的な政治体制を作ろうとしていた。そのことは敗戦によって頓挫することになったが、仮に戦後もそのような意図があったとしても、経済成長の過程で自壊することになっただろう。以上、蛇足。
浜尾四郎「鉄鎖殺人事件」(春陽文庫) - odd_hatchの読書ノート
 もうひとつ、ミステリは少年少女の読むものになったのだなあ、と深い嘆息。1970年代ころ、ミステリは大人の世界を垣間見るものだった。憧れであったり、嫌悪であったりした。でも、今では読者と同年齢の主人公が登場することになる。読者の生活の延長に起こるものである、ということを小説家に要求しているわけだ。

坂口安吾「不連続殺人事件」(角川文庫) - odd_hatchの読書ノート