タイトル「秘蔵宝鑰」は「ひぞうほうやく」と読む。空海57歳の830年に記された。
これまで仏教書を読んだことはない。さまざまな用語も常識の範囲内でしか知らない。本書にでてくる膨大な用語をいちいち説明しながらまとめても、誤りばかりなるはず。そのうえ自分はずっと西洋思想の本ばかりを読んできたので、仏教の考え方にはほぼ無知。というわけで、専門用語は無視して、西洋哲学のことばでまとめるぞ。
(読んだのは漢文ではなく、現代語訳・口語訳したもの。たんなる読み下し文ではなく、訳者による解説も加わっている。専門用語も別の言葉に置き換えられている。)

空海はたくさんの著を書いたが、出版社によると「秘蔵宝鑰」は空海の思想の核心なのだという。そこで選んだ。
・本書は引用の書。主には「大日経」「菩提心論」を参照し、「華厳経」などの仏教書をみて、中国の四書五経その他の漢籍を引用する。古代から中世の学問は先行する著の注釈(というか筆写した本文の脇に自分の考えや調査結果を記す)で行われてきた。ここでもそう。近現代のように思想のオリジナリティを重視しないせい。
・この世では、生物は輪廻転生する。前世でどのような善をなしたかで次に再生する世界が変わる。世界は6層くらいにあるが、人の下には地獄・餓鬼・畜生がある。善が不足していると、この三界から抜け出すことはできない。人間もこの世で善をなさなければ三界に落ちる。
・その苦しみから脱して救済されるためには如来の教えを正しく理解し、修行しなければならない。まずは種々の偏見を捨て、日常道徳を実践すること。そのうえで師について修行しよう。修行は理論編と実技編がある。修行が進んだ先の境遇は言葉にしがたいから、師と修行をともにして会得しなさい。(悟りは身体知であるらしい。とはいえ、身心は実体のない幻ともいう。理屈に合わない気がするが、そういうものなのだろう、)
・悟りに至るまでの階梯は10段階。十住心思想という。各階梯ごとに詳細な心理というか注意点が書かれる。とてもではないが覚えきれない。俺がおもしろいと思ったのは、階梯が上位になるにつれて抽象的・観念的になっていくところ。下の方では日常道徳とその実践が説かれるのでわかる。でも上の方になると同じことを繰り返し説いているように読める。俺のような凡夫には厳しい修行だ。
・どうも修業が俗世間から離脱しなければならないらしい。そのとき家族や性や貨幣を捨てることになるのかしら。そこは書かれていない。そうすると出家したら社会との関係を断つことになる。そうらしい。俺のような西洋かぶれからすると、仏教の教えと修行からは政治哲学が生まれないのがもどかしい。修行する場と俗世権力との関係もみえてこない。
・出家や修行のできない貧困者や被差別者は措き捨てになるのかしら。修行の過程で奉仕や喜捨をすればよしとするのかしら。また女性は出家や修行は可能かしら。異教徒や外国人が出家したいと言ってきたとき、どう対応するのかしら。古代の文献に文句を言っても始まらないが、ここらが不明なのがもどかしい。
・西洋哲学の視点からすると、この著には時間論はあるけど、空間論はないんだね。インドの人たちは天体観測をしなかったせいかしら。星や宇宙という観念が希薄。くわえてこの世界がどのような構成になっているのか、どういう成り立ちでできているのかにも関心をむけていなさそう。なるほど仏教からは科学は生まれないんだと得心。
竹村牧男「空海の哲学」(講談社現代新書)によると
「 『秘蔵宝鑰』に拠ってでは、案外、真言密教の世界観はよく知られないのが実情である。(p.9).」
とのこと。俺の感想がとんちんかん、スカポンタンなものになったのはしかたがない(と言い逃れ)。同書による「秘蔵宝鑰」のまとめがこれ。
天長七年(八三〇)、主著となった『秘密曼荼羅十住心論』(定本第二巻所収)およびそれを簡略化した『秘蔵宝鑰』(定本第三巻所収)を撰述した。両者とも人間の心を十段階に分けて低い段階から高い段階へと向上する十住心の様子を描いたものであり、しかもそれぞれの段階はさまざまな学派の思想に対応しているとして、儒教・バラモン教・仏教各宗の教理を体系的に組織したかたちになっている。仏教に関しては、顕教について声聞・縁覚・法相宗・三論宗・天台宗・華厳宗の次第となし、そのうえで密教を最高の段階においている。(p.41)
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