odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

吉岡斉「科学革命の政治学」(中公新書) 科学研究システムは新陳代謝(人の交換、設備の投資など)を行わないと生産性を失う。企業・軍・国家の研究者囲い込みはもろ刃の剣

 1987年の新書。筑波科学博などというイベントがあったり、日本的経営システムが優秀だと論じられたり、超伝導や遺伝子組換、PCなど科学技術が社会をばら色に変革するという夢が語られたりした時代の著作。200ページちょっとの小冊子でありながら、中身の濃いこと。面白い論点がたった800字程度触れられただけで、すぐ次の話題に移る。この濃密さはなかなかないなあ。

プロローグ 科学革命への招待 ・・・ 「科学革命」ということばに特別の意味を与えた最初はバターフィールド「近代科学の誕生」。これは16−17世紀の西洋の特異的な歴史的事象を表すターム。次はクーン「科学革命の構造」パラダイムの転換というアイデアで「科学革命」は過去も現在も未来も起こるという考えを提示した。ここではクーンの使い方を用い、20世紀の科学の社会史を検討する。20世紀の科学の特徴は、(1)巨額な研究費を使うために政治権力と結びつく政治化がおきた、(2)技術と科学の相互影響・反映が起きた、(3)研究の推進方法が多数の人員が関係するプロジェクトとなり、企業化された、というところ。

第1章 ミクロの世界の発見 ・・・ 1900−40年代の相対性理論量子論の概略。その中身は置いておくとして、おもしろい指摘があった。自然科学(サイエンス)は世界のリアリティの断片的・部分的に切り取る作業の寄せ集めで、トータルな世界把握は目指していない。一方宗教はトータルな世界把握に固執する。しかし宗教は完全な世界把握はできない、というのは宗教のコスモロジーに自然科学(やその萌芽)の知識が混入していると、自然科学の進展で書き換えられる(か人の支持を失う)。なので、進化論や宇宙論の最新知識は宗教に与えるインパクトが大きい(宗教の基幹部分が揺さぶられるから)。また科学や技術は生産物を通して、人の思想とか世界把握にインパクトを与える。例は、PCとか核兵器とか遺伝子組換生物とか臓器移植とか。

第2章 加速器がひらく世界 ・・・ 加速器(サイクロトロン)の開発と研究成果の歴史。

第3章 現代天文学の革命 ・・・ 面白いなあ。電波天文学X線天文学はアマチュアや技術者によって研究が開始されたが、天文学者は反応しなかった。分解能が悪くて写真に写る星を特定できなかったから。で、分解能が上がるにつれて、天文学者は興味を示し、宇宙から飛来する電波やX線を研究するのが天文学として認められたのだってさ。あと1987年当時では天文学の発展はもうないのではという著者の杞憂があった。克服したのは、宇宙飛行が安価になったこととPCで大量のデータ処理が可能になったことかな。

第4章 科学研究システムの構造 ・・・ 専門分野を「タコツボ」みたいな比喩をしたけど、むしろ専門分野は開放系のモデルで見たほうがよい。人・もの・金・情報をインプットに成果物や廃棄物を出しているというもの。詳細は図を見れば一発で理解できる。

(本書113ページから)
 このモデルの面白いのは、システム自身がシステムの新陳代謝(人の交換、設備の投資など)を行わないと生産性を失うということ、スポンサーがないとこのシステムは働かず、ときには企業・軍・国家などで専門分野の囲い込みが行われるがそれは諸刃の剣。科学の社会的な問題は、権力の悪用とか科学者集団のモラル喪失だけではなくて、システムそのものが生み出すことがある。

第5章 産業科学と科学革命 ・・・ 19世紀の科学を「アカデミズム科学」と呼ぶとするなら20世紀の科学は「産業化された科学」。19世紀では科学者は芸術家と対比することが可能だが、20世紀ではむしろ企業家と比べるべき。実際、20世紀の科学は企業の仕組みや思想、運営方法などが非常に似通っている。そこでは自由とか責任などが19世紀的な意味では通じない。あと、「科学革命」を概念革命と制度革命に分ける考え方もでてきた。知識の革新性とか社会へのインパクトなどではかられる革命は概念革命で、科学者集団のシステムやパトロンとの関係などの大きな変化を制度革命とする。そうすると概念革命と制度革命は、必ずしも同時に起きるわけではないし、どちらかがいずれかの必要条件・十分条件になっているわけではない。しかし密接な関係はある。科学と企業の類似とか、概念革命と制度革命など面白い論点が頻出するけど、すべてはメモしないでおく。

第6章 科学革命と技術革新 ・・・ 科学と技術を分けるのは難しいが、科学は論文の生産、技術は製品の生産をめざすと一応分けられる。同時に科学と技術は双方向の影響関係、相互浸透にある。第4章のモデルと同様に、技術も開放系とみなせる。ただし、私有化とスポンサーの強い意向があるのが特徴。この章ではこの国の原子力開発の歴史がたどられる。他国と異なり、政府プロジェクトとして開始され、30年たってもほとんど成果がでないのにプロジェクトは中止されない。それは巨額な費用を投資したから回収したいということと、たくさんの雇用を創出してしまったからとみなすことができる。いずれにせよ核兵器原発はないにこしたことはない(という主張は1980年代にもあったが、影響力は小さかった)。

第7章 科学革命と国家権力 ・・・ 国家権力は政治革命を嫌うが科学革命は懸命に推進する。それは科学技術の推進が、経済力や軍事力の向上に役立つから。科学技術は思想的にニュートラルであるとしても、国家権力は科学技術を弾圧することがある。ナチスのアーリア物理学ソ連ルイセンコ学説支持。これらはイデオロギーによるのだが、政治目的によってはアメリカの反軍運動科学者の弾圧(オッペンハイマー事件)や、この国の住民運動に協力する科学者の不遇(宇井純とか中西準子など)がある。あと科学者の政治意識はたいてい研究資金の出所に注目しているので、科学者とスポンサー(たいていは国家)しかないような世界認識をもつ。市民とか企業のことを忘れる。

第8章 科学革命とノーベル賞 ・・・ 科学者の研究モチベーションのひとつは、自分の業績が同僚科学者に高い評価を得ること。そのために、組織・役職・肩書き・研究費配分などの位階が作られ、科学者集団内部の立身出世競争が行われている。ときとしては、業績ではなく、高評価のために研究に携わる「科学企業家」といえる人もいる。その例をノーベル賞で説明。あと、この種の業績に与えられる賞がナショナリズムの発揚に使われる(科学のオリンピックなのだ)のが、科学の業績のインターナショナリズムと相反していて奇妙。あと科学分野の位階制も生まれる(ノーベル賞の対象にならないもの、発明発見のインパクトの小さなもの、結果が出るのに時間がかかるもの、技術との境界のあいまいなもの、国家プロジェクトにならないものなどは低位とみなされる)。

エピローグ 科学革命の明日 ・・・ 20世紀の科学は巨大科学の時代といえる(そうなったのはマンハッタン計画の成功があるから)。しかし、巨大科学をいろいろやってみて反省すると、巨大科学は革新(イノベーション)の効率に劣る(アポロ計画原子力発電、超伝導などをみよ)。創発的な研究はミディアムサイエンスで生まれる。では、なぜ巨大科学から撤退しないのか。あと、なぜこの国の科学は世界の一流になりリードする立場にならなければならないのか、このあたりの答えを用意するか、別のあり方を検討するべき(2009年の民主党政権による「事業仕分け」でそういう問いが投げかけられ研究者も官僚もまともに答えられなかったなあ)。この問いは科学研究をやめよ、開発は海外からの輸入で十分という主張ではない、念のため。


 科学や技術を社会の中の開放系とみなす社会モデルや、科学技術研究費のねん出や配分に関する「日本型モデル」など、ここに書かれた科学はもっとほかのひとに知られてもよい。科学について語る人はポパーの「反証可能性」やクーンの「パラダイム」は語るが(とはいえ「科学的発見の原理」「科学革命の構造」を読んだ人はどれだけいるのか)、こちらは知らない。もちろんすでに四半世紀前の本なので、事象は古くなっているけど、問題意識と上記のモデルはまだ有効だと思う。