odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

H・G・ウェルズ「眠れる者の目覚め」(ネット版) ウェルズは階級格差を解消できない資本主義に悲観的。黒人差別を容認しているので、未来を構想できない。

 「眠れる者の目覚め(The Sleeper Awakes)」は書肆がめんどうくさい。ウェルズは別の大作(『恋愛とルイシャム氏』Love and Mr. Lewisham (1900))を執筆中に『睡眠者が目覚めるとき』When The Sleeper Wakes (1899)も同時進行していた。ウェルズは前の方に集中していたので、「睡眠者……」には十分な時間を割けないまま発表することになった。心残りがあったのか、1910年に改稿して上記のタイトルに改題して発表した。
 今回読んだのは有志による翻訳。リンクは下記。

blackcode.livedoor.blog


 訳者はKINDLEでも出品している。  → https://amzn.to/3WPiRRL
 なお、過去に邦訳されたことがある。『睡眠者が目覚めるとき』When The Sleeper Wakes (1899)を1912年に黒岩涙香が「今より三百年後の社会 眠れる人の目覚めるとき」のタイトルで雑誌に連載した。2023年に電子書籍で復刻された。自分はこちらを読んでいる。1910年半と比べると、クライマックスの数章が涙香版にないことがわかった。

 

 感心しなかったので、サマリーを作る気になれないな。涙香翻案版に書いたので、参考にしてください。

odd-hatch.hatenablog.jp


 「タイム・マシン」1895を読んだときに、これはウィリアム・モリス「ユートピアだより」1890を意識しているなと思った。主人公の語り手が眠りについて起きたらユートピアにいたというとことからそう。そのあと語り手が未来人の案内でユートピアを説明されてながら観光していくところもそう(ここはユートピア小説の定番)。
 ちがうのは、社会主義者を自認しているらしいウェルズによると、グローバル化した資本主義は打倒不可能であるというところ。ここでは人民党の蜂起によって体制は転覆するのだが、社会システムは改変されない。起きたのは社会の上層階級でくすぶっていた一党によるクーデターまでなのだ。
 資本主義が進み、資産が一人に集中すると、資産を管理するものと労働をするものに階級が分裂する。上層階級は世襲制になっていて交代しない。労働しないので快楽にふけるだけ。労働者階級は不可視になっているので、上層階級は共感・憐憫などの感情を喚起されない。このシステムの主要なところは人間の生から死までの完全な管理と隔離にある。すなわち生まれたものは家族から引き離され、即座に階級が定められ、労働者になるものは服従と従順だけを教えられる。親子の親密な関係や成人の恋愛はない。人生に快楽は与えられず、疲弊と貧困が常である。疲れ果ててしまえば「快楽都市」に出向ける。そこでは安楽死が行われている(本人の同意を取っているようには見えない)。これでは人口減少で社会は成り立たなくなりそうだが、出産をコントロール且強制することで回避しているのだろう。
(この社会はハクスリー「すばらしい新世界」1932に引き継がれている。ということをジョージ・オーウェルが指摘しているとのこと。)
 社会を支配するのは眠れる人の資産を管理する一群。眠れる人は法律上生きているので生命保険の対象になりだれでも彼に保険を掛けられるので、投資対象になった。それが積もり銀行の複利でますます増え世界中の資産を次々購入していった。こうして資産は一人に集中し、彼の管財人は莫大な富を持つ。彼らのしたことは階級の固定と格差の拡大。世界は商品になって文明化し、民主主義はなくなり貴族制となる。資本の一極集中により世界変革の可能性はなくなっていた。
 そこに眠れる人が起きる。資本を一人に押し付けて神とみなしてきたのが、ただの人間になったので、これまでの矛盾が露呈したのだった。好機到来とみたのが、労働者の中の不満分子が集まった人民党。とはいえ階級の利害を代表した政党なのではなく、グループの利害を増やそうとする全体主義の党だった。労働者の不満(および神とみなされてきた眠れる人への宗教感情)を利用してクーデターを実行する。労働者の蜂起は他の都市(ヨーロッパとアメリカにしかない)でも起こり、旧体制は瓦解する。そのリーダーは眠れる人を利用するが、頼らない。眠れる人には旧体制や新体制の問題を指摘する人が現れ(少女だったり、日本人の執事だったり)、眠れる人は世界の所有者と持ち上げられるのに懐疑する。そして全人類(とはいえ人種と階級で区別されている)の前で演説をすることになったとき、資産の所有を放棄し全人民に付与すると宣言した。彼の資産に拠している新体制もこれには困って、眠れる人を監禁しようとする。でも大衆は眠れる人を支持し、新体制グループは逃げ出す。世界で唯一の単葉機パイロットである眠れる人は、単葉機を操って彼等を追いかける……。
 小説として失敗しているのは、語り手の「眠れる人」が状況に流されるだけで自分の主張を持たないこと。途中で恋仲になりそうな少女がでてきたり、世界の「真実」を伝える老人や執事が出てきても関係を深めなようとしなかったり。社会や世界に介入しないで、傍観者であり続ける。そのために旧体制と新体制の何が問題なのかさっぱり浮かび上がらない。どうも眠れる人(およびウェルズ)は資本主義の未来を悲観的にみているので、そのまま衰退していけばいいと思っているのか。それとも貴族は下層階級の揉め事にはかかわらないほうがよいと思っているのか。観察してもみているだけでは物語は進まない。その観察も社会に対する批判や讃美がさっぱりないという不十分さ。
(孤独好きで他人を関わろうとしない傍観者が社会をただ眺めているだけ、というのはウェルズの小説の常道。「モロー博士の島」「タイム・マシン」「宇宙戦争」がみなそうで、このエンタメもそうだった。語り手にも状況にも共感することがないので、この人の小説はどれも退屈。気分がはずまない。解説や訳者は飛行機械や動く歩道やドーム都市、巨大タワーと地下の労働都市、睡眠ポッド、人工照明などの機械ギミックに心奪われているよう。これらはウェルズの創意というより、19世紀末の共同幻想みたいになっていたとみたほうがいいよ。)
(その点、黒岩涙香翻案では、貴族政打倒という視点で本書を読んでいるので、英国人から日本人に変更された語り手「眠れる人」は国家統一を目的にする人になった。資本の一極集中よりも理念による国民統合が重要。そこで涙香版ではもっと活動的になって、積極的に政治グループに介入していった。翻案された1912年が愛国心高揚の運動にあったことがよくうかがえる。涙香も運動員の一人だった。)
 さてとても気分の悪いところを指摘。旧体制は労働者階級を抑圧するのに、黒人警察を使っていた。白人労働者は黒人警察の暴力に怯える。新体制のクーデターが成功しつつあったとき、旧体制は南アフリカの黒人警察部隊をロンドンに送って鎮圧しようとした。この差別政策に「眠れる人」は黒人をロンドンに入れるなと反対する。旧体制の差別政策をさらに上回るレイシズムが19世紀生まれの「眠れる人」にあった。
 初稿が書かれた1898年から改訂稿の1910年までは、イギリスが世界システムの覇者だったとき。大英帝国に陽が沈むことはないと豪語するほど世界中に植民地があった。植民地の先住民はビザなしでイギリス本国に入れた。ウェルズの小説はイギリスが最盛期(しかし崩壊の予兆がある)の時に書かれた。なので、帝国主義国家のおごりと植民地政策によるレイシズムがあり、その反動の排外主義があった。このような小説の背景に注意。涙香版の解説によると2005年の英語復刻版にはこの注意書きがある模様。英国では古典なので、配慮が必要なのだ。
 こんな具合にウェルズは資本の一極集中とグローバル化、そこから起こる階級格差の拡大と固定が進み未来に悲観的。そこに黒人差別を容認するので、未来を構想できない。最盛期なのに英国は沈んでいき、それをとどめることができない。結末の曖昧さ、救いのなさもそこに起因していそう。
 でも日本からすると、日本人は労働者階級かその下の植民地労働者に見られているので、読んで気分はよくない。日本人が登場しても執事役なのも気に入らない。涙香を除くと、本書を翻訳しようとしなかったわけがわかる(涙香は原著の人種差別、アジア人差別を巧みに消していた)。経済成長期にこんな未来予測はいらないし、退潮期にはいっしょに暗くなるだけ。

 いくつかウェルズの小説を読み直して、心底からがっかりした。どれもこれも同じストーリー。どれにも植民地主義とレイシズムがある。もう読まない。

 

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